つぎのダイヤ改正で犬山線と各務原線の直通運行がなくなるってきいて、いまのうちにのりにいくことにした。しんあんじょうから犬山経由岐阜いき急行ってのがあって、ほれにのっていくことにした。あわせて、まえまえからいっかいいっときたいなっておもっとった中山道鵜沼宿にいくことにした。各務原線鵜沼宿のえきからきたにあるいていったとこにしゅくばまちがある。
電車道中 | 岐阜いきふつう → 犬山経由岐阜いき急行 → 河和いきふつう |
ひざくりげ道中 | 徒歩移動 → 鵜沼宿 |
◇ ◇
〔岐阜いきふつう〕
ふるい7時22分、岐阜いきふつうのあっかい電車にのる。
高架のみなみあんじょうに停車。いきちがいまち。
西尾いきふつうのしろおび電車がやってきて、しゅっぱつ。
きたあんじょうに停車。
7時32分、しんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。のってきた電車をみおくり。
3番のりばに名古屋本線から弥富いき急行がはいってきて、連結まち。むかいの4番のりばを岐阜いき快速特急のパノラマスーパーが通過。
〔犬山経由岐阜いき急行〕
つぎに4番のりばにはいってきた犬山経由岐阜いき急行にのりこむ。名古屋本線をほのままいきゃあ岐阜にいけるってのにわざわざ犬山線、各務原線にまわって岐阜までいく電車で、あっかい電車4両とぎんいろ電車4両を連結した8両編成。7時41分、しんあんじょうをしゅっぱつ。車内はぞんがいすいとって、たちきゃく5わり。
知立に停車。いっぱいのってくるかっておもったら、むしろすいたか。
豊橋いき特急のこおろぎ特急とすれちがって前后に停車。
ひだりにゆみなりながら、東岡崎いきふつうのぎんいろ電車とすれちがいながら、どてうえ高架の中京競馬場前を通過。
有松に停車。乗客がだいぶふえる。
高架の鳴海は2番のりばに停車。まちあい。むかいの1番のりばを岐阜いき快速特急のこおろぎ特急が通過するのをまって、しゅっぱつ。
桜を通過。電車をまつひとがいっぱいおるあさののりばのふうけい、いいな。
高架の堀田に停車。まちあいもなくしゅっぱつ。主線に合流するとこで分岐器がもえとるのを発見。いや、このさぶさで分岐器が凍結するのをふせぐためにあっためとるだ。
神宮前に停車。ここで運転士さんがかわる。しゅっぱつする時点でたちきゃく10わり。
須ケ口いき急行のあっかい電車とならんではしる。複々線区間ならでは光景がたのしい。
金山に停車。いっぱいおりるかっておもったら、ぞんがいおりん。電車によってちがいがあるもんだ。
どてうえ高架をみぎにゆみなっていくとこで、ひだり東海道線尾頭橋を通過する豊橋いき新快速の313系ステンレス電車とすれちがい。
まてんろうをせにやってきた豊橋いき特急のこおろぎ特急とすれちがい。
トンネルにもぐって名古屋に停車。乗客がいれかわってたちきゃくがなくなる。
トンネルをでたとこで神宮前いき準急のあっかい電車とすれちがい。
栄生(さこう)に停車。
しゅっぱつするとこでセントレアいきミュースカイとすれちがい。
どてうえ高架の東枇杷島を通過するとこで、豊川稲荷いきふつうのぎんいろ電車とすれちがい。停車中の電車にいっぱいひとがのりこんでいくのがみえる。
庄内川鉄橋をわたる。
わたってすぐの枇杷島分岐点をみぎ犬山線にはいっていく。ひだりが名古屋本線、みぎが犬山線っていう名鉄の一大分岐点だ。
下小田井(しもおたい)に停車。しゅっぱつするとこで内海いき急行のあっかい電車とすれちがい。各務原線から犬山線にのりいれてきた電車だ。
高架をあがって中小田井(なかおたい)に停車。
高架をすすんで上小田井(かみおたい)に停車。みぎうしろから地下鉄鶴舞線が合流してくる重要なえきだ。
いったん地平におりたあと、道路ごえするとこで東岡崎いきふつうのぎんいろ電車とすれちがい。
地平におりてすぐに西春に停車。
名古屋市交通局のあおおびステンレス電車とすれちがい。上小田井から地下鉄鶴舞線にのりいれて赤池までいく電車だ。
徳重・名古屋芸大を通過。
五条川をわたる。
