2020年3月17日、板屋町(いたやちょう)をあるいた。岡崎城のすぐにしにあって、むかしは遊郭もあったっていうとこだ。
〔いき〕〔まちあるき〕〔かえり〕
◇ ◇
いき
さいしょは電車。ふるいからあっかい電車にのって、西尾線をきたにすすむ。
みなみあんじょうであっかい電車といきちがい。
しんあんじょうでのりかえ。また、あっかい電車にのって、名古屋本線をひがしにすすむ。
しゅっぱつしてすぐに、あっかい電車とすれちがい。
宇頭(うとう)に停車。
こおろぎの特急電車とすれちがい。
矢作橋に停車。
矢作川鉄橋をわたる。
11時43分、岡崎公園前にとうちゃく。ここまでのってきたあっかい電車が、はんたいのあっかい電車とすれちがいながらでていくのをみおくって、きたがわにあるかいさつをでる。
まちあるき
岡崎公園前のえきから線路ぞいをひがしにあるいていく。線路はみぎのどてうえで、どてしたにうわっとるさくらなみきのしたをいくかたちだ。まんださくらはさいてないけど。みぎにみなみにぬけるトンネルを発見。かがんでみなみにぬけてきれいな住宅街がひろがっとることをかくにん。もどって、また、ひがしにあるいていく。どてうえをにしいきのあっかい電車がいく。ひがしいきのあっかい電車もいく。
いくてを中央分離帯のある国道248号線がはばんで、とおまわりしてむこうにわたる。わたったむこうは、やけにみちはばがひろい。このあたりに旧岡崎公園前駅があったはずで、ほいでみちはばがひろいのか。ひだりにかぶしき会社白井の3階だてビル。みぎ、みちがどてからちょこっとはなれて、ほのあいだに木造かわらぶきひらやだてのちいさな住宅。すんどるけはいはない。
ほのむこうは、さらにみちとどてまでのきょりがひろがって、ほこに名鉄つきぎめ駐車場がある。おくにどてにあがっていく階段ものこっとる。ちょうどひがしいきのあっかい電車がいく。ここだ。ここに旧岡崎公園前駅があったちがいない。名鉄つきぎめ駐車場のかんばんに「といあわせは 0564-21-3666 和田売店」ってかいてあるだけど、みあたらん。このひがしは住宅がつづくだけど、ほれらしいとこもない。
ところで、みなみぐちはどこにあったのか。国道248号線までもどって線路のみなみがわにまわっていっても、えきにつながるみちもしきちもない。旧岡崎公園前駅はきたぐちしかなかっただ。ひがしに菅生川の堤防道路までいって、やっと線路をきたにくぐってもどれる。くぐったとこは菅生川に伊賀川が合流してくるとこで、ふたつのかわにはさまれたかわらにさつえい隊を発見。わかいおとこのひとがモデルで、菅生川鉄橋をいきかうあっかい電車を背景にさつえいをしとる。鉄橋からちょこっとはなれて、にしにもどるみちを発見。左右の住宅街をぬけて、名鉄つきぎめ駐車場にもどる。
名鉄つきぎめ駐車場からきたに板屋ほんどおりがのびる。はばのひろいとおりだ。えきがあって、ほっからまっすぐめぬきどおりがのびとっただ。ほういう関係だったにちがいない。
板屋ほんどおりをきたにあるく
板屋ほんどおりをきたにあるいていく。左右住宅街のなかにぱらぱらとみせがある。みぎに3階だてのビルでお食事どころ「ひろ清水」。かつ定食1,000円とかかいてあるけど、自動ドアもあかんくてやってなさそう。ひだりに住宅の一部をみせにしたてづくり雑貨「Ruche」。またひだりに3階だてのたてもんのなかに「レンタルブティックいとう」や「カットスタジオITO」。つづいて松平商店は廃店。みぎに岡陸タクシー。つづいて城岩酒店は廃店。十字路をすぎて、ひだりに「Hotel Waltz 大使館」のでっかいラブホテル。
みぎに「こりょうり福柳」。木造かわらぶき2階だてのふるいたてもんで、こういうとこが遊郭だったのかな。
