足助と鉄道

ことし2018年6月に足助(あすけ)のまちなみをあるいて、ほのことをしるしたブログ記事のさいごに「『足助と鉄道』のことはあらためてかく」っていっときながらいままでかけてなかっただけど、11月もおわりかけたいまになってやっとかけた。え、足助って鉄道とおってないじゃん!っておもうだらあけど、じつは鉄道の計画もあったし、とちゅうまでの開業もしとった。中馬館(ちゅうまかん)にかかげられとった年表にしたがって、足助の位置づけや鉄道の計画についてみていく。

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伊那県足助庁の開設
2018.6.22  (95-1) 伊那県足助庁の開設 1040-1820
1869年、伊那県に属し、伊那県足助庁が開設される。

伊那って長野県南部だ。足助と長野県南部のむすびつきのつよさをものがたる。

東加茂郡役所の設置
2018.6.22  (95-2) 東加茂郡役所の設置 1070-1750
1878年東加茂郡に属し、郡役所が設置される。

東加茂郡(ひがしかもぐん)は西三河山間部におおきな面積をしめる。郡役所があったってことが、足助が西三河山間部の中心だったことをものがたる。

岡崎警察署足助分署から足助警察署に昇格
2018.6.22  (95-3) 岡崎警察署足助分署から足助警察署に昇格 1060-1800
1886年、岡崎警察署足助分署、足助警察署に昇格する。

いまは豊田市の区域にはいる足助だけど、警察は岡崎警察署の管内にあっただ。足助と岡崎のむすびつきのつよさをものがたる。

中央鉄道三河線布設趣旨書の作成
2018.6.22  (95-4) 中央鉄道三河線布設趣旨書の作成 1030-1750
1892年、東加茂郡西加茂郡北設楽郡の住民、中央鉄道三河線布設趣旨書を作成する。

中央鉄道ってのがのちの中央線のことか、またはべつの鉄道のことかわからんだけど、足助をふくむおくみかわ全域において鉄道布設の要望がつよかったことをものがたる。

信参鉄道の計画
2018.6.22  (95-5) 信参鉄道の計画 1050-1620
1907年、信参鉄道、新川-あんじょう-足助-飯田-辰野線を計画する。

新川(しんかわ)やあんじょうは西三河平野部のまちだ。いま、愛知県から長野県南部につながる鉄道は、東三河豊橋をまわって静岡県のはしっこをかすめながら飯田、辰野までいく飯田線しかないだけど、これとはべつに西三河から足助を経由して長野県南部にいく新参鉄道(しんざんてつどう)っていう鉄道の計画があっただ。足助と長野県南部のむすびつきのつよさをものがたる。

足助-岡崎間でのりあい馬車
2018.6.22  (95-6) 足助-岡崎間でのりあい馬車 1030-1790
1910年、このころ、足助-岡崎間で、1日8便ののりあい馬車が運転される。

足助と岡崎をむすぶのりあい馬車の便ができた。足助と岡崎のむすびつきのつよさをものがたる。

足助自動車が挙母、岡崎え
2018.6.22  (95-7) 足助自動車が挙母、岡崎え 1050-1860
1914年、足助自動車かぶしき会社が設立され、挙母豊田市)、岡崎への運転をする。

足助自動車がはしらせたのはバスだっておもう。足助を本拠地とするバス会社があったってことが、足助にちからがあったことをものがたる。

三河鉄道が西中金まで開業
2018.6.22  (95-8) 三河鉄道が西中金まで開業 1070-1650
1928年、鉄道が西中金まで開通する。

西中金(にしなかがね)までってことだけど、足助まで開通する寸前だっただ。足助が鉄道の目的地たるにたる重要なまちだったことをものがたる。

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断片的にみてきたけど、以上のことからして足助が西三河山間部にあって中核的なまちであることや、岡崎から足助をとおって飯田にぬける経路が重要な経路であることがわかるっておもう。わがおもいは、やっぱりここに鉄道をひくことだ。


