ふるいのまちから碧海山古墳え

2022.4.7 (10) 碧海山古墳(へっかいざんこふん) - いしぶみ 2000-1500

わがふるいのまちからあるいて碧海山古墳(へっかいざんこふん)をみにいった。三河のくには碧海郡(へっかいぐん)のなまえのおこりがここにあるっていう古墳だ。

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ふるいのまちを南北につらぬく県道をきたからみなみにあるいていく。

2022.4.7 (1) ふるい - 保福寺 1580-1200

みぎに保福寺(ほうふくじ)。曹洞宗のてらで、そうとうふるいてらだ。

みぎT字をはいっていくと、ふるいのえきにいける。

鈍角のひだりT字をはいっていくと、願力寺(がんりきじ)と塚越古墳(つかごしこふん)にいける。

みぎ30度にえだわかれするみちをはいっていくと、古井神社(ふるいじんじゃ)のうらにいける。

みぎにゆたか保育園。

みぎにとこやのあららぎととぎもんや。

2022.4.7 (2) ふるいちょう交差点 1560-1200

ふるいちょう交差点を直進。みぎにいくと、ふるいのえきにいける。

立憲民主党斎藤嘉隆(さいとうよしたか)さんの街宣車とすれちがい。

ひだりにローソン。ふるいちょう交差点の西南かどにあったもいっつぁが、このローソンにかわった。

みぎにあんじょう木材市場と愛染古墳(あいぜんこふん)。ひだりにJAあいち中央ふるい支店と、ほのおくに古井町公民館。

十字路をみぎにはいっていくと、三ツ塚古墳(みつづかこふん)やふるいのえきにいける。

新幹線をくぐる。わがふるいのまちをふみつけてはしる新幹線だ。

碧海台地(へっかいだいち)の開析谷(かいせきこく)にむかってくだっていく。

2022.4.7 (3) ふるい - とらや 1580-1180

ひだりにわがしのとらや。

ひだりおくに介護サービスのつきのかがやき。

左右に大義工業(だいよしこうぎょう)の事務所とこうば。

2022.4.7 (4) 阿原川 - 古井橋 1600-1180
2022.4.7 (5) 阿原川 - 古井橋 2000-1500

あわらがわにかかるふるいばしをわたる。開析谷をつくるのがこのあわらがわで、このさきは桜井になる。

みぎはずーっと堀内公園。

ひだりに、あんじょう建築のいくむねかのモデルハウスが公開中。

ひだりに、アイシンデジタルエンジニアリングの、あたらしいでっかいビル。

ひだりに、バーバままふれあいサロンのちいさなたてもん。

2022.4.7 (6) きたあわらしも交差点 1600-1200

開析谷からあがりかけるとこで、きたあわらしも交差点を直進。みぎにいくと、堀内貝塚や堀内公園のえきにいける。ひだりは印内(いない)の集落。

2022.4.7 (8) 碧海山古墳(西南面) 1980-1480

のぼりざかのとちゅう、ひだりに碧海山古墳があらわれたとこで、歩道のくさとりをしとったおじさんにきく。碧海山古墳は、印内なのか中開道(なかがいと)なのか。桜井北部は印内、中開道、堀内、下谷(しもや)ってよっつの集落があるだけど、この古墳がどこの集落に属するのかしりたかった。堀内や下谷は県道のにしがわになるでちがうで、ひがしがわの印内か中開道になるはずだけど、よそもんにはわかりにくい。おじさんはおしえてくれる。古墳のみなみの東西のみちが、印内と中開道のさかいになるって。ほじゃ古墳は印内になるのかっておもったら、古墳だけは印内になるとのこと。

2022.4.7 (9) 碧海山古墳(へっかいざんこふん) - 説明がき 2000-1500

古墳の西南かどに説明がき。

市指定史跡

碧海山古墳

1965年11月3日指定

この古墳は円墳で一部破損されておりますが、平面の直径およそ25メートル、高さおよそ4メートル(復元推定)で、頂上が平坦で広いことがこの円墳の特徴です。大きさ、形からみて古墳時代の前半期(1400年~1500年前)のものと思われます。古井桜井地区には前半期の古墳が比較的多くみられ、古代の西三河地方に於てこの地域が特殊な立場にあったことを暗示しております。また、この地は碧海郡の郷名の発祥の地と伝えられ、倭姫命(やまとひめのみこと)の神霊を祈りて社を建て、碧海大明神と称し、里人の崇敬を受けておりました。舟繋の椎の大木、一葉松の名木もこの地にありましたが、今は朽ちて里人の俚伝となっております。

1981年3月1日

安城市教育委員会

いや、わが理解とことなる記述がしてある。1400年まえから1500年まえっていうと西暦500年から600年のことで、ほの時期って古墳時代后期じゃないのか。まあ、ふるい桜井地区に古墳がおおいことは、ここまであるいてくるあいだにもみたとおりだ。やまとひめのみことを、ここでまつっとったとはしらんかった。やまとひめのみことがこのあたりをおとずれたときに、このやまのうえからまわりのうなばらをみて、この地域をあおいうみ、碧海ってなづけただ。当時、碧海台地のひがしまでうみがはいりこんどった。

2022.4.7 (10) 碧海山古墳(へっかいざんこふん) - いしぶみ 2000-1500

古墳のみなみがわに碧海山古墳のいしぶみ

2022.4.7 (11) 碧海山古墳(東南面) 1970-1480

古墳の東南にまわってみる。すぐひがしは住宅だ。ひょっとして、古墳のひがしが一部けずれて宅地になっとるのかもしれん。

2022.4.7 (12) 碧海山古墳(西北面) 1990-1480

古墳の西北にまわってみる。古墳につづいて、たけばやしとはたけがある。

2022.4.7 (13) 碧海山古墳(きためん) 1960-1480

古墳のきたにまわってみる。たけばやしにさえぎられて、古墳がみえん。

2022.4.7 (14) 碧海山古墳 - てっぺん(ひがしどり) 2000-1500

てっぺんまでのぼってみる。説明がきにかいてあったとおり、平坦でひろい。ひがしに住宅街をみはらす。

2022.4.7 (15) 碧海山古墳 - てっぺん(にしどり) 1980-1480

にしに住宅街をみはらす。やまとひめのみことがみたあおいうみは、いまはみえん。

〔2022年4月なのか訪問〕


(さんこう)