大山寺(たいさんじ)を通過。
あっかい電車のいっぱいとまっとる岩倉に停車。
しゅっぱつするとこでセントレアいきミュースカイとすれちがい。
いしぼとけ(石仏)を通過。せきぶつじゃなくていしぼとけ。だいだいいろのこせんきょうがまぶしい。
高架をあがっていくとこで半田いき急行のあっかい電車とすれちがい。
高架の布袋に停車。まちあい線に扶桑いきふつうの名古屋市交通局あおおびステンレス電車。
上下共用しましきのりばの江南に停車。
栢森(かしわもり)に停車。しゅっぱつするとこで豊橋いき特急のパノラマスーパーとすれちがい。
扶桑(ふそう)に停車。しゅっぱつするとこでセントレアいき準急のこおろぎ塗装とすれちがい。
木津用水(こつようすい)を通過。
犬山口を通過。
犬山は転線、転線していちばんみぎのしましきのりばひだりがわに停車。うしろ4両をきりはなして、まえ4両だけになる。
たちきゃくがでるほどじゃないけどかすかに乗客がふえる。こっからは実質的な各務原線だ。新鵜沼まで犬山線はつづくだけど、新鵜沼いき快速特急と新鵜沼いき急行をのぞいて、電車はここ犬山から岐阜までのかんで運行するのが基本になる。ほんななかでわが犬山経由岐阜いき急行は犬山線から各務原線にのりいれていく。
内海いき急行のぎんいろ電車とすれちがい。
おおきくひだりにゆみなっていくとちゅう、犬山遊園に停車。
わかくさいろのがっちりした鉄骨トラスの犬山橋で木曽川をわたって岐阜県にはいる。
おおきくひだりにゆみなっていくとちゅう、新鵜沼は1番のりばに停車。こっから各務原線単独区間になる。
進行方向がきたむきからにしむきにかわって、架線もない単線の高山線がきたにならんでくる。
鵜沼宿を通過。いや、このえきでおりるだけど、各務原線のりいれの感覚をあじわうために急行をのりとおしてきちゃっとる。
上下共用しましきのりばにきいろい帽子をかぶった小学生のこたち。先生の引率で遠足にいくだ。
さかをのぼりきって、はんたいのりばにセントレアいきふつうのあっかい電車のとまる羽場(はば)を通過。これも各務原線から犬山線にのりいれていく電車だ。
おがせを通過。
8時59分、名電各務原にとうちゃく。のってきた電車をみおくり。方向幕が「犬山経由岐阜いき急行」からたんに「岐阜いき急行」にかわっとるのをかくにん。
〔河和いきふつう〕
構内ふみきりをわたって犬山方面のりばに移動したとこで、はんたいのりばに岐阜いきふつうのあっかい電車がはいってくる。鵜沼宿にもとまった電車だ。各務原線単独区間にはいるまえにこれにのりかえときゃあおりかえさんでもよかった。
さて、岐阜方面のりばにはいってきた河和いきふつうのあっかい電車にのりこむ。これも各務原線から犬山線、さらに名古屋本線、常滑線、河和線ってのりいれていく電車だ。9時10分、名電各務原をしゅっぱつ。
おがせに停車。
羽場(はば)に停車。
しゅっぱつしてまっさかさまにさかをおりていく。
おー、きいろい帽子をかぶった小学生のこたち、まんだおる。この電車にのって犬山方面にいくだっただ。
9時15分、鵜沼宿にとうちゃく。のってきた電車をみおくって、犬山かたにあるかいさつをでる。
〔徒歩移動〕
鵜沼宿のえきはかいさつをでたとこがふみきりで、ほっからきたにあるいていったとこに鵜沼宿のしゅくばまちがある。ところでゆきがふってきた。かさももっとらんだけど、ここまできた以上しゅくばまちをみんでかえるてはないか。
あるきはじめえかってとこで、高山線をHC85特急ひだがやってくる。
ふみきりをとおって高山のほうにむかっていく。各務原線をやってきた岐阜いきふつうのあっかい電車とすれちがっていく。
岐阜いきふつうのあっかい電車がえきにはいっていく。JR東海のさいしんがた特急と、名鉄のあっかい電車。おもしろい光景をみた。
さて、ゆきもどんどんつよくなってきて、きたにあるきはじめてすぐにちょうどみつけた喫茶店でゆきやどりをかねてひとやすみ。コーヒーだけたのむつもりだったけど無条件のモーニングセット。小倉トーストとサラダもくってごちそうさまでした。