すすんで、みぎにコーヒー、軽食の「双竜亭」。おんなじしきちのおくにパーマカットの「Père Noël(ペールノエル)」。
板屋ほんどおりからひがしにあるく
双竜亭のむかいからひだりT字がみちがあって、双竜亭のきたの十字路から左右にみちがある。いったん十字路からひがしにあるいていく。ひだりにビジネス旅館「友栄」。みぎに美容室「ペールノエル」。双竜亭のおくにあったみせだけど、こっちがおもてなのかもしれん。左右住宅街。ひだりに山田旅館。
山田旅館のつぎは伊賀川の堤防道路で、正面に竹千代橋。はしのりょうわきに木製常夜灯もある。板屋町はここまでで、わたったむこうは岡崎公園。
板屋ほんどおりからにしにあるく
双竜亭のとこまでもどって、こんどはひだりT字をにしにあるいていく。左右住宅街。
すすんで、みぎに木造かわらぶき2階だてのふるいたてもん。屋号はよみとれんけど、あきらかにみせのつくりで、ここもきっと遊郭だったにちがいない。
すすんで、国道248号線と交差する中岡崎駅前交差点のてまえみぎ、2階だてビルにカラオケ喫茶「花詩(はなことば)」とナイトラウンジ「ココナッツ」。
ひだりにおしょくじどころ「喜せん」。なかにはいると、先客ふたりがひだりのカウンターで食事中。みぎおくにざしきもあるけど、カウンターとざしきのまんなかにひとつだけあるテーブルにすわって、さしみ定食を注文。おかみさんに旧岡崎公園前駅のことをきかあっておもったら、わたしじゃあわからんでってことでとりもってくれて、先客のひとりにきいてみる。えきの位置は、名鉄つきぎめ駐車場のとこでまちがいなかった。名古屋方面ホームにいくにはどうやっていっとったのかきくと、構内ふみきりでわたっていっとったとのこと。なるほど、ほういうことだったのか。どてのうえにさらにこせんきょうをってのもつくりにくかったのか、そもそもつくる余地がなかったのか。いや、名古屋本線で構内ふみきりってのも、さぞかし安全確保がたいへんだっただらあな。さらにおしえてくれる。「えきちかくに柔道場があって、ほねつぎでみんないっとった。えきまえどおりはほんなににぎやかじゃなかった」。ほいでやっぱり料理やが遊郭だったって。
ところで、さしみ定食についとるこばちのおでん、うまいな。あじがようしみとって、もっちりしとる。つぎはこれをたべにきてもいい。常連らしいわかいおとこのひとがひとりはいってきて、さしみ定食を注文して、おくのざしきにあがっていく。先客のひとりがまたおしえてくれる。「えきは、さくらのなか、どての階段をあがっていくっていうみごとなふうけいだった。えきひだりは個人経営の売店」。
はなしをきいとったおかみさんが『岡崎城下と板屋町の歴史』っていう冊子ををだしてきて、おれにみせてくれる。また、おんなのひとふたりがはいってきて、カウンターにすわる。ようはやるみせだ。先客ふたりがでてったっておもったら、また、おとこのひとふたりがはいってきて、カウンターにすわる。
冊子はじつに興味ぶかい。「岡崎城郭図」をみると板屋町の位置がようわかる。うちぼりのすぐにしに接してあるのが板屋町だ。記述に、「1591年2月、城主田中吉政は天神山をくずしたつちで、しろのにしがわのぬまちをうめたてた。ほのときにきりだした木材でいたぶきやねのいえ(板屋)をたててまちづくりをした。かやぶきのいえがおおいなかで板屋がたちならぶのがめずらしく、板屋町ってよぶようになった」ってかいてある。いや、じつにまちのなりたちがはっきりとわかる。ぬまちをうめたててつくった新開地が板屋町だっただ。いま、いたぶきやねのいえっていうと、かわらものせてないのかっておもうけど、ほじゃなくて当時としては新開地にふさわしい近代的ないえだっただ。
