ふるいは県道をへだてて農協のむかい、こやまのうえに、愛染堂(あいぜんどう)っていうお堂がある。
みなみからいしだんをあがったひだりがわに、円柱のいしぶみ。おもてめんに「愛染明王(あいぜんみょうおう)」ってかいてある。煩悩をさとりにかえてくれるっていうほとけさんだ。うらめんに「1967年6月建之、あんじょうし名誉市民、勲五等岩瀬和市(いわせわいち)敬書」ってかいてある。岩瀬和市は、あんじょうし農協や更生病院をつくったことでしられる、郷土の偉人だ。
お堂は、くろいいたがこい、くろいかわらぶき、ひらいりでみなみむきにたつ。ほとけさんをまつってあるのに、なんだかおみやさんっぽい。
お堂のとびらをあけて、おくのいちだんたかいとこに、ご本尊がおさまるちいさなほこら。
おくのいたかべに色紙。1983年8月26日のひづけで「豪族の守護神うんぬん」ってかいてあるだけど、かいたのは汗堂。岩瀬和市の雅号だ。
ひだりうえに由緒がきの額。これも色紙とおんなじひづけで、岩瀬和市がかいたもんだ。よんでみる。
由緒
愛染堂はいまより4メートルほどたかきところにあり、1891年(わたしのうまれたとし)、濃尾地震のみぎり全壊したるにより地盤を4メートルほどさげて現在のばしょへ再建したるものなり。さげるばあい本堂したより太刀、刀剣そのほかなど出土したるにより現在の本堂したにうめたり。かえりみれば平地に高台の地をきずき守護神愛染明王をまつりたる豪族の勢力の強大さが追憶される。おしいかなそのなを不伝不詳なり。ああ、后世のため由緒をしるして后昆につたえむ。
1983年8月26日
名誉市民勲5等、93〇、岩瀬和市、号汗堂
ほー。濃尾地震で倒壊してたてなおしとるだ。しかも地盤を4メートルもさげたうえでだ。いや、もとはどえらいたかいとこにあっただ。ほいで、お堂のしたから刀剣なんかがでてきたのは、このこやまが古墳だでだ。
したにおりて、西南方向からみてみると、たしかに古墳っぽい。
こやまのひがしがわはおおきくけずりとられて駐車場になっとって、県道をいきかうひとからは、コンクリートの断面と、お堂つまがわのあっかい破風(はふ)が印象的だ。
古墳のうえにたつ愛染堂は、中本神(なかほんじ)のあざのひとたちがおまいりして、まいとし8月第3にちようびにおまつりがある。
〔訪問=2020年6月とおかとおんなじつきの27日〕
〔資料かくにん=2020年6月29日〕
(さんこう)
- 愛染堂の資料 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/06/30
- お堂のなかの由緒がき
- お堂のとびらをあけるとひだりうえに額があって、ここに由緒がきがある。
- 古井の史跡
- 2011年3月、古井町歴史研究会編集、古井町内会発行の『古井の史跡』に、愛染堂と愛染古墳のことがのっとる。
- あんてな2013年ふゆ号
- あんてな2013年ふゆ号に、歴史のさんぽみちとして愛染古墳がとりあげられとる。
- 新編安城市史
- 新編安城市史第10巻考古の298ページと299ページに愛染古墳のことがのっとる。
- お堂のなかの由緒がき
- あんくるバスでほんやさんえ♪ - あきひこゆめてつどう|2015/07/11
- 古井町内会も時間まち停車のあとしゅっぱつ。こいで3連続時間まち停車だ。ひだりのこやまのうえからバス停をみおろすのは、愛染明王(あいぜんみょうおう)がすむ愛染堂っていうお堂だ。
- ふるいの 史跡 めぐり ガイド 発行! - あきひこのいいたいほうだい|2011/07/18
- 古井町歴史研究会の 編集に なる、ふるいの 史跡 めぐり ガイドが ことし 2011年の 3月に 古井町内会から 発行された。