さらにはげしくなったゆきのなかをきたにあるく。
〔鵜沼宿〕
国道21号線をよこぎってすすんで、つぎの信号交差点で中山道と交差。
信号交差点から鵜沼宿をひがしにはいっていく。歩道部分が化粧舗装されとって電柱もない。あきらかに鵜沼宿だってわかる。いや、こんなにきれいに整備してあるとはおもわんかった。
ひだり、信号交差点の東北かどに丹羽家住宅大坂屋。
すすんで、みぎにふぜいのあるまちやがすずなり。てまえから順に、安田家住宅若竹屋、梅田昭二家住宅、梅田吉道家住宅茗荷屋。ひとつおいて、坂井家住宅丸一屋。
すすんで、ひだりにわきほんじん。
たてもんは公開されととってなかにはいってみる。いや、しらきづくりのたてもんのきもちいいこと。はしらもはりもけたもゆかもてんじょうもぜんぶしらきづくりだ。にほん建築ってほんとにいいな。
みせばんのおじさんのすすめで、へやにあがるまえにストーブであったまる。いや、ありがたい。このさぶさでからだがこおりきっとっただ。あったまりながらおじさんとあれこれはなしをする。どっからきたのかきかれてあんじょうってこたえると、にほんのデンマークだねっていってくれる。むかしは教科書にのっとっただ。このたてもんは復元したもんだっておしえてくれる。どおりでまあたらしいわけだ。ほいから中山道のおもいでもかたってくれる。戦争にまけて占領軍がやってきただけど、このまえの中山道を小銃をそなえたジープがとおっていくのをみたっていう。当時まんだ国道21号線はなかって、この中山道が基幹道路だっただ。はだもあらわなおんなのひとものっとったっていう。敗戦をはだみでかんじたにちがいない。おじさんは、いまみてきた坂井家住宅丸一屋がすまいだっていう。名士だ。地形のこともおしえてくれる。むかしはこのあたりを木曽川がながれとって、いまも地面をほっていくと砂利がでてくるっていう。このきたがかわの北岸だったらしい。
いきかえったとこで、へやにあがっていく。
とちゅうにいたろうかをはさんで、ずずーっておくまでつづくたたみのま。
いちばんおくに上段のま。
うらのにわにふりしきるゆき。わきほんじん、めっちゃいいわ。
わきほんじんのとなりが本陣だっただげなけど、いまはない。
本陣あとのむかいに菊川酒造のほんぐら。さっきのおじさんのはなしだと、むかしの岐阜県知事がここの経営者だっただけど、知事の時代にだいぶ商売を縮小したとのこと。
すすんで、みぎに旧大垣城くろがねもん。鉄板ばりの門ってすごみがあるな。明治政府による廃城にともなってはらいさげられたもんを、この鵜沼宿で安積門としてつかっとっただけど、ほれも不要になってここに移設して展示してある。
旧大垣城くろがねもんのむかいに町屋館(まちやかん)。旧武藤家住宅を町屋館として公開しとるもんだけど、わきほんじんにくらべて年季のはいったたてもんだ。町屋館のみせばんのおばさんが、武藤家住宅当時は郵便局をやっとったっておしえてくれる。はんぶんが郵便局ではんぶんがすまいだったとのこと。この地域じゃあ1891年の濃尾地震でたいはんのたてもんがこわれて、このたてもんもほのあとにたてたもんだっていう。ほいから、むかしは街道にめんしたたてもんは2階にまどをつくることが禁じられとったっていう。参勤交代の大名行列をみおろすことはまかりならんってわけだ。いや、ほんなきまりがあるとはしらんかった。
へやにあがって見学。
どまから2階のゆみなり天井をみあげる。いや、大工なかせな天井だ。ちなみに、濃尾地震のあとにできたこのたてもんは2階にまどがある。
のきをささえるうでぎがどまの天井のしたにのびとる。みせばんのおばさんが説明してくれてわかっただけど、おもいのきをささえるためのうでぎがこうやってたてもんのなかにまでのびてきとるとのこと。いや、こんなのはじめてみたわ。
またひがしにちょこっといって大安寺大橋(だいあんじおおはし)。きれいに整備してある地区はここまでだ。こっからひがしにいって、みなみにいって、20分かけて新鵜沼のえきまであるいてかえりの電車にのる。
〔2023年1月27日、きんようび、平日〕