ほいから「城下町計画図」っていうのもあって、岡崎城下で27まがりになっとる東海道が板屋町をとおっとるのがわかる。
さらに、「おかざきしんぶん」っていう新聞にのっとるかたちで1982年当時の板屋町のやなみもあって、興味ぶかい。まあはいえきはないだけど、えきがあったとこのすぐひがしに和田たばこ店があって、福柳やここ喜せんもある。双竜亭はキャバレー双竜だって、Hotel Waltz 大使館はまんだない。和田たばこ店は、名鉄つきぎめ駐車場のかんばんのといあわせさきにかいてあった和田売店にちがいない。
「旧岡崎公園前駅の売店」っていうさしえものっとる。かっこがきで和田たばこ店ってかいてあって、「たばこや新聞をかいにくるひと、おしゃべりにくるひとも」っていう説明がきがついとる。にぎやかしくいろんなもんをうっとっただ。
いや、ほれにしても、一町内会としてわがまちの歴史を冊子にまとめるってすごいな。26ページの記述で、「天正18年1580年」が「1590年」のまちがいであることと、「板屋町の前進が」が「前身」のまちがいであることをつたえて、みせをでる。
ひがしに板屋ほんどおりまでもどる
喜せんのとおりの1本きたのとおりをひがしにあるいていく。ひだり、「麺・串のみせ」は本日終了。左右住宅街。ひだりにビジネス「山田旅館」。ここにも山田旅館があるだ。みぎに、屋号のよみとれんかった、木造かわらぶき2階だてのふるいたてもんのうらがわ。ここまでおくがふかいたてもんだっただ。ひだり、山田旅館につづいて、ヘアークリニック「マインド」。すすんで、ひだりに魚貝美味「花菱」。予約だけのみせだ。双竜亭のきたの十字路にでる。
板屋ほんどおりをきたにあるく
また、板屋ほんどおりをきたにあるいていく。みちがせばまって、左右は住宅街。ひだりに岡崎市連尺消防団第三部車庫警備室のたてもん。いや、連尺って岡崎城の東北にあるまちなだけど、なんでほの消防団のたてもんがこんなとこにあるだ。
ひだり、板屋稲荷神社におまいり。いりぐちのとのひだりに「板屋町公民館」のかんばんもでとる。みちばたに「板屋ほんどおり」のいしぶみ。
つづいて、「清クリーニング店」。みぎ、3階だて共同住宅の1階に食事どころ「さかい」。食堂のふんいきはまったくない。
ひだりT字になるとこのみぎがわ、電柱のよこのカーブミラーのはしらに岡崎城下東海道27まがり「よ」のみちしるべ。このさきの板屋ほんどおりと、このT字からひだりが東海道になる。みぎ、「よ」のみちしるべにつづいて「ホームワーク板屋」。ひだりにカットハウス「Kitou」。みぎにホームドライクリーニングのみせ。ひだりに「hair KIRITO」。みぎに「村上タタミ店」。左右住宅街。
すすんで、ひだりに木造かわらぶき2階だての「第五組々長」さんの住宅。
板屋ほんどおりからひがしにあるく
みぎT字をみぎにはいって、ひがしにあるいていく。左右住宅街。
みぎに木造かわらぶき2階だての住宅。
板屋町の区域からはずれて、左右に住宅街。伊賀川にむかってさかをあがっていくとちゅうにみぎT字。みてみると、クルマがとおれん急こうばいでおりてから水平のみちになっていく。うめたてちだけに全体に土地がひくいだ。また、ひがしにすすんで、みぎにシャッターのおりたとこやさん。
また伊賀川の堤防道路にでて、つきあたりは坂谷橋(さかたにばし)。歩行者専用のはしで、まっすぐにクルマがのりいれていっちゃわんように、段がついてうえにあがっとって、はしをわたるには左右にまわりこんでからいくようになっとる。わたったむこうは岡崎公園。
板屋ほんどおりをきたにあるく
みぎT字のとこまでもどって、また、板屋ほんどおりをきたにあるいていく。左右住宅街のなかにたまにみせがある。ひだりに松屋住燃設備。ひだりにシャッターのおりた理容杉山。