(さんこう)

  • 足助のまちなみをあるく - 2018年6月22日 - あきひこゆめてつどう|2018/06/24
    • ひだりかぎのてにひがしにすすんで、中馬館(ちゅうまかん)にとうちゃく。こんかいマンリン書店とあわせていってみたかったとこだ。ひらいりのかわらやねのたてもんに、しろしっくいぬりのかべがしぶい。
    • おもての説明がきをよんでびっくり。稲橋銀行(いなはしぎんこう)足助支店だったっていう。稲橋ってのはのちの稲武(いなぶ)のことだ。足助街道はこっからさらに三河のやまおくをとおって長野県の飯田につながるだけど、愛知県がわのいちばん長野県よりにあるのが稲武だ。ほんなやまおくに本店をおく銀行があったってのもおどろきだけど、さらに支店まであって、ほれがとおくはなれたこの足助にあったってのもおどろきだ。足助街道ってのはひとやものの往来がさかんな主要街道なだ。
      2018.6.22 (84) 中馬館 - 説明がき 2000-1800
    • なかにはいってみると、2階までしゃれたつくりのふきぬけになっとる。ゆかは、きゃくだまりのとこはどまで、カウンターからおくはいたばりだ。とりたてて豪華っていうわけじゃないけど、むかしのひとたちのいきづかいがきこえてきそうだ。
    • おくに金庫室。あとは展示してある資料をみてみる。
    • 「街道とまちなみ」っていう地図がある。岡崎からきた足助街道が長野県の飯田にのびていく。名古屋からくる街道もあるし、岐阜県岩村につながる街道もある。足助は交通の要地だ。
      2018.6.22 (88) 中馬館 - 「街道とまちなみ」 2000-1460
    • 説明がきをよむ。この足助街道は太古は黒曜石をはこんだ、戦国期は軍団がいきかった、また、古来からしおをはこんだみちだっただ。
      2018.6.22 (89) 中馬館 - 「足助について」 1520-1730
    • 足助のまちなみについての説明がきもある。巴川と足助川の合流点付近の河岸段丘に、連続するよっつのまちからできとるだ。中馬館があるのがいちばんひがしの田町で、巴橋をわたったあと、西町、新町、本町ととおってここまできただ。
    • 中馬館の歴史も年表になっとる。稲橋銀行から岡崎銀行、東海銀行足助町農協金融部ってつかわれてきたもんが、使命をおえて旧足助町がかいとってこの中馬館っていう資料館にしただ。
    • 足助の年表も興味ぶかい。明治維新のあとの一時期、伊那県に属したこと。東加茂郡役所があったこと。鉄道布設の願望があったこと、などなど。いっかいも鉄道がとおったことのない足助だけど願望があっただ。岡崎電気軌道や三河鉄道も足助まで鉄道をのばす予定だった。「足助と鉄道」のことはあらためてかく。
      2018.6.22 (94) 中馬館 - 足助の年表(みぎ) 2000-1500
      2018.6.22 (95) 中馬館 - 足助の年表(ひだり) 2000-1500
  • 西三河の鉄道のうつりかわり21回め=三河鉄道の一部廃止 - あきひこゆめてつどう|2017/09/21
    • 2004年4月ついたち、西中金(にしなかがね)-猿投(さなげ)間と碧南(へきなん)-吉良吉田(きらよしだ)間が廃止になる。
    • きたがわで、西中金から足助(あすけ)までいくっていうゆめは完全にたたれて、みなみがわで、名古屋本線西尾線とあわせて形成されとった鉄道のわはたたれた。
  • 西三河の鉄道のうつりかわり13回め=挙母線の一部廃止と西尾鉄道の廃止 - あきひこゆめてつどう|2017/09/13
