豊田市近代の産業とくらし発見館の挙母駅開業100年展にあった三河名所案内を紹介する。きのうのブログ記事で5分割したうちのひとつを紹介したとこだけど、こんかいはすべてを紹介する。これは1924年の三河鉄道名勝図絵にのっとるもんで、当時の行楽地がどんなとこだったかがわかる。また、図絵についても、あらためて3分割して紹介する。三河鉄道は、のちの名鉄三河線と名鉄蒲郡線。
〔三河名所案内〕〔1924年の三河鉄道名勝図絵〕
〔2021年1月じゅうよっかと2021年2月ふつか訪問〕
三河名所案内
猿投神社(さなげじんじゃ)、香積寺(こうじゃくじ)ノ紅葉、足助(あすけ)巴橋(ともえばし)、大碓尊(おおうすのみこと)ノ御陵(猿投山)、矢作川下リ一ノ瀬ノ奇勝、平戸橋ノ鵜飼
- 猿投神社(さなげじんじゃ)
- 香積寺(こうじゃくじ)ノ紅葉
- 足助(あすけ)巴橋(ともえばし)
- 大碓尊(おおうすのみこと)ノ御陵(猿投山)
- 矢作川下リ一ノ瀬ノ奇勝
- 平戸橋ノ鵜飼
挙母神社(ころもじんじゃ)、業平朝臣歌枕ノ燕子花(かきつばた)(八ツ橋)、信長公ノ像(長興寺什日本唯一ノ画)、池鯉鮒神社(ちりゅうじんじゃ)、三河三弘法ノ一番遍照院(へんじょういん)、大山公園ヨリ見タル高浜港
- 挙母神社(ころもじんじゃ)
- 業平朝臣歌枕ノ燕子花(かきつばた)(八ツ橋)
- 信長公ノ像(長興寺什日本唯一ノ画)
- 池鯉鮒神社(ちりゅうじんじゃ)
- 三河三弘法ノ一番遍照院(へんじょういん)
- 大山公園ヨリ見タル高浜港
松本奎堂ノ碑(刈谷藩天誅組ノ志士)、宍戸弥四郎ノ碑(刈谷藩天誅組ノ志士)、一夜権現ノ傘松、新明石海水浴場、新須磨海水浴場、玉津浦赤十字社児童保健所
志貴ノ毘沙門天、寺津港口、中畑ノ船紡績、世界一ノ大提灯(一色諏訪神社)、幡豆八幡神社ノ海岸、宮崎ノ幡頭神社
1924年7月15日印刷/1924年7月20日発行
発行所:愛知県碧海郡刈谷町大字刈谷、三河鉄道株式会社、電話四三番
印刷者=名古屋市東区神楽町三丁目三番地、沢田栄太郎
鳥瞰図専門執筆者:名古屋市東区神楽町三丁目三番地、新美南果
図案並印刷所:名古屋市東区神楽町三丁目三番地、沢田文精社名所図絵印刷部、電話東二四二〇番
複製不許
1924年の三河鉄道名勝図絵
加茂地区。中心は挙母(ころも)。1924年当時、まんだ猿投(さなげ)までしか開業しとらんかっただけど、計画しとった足助(あすけ)までの路線がしるされとる。ただ、先端が微妙にとぎれとるようにもみえるのは、用地買収の困難をものがたっとるのか。けっきょく三河鉄道は西中金(にしなかがね)どまりでおわる。猿投から西中金までの区間は、2004年に廃止。
碧海地区。中心はゼロキロポストのある知立。ただし、三河鉄道の本社所在地は刈谷。1924年当時、きたは竹村からみなみは大浜までの全区間が開業しとる。
幡豆地区と蒲郡。幡豆地区の一色(いしき)、吉田(よしだ)、幡豆(はず)をとおって、蒲郡にいたる。1924年当時、この区間はまったく開業してなかったけど、蒲郡までの路線がしっかりしるされとる。足助から幡豆までは西三河だけど、蒲郡だけ東三河。大浜から吉田までの区間は、2004年に廃止。
(さんこう)