ぜんかい第6回は新名古屋駅のたんじょうについて紹介した。太平洋戦争開戦前夜の1941年8月12日のことだ。こんかい第7回は、敗戦のひの1945年8月15日から十数年間の、いわゆる戦后っていわれる時代の新名古屋駅にかかわる展示を紹介する。
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〇 1945年から1954年ごろの新名古屋駅
「昭和20年代の新名古屋駅」と題した1枚のパネルに7枚の写真がはいっとる。
1950年8月、新名古屋駅における相互のりいれ記念号とある。いや~、近鉄名古屋線がまんだ狭軌だった時代の一時期、名鉄と近鉄って相互のりいれしとっただ。説明文では、名鉄電車が近鉄線にのりいれていくようすがかいてあるけど、相互のりいれっていうからには、近鉄電車が名鉄線にのりいれてくるほうもあったはずだけど、どこまでのりいれてきとったのかね。
「近鉄との相互のりいれは1950年8月26日から1952年12月20日実施。新名古屋1番線でおりかえし近鉄線へのりいれ、伊勢中川までは名鉄3800系2両で運行、伊勢中川-宇治山田間は標準軌の2200系、とのりぐつもので、帰路はほのぎゃくとなる。名鉄3800系は、ほのあいだしばらく伊勢中川の側線で待機」
(41) 写真 - 新名古屋近鉄のりいれ記念号(1950年8月)
名鉄電車が近鉄名古屋駅にのりいれていくとこの写真もあるけど、パネルがひかっちゃってじょうずにとれんかったのがざんねん。
(42) 写真 - 近鉄名古屋駅へののりいれ(1950年8月)
終戦直后の新名古屋えきまえの行列
終戦直后の新名古屋えきまえ。行列は電車にのるためのものか、配給品をうけとるためのものか。いや、ほれにしても、びっしりひとでうめつくされとるわ。
1950年以前の新名古屋えきまえっていう題がついとるけど、これも43番の写真とようにたかんじで、やっぱり終戦直后のものか。
1952年ごろの新名古屋駅
これは1952年ごろの新名古屋駅。ヰキペディアによると、「初代の駅舎は1946年12月12日に全焼し、1950年4月ついたちに新駅舎が完成」ってかいてあるで、これが2代めの駅舎で、終戦直后の写真にうつっとったのは初代の駅舎ってことか。この2代めとおもわれる駅舎に「名鉄・近鉄電車のりば」とか「大阪・山田・特急」っていう表示がかかげられとるのは、「名鉄のかいさつぐちが関西急行(現近鉄)のかいさつぐちもかねとった」のが開業からまんだつづいとっただ。
かいさつぐちのようす。やけに天井がたかい。いきさき表示の四日市や桑名は近鉄の電車だ。
〇 名鉄百貨店の建設
名鉄百貨店の建設については、パネル1枚をとっただけで、個別の写真についてはとらんじゃった。ヰキペディアによると、「1953年、名鉄百貨店をふくむ名鉄ビルの建設が開始。1954年12月ついたち、名鉄百貨店開店」とあり、このときのようすが紹介されとるだ。
〇 1955年から1964年ごろの新名古屋駅
さいごのパネルは昭和30年代の新名古屋駅。昭和30年代っていうと1955年から1964年までのことで、名鉄百貨店ができてからの新名古屋駅になる。
写真の解説には集札ぐちってかいてあるけど、でぐち専用かいさつぐちのことだ。ほんとに、いものこをあらうように、ひとびとがかいさつに殺到しとるね。これからにほんは高度経済成長へとつきすすんでいく。
ホームから電車にのりこむようす。この4番のりばはいまもおんなじだね。2面3線で開業した新名古屋駅は名鉄百貨店の開業にあわせて、いまとおんなじ3面2線の構内配線にかわっとる。
(51) 写真 - 新名古屋駅ラッシュアワー (52) 写真 - 新名古屋駅のぼりホーム
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- 名鉄資料館でみてきたもの (6) 名鉄電車の名古屋えきまえ地下のりいれ - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (5) むかしのあんじょうのバス路線 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (4) 押切のえきと柳橋のえき - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (3) 新名古屋駅開業ぜんごの沿線案内図 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (2) 鉄道模型、駅名標、発車案内板 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (1) 松木島のえき - あきひこゆめてつどう
- 名鉄名古屋駅構内図 - 2012.1.18 現在
- 名鉄名古屋駅 - Wikipedia