    • 1938年5月ついたち、三河岩脇(みかわいわわき)-門立(もだち)間が廃止となる。てつづき的には休止だけど、実質的には廃止だ。挙母線は1924年、岡崎電気軌道により岡崎井田(おかざきいだ)-門立間で開業したもの。めざすさきは九久平(くぎゅうだいら)、ひいては足助(あすけ)で、とりあえず門立までの開業だった。
  • 門立のえきのあったへんと大樹寺のえきのあと - あきひこゆめてつどう|2017/08/14
    • むかし、岡崎電気軌道っていう鉄道会社があった。西三河さいしょの私鉄だ。東海道線開業から10年あとの1898年12月28日、路面電車区間として岡崎-明大寺(みょうだいじ)間を開業。1907年6月22日、康生町(こうせいちょう)まで延伸。1923年9月ようか、岡崎井田(おかざきいだ)まで延伸。1924年12月27日には、郊外電車区間として岡崎井田-門立(もだち)間を開業。門立は暫定的な終点で、ほのさき足助(あすけ)までつなげる予定だったもんが、1927年4月16日、三河鉄道により吸収合併され、いきさきは豊田市にかえられ、ゆめはついえる。
  • 西三河の鉄道のうつりかわり11回め=蒲郡線の開業と挙母線の延伸 - あきひこゆめてつどう|2017/08/11
    • さて、挙母線の延伸。岡崎電気軌道から路線をひきついだ三河鉄道は1929年12月18日、終点の門立(もだち)よりちょっとてまえに分岐のためのえき、三河岩脇(みかわいわわき)をもうけて、こっからもともとの自社線の中間駅、上挙母(うわごろも)につなぐ路線を布設。岡崎井田(おかざきいだ)から上挙母までの挙母線の完成となる。ただし、挙母線っていうなまえになるのはず~っとあとになってからのことで、岡崎電気軌道時代はとくになまえがなかったものっておもわれ、三河鉄道が全線開業させたこの時点で、やっと「岡崎線」っていうなまえがつけられる。まんだ岡崎の鉄道っていうかんじがつよかった。ちなみに、盲腸線になった三河岩脇-門立間には門立支線のなまえがあたえら、足助(あすけ)につなぐっていうゆめはついえる。
  • 西三河の鉄道のうつりかわり8回め=三河鉄道の延伸と挙母線の開業 - あきひこゆめてつどう|2017/08/08
    • まあひとつは挙母線(ころもせん)の開業。岡崎市内線として岡崎-岡崎井田間を開業させた岡崎電気軌道が、こんどは郡部へと路線をのばす。1924年12月27日、岡崎井田(おかざきいだ)から門立(もだち)までのかんが開業。便宜上、挙母線の開業っていう題にしたけど、岡崎からきたに郊外路線がのびたっていうのが実態だ。こんかいの区間はあとになって岡崎線っていうなまえをあたえられて、また、ほれからず~っとあとになって、やっと挙母線っていうなまえになる。
    • ところで、岡崎井田-門立間できになるのが末端部。のちの挙母線からはずれとるじゃん! ヰキペディアに「1922年4月20日、岡崎電気軌道に対し鉄道免許状下付(岡崎市井田町-加茂郡松平村間)」ってかいてある。おー、この鉄道は松平をめざしとっただ! ほかのひとの記事もしらべると、松平からさらに足助(あすけ)をめざしとったみたいだ。足助っていやあ、もみじで有名な香嵐渓(こうらんけい)のある、愛知県内ずいいちの観光地であり、また、三河から飯田にいたる街道ぞいにあって、おおいにさかえとるまちでもある。こんかい、猿投まで到達した三河鉄道も最終的には足助をめざした。岡崎の鉄道が足助をめざすのは、ごくとうぜんのことなだ。門立からさきにすすむことなく、挙母線全線開業により門立支線の地位にあまんじ、また、この路線自体も最終的には廃線になっちゃっただけど、まあいっかいゆめをおいかけてもいいじゃないか。
