おとつい2018年9月はつかは田口線のあとをあるいた。豊鉄バスの企画旅行に参加するかたちでいってきただけど、こんかいはわがやもよりの古井から電車にのって豊橋までいくようすと、豊橋から豊鉄バスにのって田口線の起点、本長篠(ほんながしの)までいくようすについて紹介する。
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古井から豊橋まで
さいしょは西尾線。古井7時ちょうどのしんあんじょういきふつうにのる。車両は6012編成2両の6000系かんつうがた。車内はベンチシートの座席に、まどにカーテンのついたやつ。乗客はたちきゃく2わりで、いつもよりちょっとすくないかんじ。みなみあんじょうにとうちゃく。乗客はちょっとふえて、たちきゃく3わりに。西尾いき準急のとうちゃくをまって、しゅっぱつ。車両は4両編成のぎんいろ電車。きたあんじょうに停車。工場づとめっておもわれるひとたちや、あんじょう農林の生徒っておもわれる高校生らがおりる。
7時10分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。同時に4番のりばから7時9分の岐阜いき特急がしゅっぱつ。1分おくれだ。1番のりばには7時33分の吉良吉田いき準急がしゅっぱつまち。車両は6812編成2両の6800系きんぎょばち。のってきた電車はおりかえし7時20分の西尾いきふつうになる。3番のりばから7時12分の岐阜いきふつうがしゅっぱつ。あさのしんあんじょうはめまぐるしい。
名古屋本線にのりかえのため、2番のりばから5番のりばに移動。地下通路をとおっていくとこで、かいさつのそとのひとの列。まえに、きたぐちに三菱岡崎工場の送迎バスにならぶひとたちをみただけど、この時間帯には列が地下かいさつまでのびてきたのか。
さて、5番のりばにしんあんじょう7時18分の豊橋いき特急にのる。車両は、2212編成6両の2200系こおろぎのうしろに2両連結したやつで、特別車1号車5Aの席にすわっていく。特別車両券は地下通路をとおるときにかったもんだけど、このあさの通勤時間帯でも、豊橋方面なら直近の特別車の座席がとれるだ。
東岡崎をでたとこで車内放送。「この特急は伊奈にもとまります。ご利用ください」だげな。特急の標準停車駅は東岡崎と国府だけだ。
国府に停車。先行しとった豊川稲荷いき急行においつく。車両は2200系こおろぎで、特急車両の急行運用ってやつだ。まえ2両の特別車は「しめきり - ご乗車できません」の表示がでて、とざされとる。伊奈に停車。ひだりのまちあい線に犬山いきふつうが停車中。逆線発車になるだ。はんたい線から岐阜いき特急がしゅっぱつ。伊奈をでたとこで特別車両券が回収される。ほいから車内放送で、「豊橋でJR在来線や新幹線にのりかえるひとは、ICのりかえ改札機へのタッチをわすれずに!」っていう注意がはいる。豊橋はJR東海との共同駅のためかいさつをでんでもJRにのりかえれるだけど、マナカやトイカの処理をわすれるとめんどうなことになるでだ。
あめにけむる豊川(とよがわ)をわたって、7時48分、豊橋は3番のりばにとうちゃく。
のってきた電車が須ヶ口いき特急になっておりかえしていくことと、うしろ2両が3100系きんぎょばちだったことをかくにん。
(9) 豊橋 - 豊橋いきふつう(おりかえし豊川いきふつう)
さて、ここでとなりに飯田線のおりかえし豊川いきふつうになる電車がはいってくる。車両は2両編成の313系の重連で、シートはうすみどりいろのボックスシート。名鉄とはべつの世界だ。こいで電車見物はきりあげて、かいさつをでる。
豊橋から本長篠まで
豊橋はまず、えきに付随するたてもんのなかにあるタリーズでいっぷく。時間がきて、豊鉄ターミナルビル1階の旅行センターで「田口線廃線あとガイドヲーク」のうけつけてつづき。こっからはバスのたびだ。
(11) 豊橋 - 豊橋信用金庫まえ(路面電車)、(12) 豊橋信用金庫まえ - 豊鉄バス
路面電車のはしるえきまえおおどおりむかいの豊橋信用金庫まえに移動。やってきた豊鉄バスはおおがたバス。マイクロバスを予想しとっただけに、これはありがたい。
(13) 豊橋信用金庫まえ - 豊鉄バス、(14) 豊鉄バス - 豊橋信用金庫まえ
バスにのりこんで、指定された6Aの席にすわる。添乗員はさっきうけつけをしてくれた杉田さん。9時ちょうどの定刻に、豊橋えきまえの豊橋信用金庫まえをしゅっぱつ。
路面電車の経路にそってすすんだあと1号線にはいって、豊川(とよがわ)をきたにわたる。どっからか国道151号線にはいって、飯田線にそうかたちで豊川(とよがわ)の上流にむかう。しばらくすすんだとこで国道151号線をひだりにそれて、豊川駅ひがしぐちにとうちゃく。一部の参加者がこっからのってくる。