みちがまたがばってひろがる。みぎ、ほそいみちのつきあたりに白山神社のいしぶみがみえる。ひだりに「加藤はり灸院」。みぎに石原木工所。ひだりに「パックスかぶしき会社岡崎営業所包装開発室」。みぎに6階だてのアパートがあって、ほの1階に「託児園ソリッソ」。ひだり、板屋町107番地のとこにあっかいポストがあって、ほっからちょこっとはなれて「東海道」のかんばんがたっとって、いっしょに岡崎城下東海道27まがり「か」のみちしるべもある。微妙だけど、ここまでが板屋町だ。しきちひとつぶんすすんで、T字に国道1号線につきあたる。みぎかどに「板屋町いりぐち」のいしぶみがあるのをかくにん。まちあるきをおえる。
かえり
板屋ほんどおりのきたのはしから、白山神社と岡崎公園をぬけて東岡崎駅まであるく。とちゅう、菅生川のかわらでおはなみふなあそびの準備をしとるのをかくにん。15時、東岡崎駅にとうちゃく。岡ビル1階のロッテリアでいっぷく。
かえりの電車。あっかい電車にのって、名古屋本線をにしにすすむ。
菅生川をわたってすぐのとこに、旧岡崎公園前駅のあとをかくにん。わずかにどてがひろがっとって、ホームがあったことがわかる。
いまの岡崎公園前えきに停車。ここでぎんいろ電車とすれちがい。
しんあんじょうでのりかえ。また、あっかい電車にのって西尾をみなみにすすんで、ふるいにもどる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年3月17日、かようび、平日
- 東海道岡崎城下27まがりのみちすじ - 『岡崎城下と板屋町の歴史』城下町計画図 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/03/31
- あっかい電車と車掌さん - あきひこゆめてつどう|2020/03/30
- 車掌さんのまえにあっかい電車がはいってくる。
- 東岡崎1、2番のりばのふうけい - 2020年3月17日 - あきひこゆめてつどう|2020/03/30
- 2020年3月17日、かようび、平日、東岡崎からにしいき電車にのるのにちょっとはよ1、2番のりばにあがっちゃって、しばし電車見物をした。
- 岡崎のとおりのなまえ - あきひこゆめてつどう|2020/03/23
- 売店もにぎやかな…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年3月18日10:33
- 西尾いきふつう…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年3月17日17:08
- 岡崎公園前駅 - Wikipedia
- 愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線中岡崎駅が近接しており、名鉄名古屋本線から愛知環状鉄道へ乗り換える際によく利用される駅である。停車列車は原則普通列車のみだが、8月上旬に行われる岡崎城下家康公夏まつり花火大会の時は、一部の快速特急・特急・急行・準急が当駅に臨時停車する。
- かつては東岡崎駅に対して西側に位置することから西岡崎駅と呼ばれておった。岡崎公園が桜の名所として知られておったこともあり、岡崎観光協会の要望もあって、后に岡崎公園前駅に改称され現在に至る。
- 駅は過去に2度移転しておる。1度目は矢作橋-東岡崎間の複線化工事に伴うもので、開業した場所から東へおよそ260m移転しておる。その后、1960年代から1970年代に実施された国道248号沿いの土地区画整理事業に関連して再度西へ移転した。
- 年表
- 中岡崎駅 - Wikipedia