    • ほれと、おどろいたのが、この末端部の位置。わがあんじょうから足助方面にいくっていうと、いったん岡崎にはいって、ほっから国道248号線を北上、岩津をはずれまでいった岩津於御所(いわづおごそ)交差点をみぎに鈍角にまがって、足助街道にはいっていくだけど、ほとんどぴったりとこの末端部とかさなる。これまでにこの廃線あと、なんかい、いや、なんじゅっかいクルマでとおったことか。ほれも廃線あとってしらんで。
  • 挙母線の記憶 - あきひこゆめてつどう|2016/08/08
    • あと、三河線の南北りょうほうの末端区間廃線がかなしい。みなみは碧南からさらに一色をとおって吉良吉田までいっとって、西尾線蒲郡線とつながっとっただよ。ほいから、きたは猿投(さなげ)からさらにやまがにはいった西中金(にしなかがね)までいっとっただよ。未成線におわったけど、西中金からほのさき、もみじの名所香嵐渓のある足助(あすけ)まで線路をのばす計画もあった。うーん、鉄道の黄金時代はさった。
  • 鉄道愛好家 秋元隆良さんの おもいでの 三河線 〔猿投から西中金編〕 - あきひこゆめてつどう|2014/08/31
    • 愛知県内有数の行楽地、香嵐渓(こうらんけい)のある足助(あすけ)までの路盤ができておりながら、けっきょくほのかんにレールがひかれることがなく、西中金(にしなかがね)どまりのまんまだった三河線(みかわせん)。さらに時代がくだって、西中金からてまえ猿投(さなげ)までのかんも2004年3月31日に廃止になっちゃった。ほんな三河線の、晩年に電車からレールバスにかわっちゃってからの写真だけど、秋元隆良さんっていう鉄道愛好家のかたがとられたものをつぎにけいさいしとく。
    • さいしょにかいたとおり、足助までのばしゃじゅうぶんな観光利用がみこめるだし、さらにはむかしの飯田街道(いいだかいどう)にそって飯田まで路線をのばすこともかんがえれる。いまの豊橋からでとる飯田線がひとけのないとこをとおっとるのにくらべやあ、ず~っと利用がみこめるだよ。また、足助からひだりにわかれて明知鉄道(あけちてつどう)の終点、明智(あけち)にのばすのもいいし、みぎにわかれて設楽町(したらちょう)方面にのばすのもいい。要はクルマのまち豊田(とよた)から奥三河(おくみかわ)、伊那谷(いなだに)、東濃(とうのう)とつながることができるのが、この三河線なだよ。2027年には名古屋本線の特急が豊田市までのりいれるようになるっていう。大反抗はほのあとだ。
  • 汽笛 一声 安城駅 120年 - 2011.5.29 あんみつ - あきひこゆめてつどう|2014/03/29
    • 碧南の 新川から 豊田の 足助まで いく 信参鉄道の 予定 路線が 安城市域にも ひかれとる 地図を みて、こいつが できとや 安城市の こんにちも ずいぶんと ちがった もんに なっとっただらあにと 想像したり して、まったく 興味の つきる ことの ない 企画展だった。
  • 三河線 100年の できごとと ほの 感想 - あきひこゆめてつどう|2014/02/10
    • 1958年 6月 27日、西中金-足助間の免許失効、延伸計画を断念。これで足助までのばすゆめがたたれただね。足助までいっとや、紅葉の季節の香嵐渓見物も渋滞しらずでいけたのにな。ちなみに、筆者のうまれた1年あとのできごとだ。
  • 電車で おくみかわに いきたいな - あきひこゆめてつどう|2012/04/10
    • おくみかわ (奥三河)って いうと クルマでしか いけやへん、って いう あきらめが あった。豊橋から でとる 飯田線が 一部を かすめとる 以外は、やまだらけの おくみかわには 鉄道が はしってない。
    • ところで さいきん、豊橋鉄道 田口線って いう 路線が あった ことを しった。豊橋から 32.1キロの ところに ある 飯田線 本長篠 (ほんながしの)を 起点に、ここから きたに 設楽町 (したらちょう)の 中心 田口って とこまでの 22.6キロを 電車で むすんどっただけど、1968年に 廃止に なっとる。