また、国道151号線にもどって東名高速の豊川インターチェンジをこえたとこの上野町(うえのちょう)交差点を左折。飯田線をこえて、本野ヶ原(ほんのがはら)第一公園っていう公園のまえで停車。企画旅行の案内にあった本野ヶ原乗車場だ。ここでまた一部の参加者がのってくる。
こいで全員集合となって、9時42分、本野ヶ原乗車場をしゅっぱつ。運転士の小野田さんがあいさつ。つづいて添乗員の杉田さんがあいさつ。田口線は全長22.6キロで、もともと豊橋鉄道の運営だったとのこと。また、このさきの「こんたく長篠」っていうとこから現地案内人もつくとのこと。さらに、行程の説明。「ひるまでに本長篠駅(ほんながしのえき)のへんと三河大草駅(みかわおおくさえき)のへんの廃線あとをみる。三河大草駅は当時のホームものこっとる。ひるは鳳来寺のおもて参道にあるかさすぎっていうみせでごはん。ほのあと玖老勢駅(くろぜえき)のへんにいって、さいごに愛知県内でいちばんながい鉄道トンネルをぬけて田峯駅(だみねえき)のへんにいく。田峯駅ではべつの鉄道も接続しとって、材木おきばがあった」とのこと。まんだどのえきがどのへんにあるかようあたまにはいってないけど、本長篠、三河大草、玖老勢、田峯の4か所がきょういくとこなだ。また、「おく三河には新城市(しんしろし)、設楽町(したらちょう)、東栄町(とうえいちょう)、豊根村(とよねむら)のよっつがあって、人口はぜんぶで5万5千人。田口線がはしっとったのは新城市と設楽町の区域になるだけど、田口線のはしっとらんかった東栄町や豊根村のひとたちも田口線を利用しとった」とのこと。杉田さんは岡崎のひとだげなけど、この企画旅行のためにいろいろべんきょうしただ。
また飯田線をこえて国道151号線にもどる。長山駅入口交差点まですすんだとこで、みぎに豊川(とよがわ)がみえる。だいぶやひだりにまにはいってきたってかんじだ。ひだりから飯田線をみて、バスはすすむ。参加者を識別するためのワッペンがくばられる。どっからか飯田線のひだりてにでて、川田(かわだ)交差点、川田山田平(かわだやまだひら)交差点で国道151号線がひだりクランク。バイパスにはいっていく。ますますやまだ。また、左右がひらけて住宅やみせもあらわれたとこで、杉山北交差点を直進。ふつうに郊外のふうけいだ。新城警察署南交差点までくると、完全なまちだ。あとで地図をみてみると、こっからすぐみなみに飯田線の新城駅がある。
設楽原決戦場(したらがはらけっせんじょう)をひだりにみてすぎたとこで、どてにひがんばなのさきほこるおがわをわたる。ちゃんとひがんにはなをさかせるひがんばなってえらいな。また飯田線のみぎにでたとこで、ひだりてに「みちのえきもっくる新城」を通過。ここはかえりによるとのこと。
ひだりに飯田線がそってきて、新東名高速をくぐる。いや、新東名ってこんなとこをはしっとったのか。
また飯田線をくぐってほのひだりにでたとこで、有海(あるみ)交差点を直進。直后、ひだりしたに豊川(とよがわ)をみる。
豊川(とよがわ)をわたってすぐにこんたく長篠にとうちゃく。10時20分。ここでしばし休憩。運転士さんのはなしだと、新東名高速の新城インターチェンジができて、このへんのひともずいぶんべんりになったとのこと。また、この企画旅行のもうしこみがおおくて、バスがおおがたバスになったとのこと。10時40分、ふたたびしゅっぱつ。こっからバスにのりこんできた現地案内人の石井さんがあいさつ。「田口線は1929年に運行を開始して、1932年に全線開通。さいしょは大海駅(おおみえき)が起点になる予定だったもんが、鳳来寺がスポンサーになったことで、起点を本長篠駅(ほんながしのえき)に変更。さいしょは本長篠駅も鳳来寺口駅っていうなまえで開業」との説明。いや~、開業にいたるまでには複雑な経緯があるもんだ。また、「さいしょの本長篠駅では3本あるレールのうち2本が飯田線のレールで、1本が田口線のレールだ」とのこと。いや、50年まえに廃線になった田口線のレールがまんだ本長篠駅にのこっとるのか。
10時48分、本長篠バスターミナルにとうちゃく。ここが豊鉄バスの田口新城線の起点だげなだけど、ここでバスをおりる。
バス停の時刻表をかくにん。石井さんもこのバスをつかうだげなけど、電車からののりかえで2時間ずっとここでまつこともあるとのこと。飯田線の本数もすくないし、このバスの本数もすくないだ。
ちょうど田口新城線のバスもはいってくる。
われわれ企画旅行参加者は、あるいて本長篠駅に移動。ほとんどえきまえひろばがなくて、バスもちょっとはなれたとこでしか発着できんだ。
こっからいよいよ田口線のあとをあるくだけど、つづきはつぎのブログ記事をおたのしみに。