ふるいの愛染堂

2020.6.10 (1) 愛染堂 - 全景 2000-1500

ふるいは県道をへだてて農協のむかい、こやまのうえに、愛染堂(あいぜんどう)っていうお堂がある。

2020.6.10 (3) 愛染堂 - いしぶみ 1200-1600 2020.6.10 (4) 愛染堂 - いしぶみ(うらめん) 1500-2000

みなみからいしだんをあがったひだりがわに、円柱のいしぶみ。おもてめんに「愛染明王(あいぜんみょうおう)」ってかいてある。煩悩をさとりにかえてくれるっていうほとけさんだ。うらめんに「1967年6月建之、あんじょうし名誉市民、勲五等岩瀬和市(いわせわいち)敬書」ってかいてある。岩瀬和市は、あんじょうし農協や更生病院をつくったことでしられる、郷土の偉人だ。

2020.6.10 (2) 愛染堂 - 正面 1690-1500

お堂は、くろいいたがこい、くろいかわらぶき、ひらいりでみなみむきにたつ。ほとけさんをまつってあるのに、なんだかおみやさんっぽい。

2020.6.27 (7) 愛染堂 - 本尊 2000-1500

お堂のとびらをあけて、おくのいちだんたかいとこに、ご本尊がおさまるちいさなほこら。

2020.6.27 (6) 愛染堂 - 色紙 2000-1500

おくのいたかべに色紙。1983年8月26日のひづけで「豪族の守護神うんぬん」ってかいてあるだけど、かいたのは汗堂。岩瀬和市の雅号だ。

2020.6.27 (2) 愛染堂 - 由緒がき 1780-630

ひだりうえに由緒がきの額。これも色紙とおんなじひづけで、岩瀬和市がかいたもんだ。よんでみる。

由緒

愛染堂はいまより4メートルほどたかきところにあり、1891年(わたしのうまれたとし)、濃尾地震のみぎり全壊したるにより地盤を4メートルほどさげて現在のばしょへ再建したるものなり。さげるばあい本堂したより太刀、刀剣そのほかなど出土したるにより現在の本堂したにうめたり。かえりみれば平地に高台の地をきずき守護神愛染明王をまつりたる豪族の勢力の強大さが追憶される。おしいかなそのなを不伝不詳なり。ああ、后世のため由緒をしるして后昆につたえむ。

1983年8月26日

名誉市民勲5等、93〇、岩瀬和市、号汗堂

ほー。濃尾地震で倒壊してたてなおしとるだ。しかも地盤を4メートルもさげたうえでだ。いや、もとはどえらいたかいとこにあっただ。ほいで、お堂のしたから刀剣なんかがでてきたのは、このこやまが古墳だでだ。

2020.6.10 (5) 愛染堂 - 西南から 2000-1500

したにおりて、西南方向からみてみると、たしかに古墳っぽい。

2020.6.10 (6) 愛染堂 - ひがしから 1980-1480

こやまのひがしがわはおおきくけずりとられて駐車場になっとって、県道をいきかうひとからは、コンクリートの断面と、お堂つまがわのあっかい破風(はふ)が印象的だ。

2020.6.29 (11) 新編あんじょう市史 - 愛染古墳の墳丘測量図 1120-1120

古墳のうえにたつ愛染堂は、中本神(なかほんじ)のあざのひとたちがおまいりして、まいとし8月第3にちようびにおまつりがある。

〔訪問=2020年6月とおかとおんなじつきの27日〕
〔資料かくにん=2020年6月29日〕


(さんこう)