      おくみかわ 鉄道 路線図 (あきひこ)
      △ おくみかわ 鉄道 路線図 (あきひこ)
    • この 豊橋鉄道 田口線を 地図に おとす ついでに、名鉄 三河線も 地図に おとして みた。いまは 猿投 (さなげ)で いきどまりに なっとって、おくみかわまで いっとるとは いえんだけど、2004年までは まあ ちょっと やまに ちかい 西中金 (にしなかがね)って とこまで いっとった。さらには もみじの 名所 香嵐渓 (こうらんけい)で 有名な 足助 (あすけ)まで のびる 計画も あっただ。
    • うん、けっこう おくの ほうまで 電車で いけるじゃん!
    • あ、ついでに 足助と 田口を むすびゃあ、おくみかわ 横断 鉄道の 完成だ! ほいから、足助から 明知鉄道の 終点 明智 (あけち)まで のばしても いいよな。こいで おくみかわから 岐阜の 東濃 (とうのう)に ぬける ルートが 完成する。また、田口から 長野県 方面に むかって 根羽 (ねば)から 飯田に いくのも いいね。
    • こいで、電車で おくみかわに いけるよ(^_^)
  • 信参鉄道が できとや 安城は かわっとっただよな - あきひこゆめてつどう|2011/05/30
    • ところで、おとつい 安城市歴史博物館に 「汽笛 一声 安城駅 120年」展を みに いって、じつは 1891年に 東海道線安城駅が できて その あと、1923年に 名鉄 名古屋本線、1926年に 名鉄 西尾線が できる までに、安城駅を 介して 南北に のびる 鉄道を つくる 計画が あったって ことを しった。
    • ほれが 信参鉄道だ。
    • うえの 地図だと 「矢作へ」って かいて あるだけど、これは 計画が 縮小された あげくに 最後 新川-安城-矢作間を 建設する ことに なって、その 工事を 着工する 目前の 地図だで ほう なっとる わけで、構想は 矢作から さらに 挙母 (ころも)、足助 (あすけ)と のび、さらに さらに 稲橋、飯田から 中央線の 辰野 (たつの)に 達する もんだっただ。
      まぼろしの 信参鉄道 路線図
      △ まぼろしの 信参鉄道 路線図
    • 豊橋から 飯田を へて 辰野に 達する 飯田線も キロ数 195.7キロと 長大な 路線だけど、だいたい ほれと おんなじ ぐらいの ながさだ。って いうか、この 信参鉄道が できとや 愛知県と 伊那 地方を むすぶ 鉄道が できとった わけだで、いまの 飯田線は 完成しとらんかったかも しれんだけどね。
  • ある ひの 岡崎 市内の 名鉄バス - あきひこゆめてつどう|2011/01/10
    • あらかじめ しらべて あった 9時 10分 発の 足助 (あすけ) いき バスが、たしかに 5番 のりばの 時刻表に のっとるのを たしかめて 安心する。
    • 東岡崎バス停、9時 10分 発。殿橋 (とのばし)を わたって バスは 北上する。乗客は おれを ふくめて 7人。
  • 『足助鉄道誘致運動小史』 - 挙母駅開業100年展 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/01/24 〔ついか〕
    • 『足助鉄道誘致運動小史』
      1984年発行/豊田市中央図書館蔵
      1958年名鉄は西中金~足助間の鉄道布設免許を返納しました。1980年足助町において三河線延長促進会が結成され、翌年には6,175人の署名をあつめ、三河線延伸が陳情されました。