第6回のこんかいは名鉄電車の名古屋えきまえ地下のりいれだ。第4回で紹介したように、もともと名鉄の西部線は柳橋と押切を起点としとっただけど、線路をきりかえて名古屋えきまえに地下でのりいれることにしただ。また、さらに東部線の起点である神宮前まで線路をのばし、名鉄全線がおおきくひとつの路線網となる。
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地下のりいれ工事
ビルのまんまえで地面をほじくりかえしとる。これが名古屋えきまえ地下のりいれ工事だ。ビルは鉄道省時代の国鉄名古屋駅。ひとやものや、えきへのではいりもおおかっただらあに、トンネルをほっていく工法じゃなくて、こんな露天ぼり工法でやっとっただ。ようやらしてくれたもんだっておもうだけど、館長さんのはなしによると、この線路を布設しとる土地が国鉄の土地だったっていうで、さらにおどろく。なんでも、名鉄が名古屋南部にもっとった、舟運につながる貨物関係の鉄道設備を国鉄にゆずりわたすみかえりに、こんな国鉄名古屋駅のまんまえに線路をひくことをゆるされたらしい。写真は1937年のもの。
(16) 写真 - 省線名古屋えきまえ掘削工事(1937.6.7)
これは、トロッコで残土をはこびだしとるとこ。写真はおなじく1937年のもの。
地鎮祭がおこなわれたのが1937年4月むいか。シナ事変のはじまりである盧溝橋事件がこのとしの7月なのかにおこっとる。ほんな時代に工事がはじまっただ。
貴賓室の工事をやっとる写真もある。1938年のもんだけど、さいしょの新名古屋駅って貴賓室があっただ。
(19) 写真 - 貴賓室まえ掘削工事(1938.3.9)(20) 貴賓室まえフラットスラブ(1938.5.30)
この写真のひだりうえに、関西急行時代の近鉄名古屋駅がみえる。名鉄よりひとあしさきに名古屋駅にのりいれとっただ。
はしらもたって、だいぶ完成にちかづいてきた。
ホームへの階段。写真は1941年のもの。
ホームも完成にちかづく。写真はおなじく1941年のもの。
(27) 写真 - 新名古屋駅新設工事(28) (1941年ごろ)
新名古屋の開業
地下のりいれ工事も完了。1941年8月12日、ついにあたらしいえきが開業。ほのなも新名古屋。2005年1月29日に名鉄名古屋にかわるまで、ながいあいだしたしまれたなまえだ。さいしょはこんな駅舎があった。ちなみに、このとしの12月ようか、太平洋戦争がはじまる。
(30) 写真 - 開業時の新名古屋駅(1941年)(31) (1941年)
開業翌日の新名古屋のかいさつぐち。カンカン帽をかぶってかいさつにならぶひとたち。かいさつのうえにちょうちんみたいにぶらさがっとるのは照明か。黒板みたいなかんじの発車案内板。時代がかった光景だ。ほいから、この写真の説明がきに「かいさつ正面に案内板があるけど、大阪、山田、四日市がみられる。このころ関西急行(現近鉄)のかいさつぐちもかねとった」ってかいてある。関西急行のえきが新名古屋のえきにかくれちゃったで、こんな措置がとってあっただ。
新名古屋開業記念えはがきにのっとった、かいさつぐち、ホームへの階段、地下ホームの写真。
(33) 写真 - 新名古屋駅開業時のかいさつぐち (34) 乗車階段 (35) 地下ホーム
こいで西部線の起点が新名古屋にかわった。当時のポケット時刻表。いや、1941年っていうむかしに、ほんなしゃれたもんがあっただ。
(36) もの - 新名古屋駅開業時のポケット時刻表(37)
開業時の新名古屋の構内配線図。いまは2本しかない線路がこのときは3本だった。ほいから、関西急行連絡線があるのがめをひく。いまは標準軌に改軌した近鉄名古屋線も、この関西急行当時は狭軌だって、名鉄とつなぐことができただ。
(39) 地図 - 笹島線名古屋駅線路平面図(1943年8月)
名鉄電車の名古屋えきまえ地下のりいれをつたえるポスター。あたらしい時代のはじまりだ。
(53) もの - 名鉄電車名古屋駅地下のりいれポスター
(54) もの - 西部線名古屋駅のりいれ予定ポスター
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さらに東部線の起点である神宮前までを線路をのばすのは、新名古屋の開業から3年あとの1944年9月ついたちのこと。終戦の1年まえ。
(さんこう)
- 名鉄資料館でみてきたもの (5) むかしのあんじょうのバス路線 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (4) 押切のえきと柳橋のえき - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (3) 新名古屋駅開業ぜんごの沿線案内図 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (2) 鉄道模型、駅名標、発車案内板 - あきひこゆめてつどう
- 名鉄資料館でみてきたもの (1) 松木島のえき - あきひこゆめてつどう
- 名鉄名古屋駅構内図
- 名鉄名古屋駅 - Wikipedia
- 合併による歴史的な経緯から名古屋市内で東西に分断されていた名古屋鉄道の2大幹線(西部線・東部線)を地下線で直結し、国鉄名古屋駅に接続するターミナル駅として建設された。
- 1941年8月12日、名岐線(現・名古屋本線岐阜方面。西部線とも)の終点として2面3線にて開業。1番線(現在の4番線)は到着ホーム、2・3番線(当初の2番線は後年廃止、3番線が現在の2番線)は乗車ホームであった。
- 1944年9月1日、東西連絡線神宮前-新名古屋間が開業。神宮前まで西部線車両が直通し、東部線に連絡。
- 1945年3月12日、名古屋大空襲。アメリカ軍の焼夷弾による空襲で駅舎被災。
- 1946年12月12日、漏電により駅舎全焼。
- 1948年5月16日、西部線を1500Vに昇圧し、東西直通運転を開始。線名を名古屋本線と改称。
- 1950年4月1日、新駅舎完成。
- 1952年12月20日、近鉄連絡線廃止。
- 1953年、名鉄百貨店を含む名鉄ビルの建設が開始。
- 1954年11月25日、駅舎改築。構内の配線変更を行い、3面2線の現在の形になった。2・3番ホームが比較的広いのは中線(旧2番線)を廃止した名残りである。
- 1954年12月1日、駅構造が地上2階・地下1階となった。名鉄百貨店開店。
- 1957年7月27日、地上10階・地下3階の名鉄新名古屋駅・名鉄百貨店全館が完成。