まあはいちょこっとづつかきはじめとるだけど、2018年11月17日は豊鉄バスの奥三河再発見ツアーに参加してきた。こんかいは、集合ばしょの豊橋から目的地のひとつである田口までの、豊鉄バスでの移動のようすを紹介する。さきに紹介した田口鉄道モハ14のはなしとは前后する。
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古井からのりついだ名鉄電車を豊橋でおりる。天気ははれ。事前の予報があめだっただけにうれしい。えきまえの豊鉄ターミナルビル1階でてつづきをすませて、バスにのりこむ。9時ちょうど、豊橋えきまえをしゅっぱつ。あと豊川駅ひがしぐちと本野ケ原乗車場の2か所でも参加者をひろっていくだけど、最終的にほぼ満席。バスは東北方向にさかのぼる豊川(とよがわ)に平行する国道151号線をいく。
新城バイパスで新城のまちをぬけたとこで、馬防柵(ばぼうさく)があったとこをとおる。みちをよこぎるおがわにそって「うまをふせぐ柵」があったってことなだけど、織田徳川連合軍と武田軍がぶつかりあったのがこのあたりだって、ほいでこの馬防柵がきずかれただげな。よにいう長篠のたたかいだ。
みちのえきもっくる新城で休憩。しゅっぱつは10時40分。こっから現地案内人の石井さんが同行。こんかいのツアーは、田口においてある田口線電車をみるのと、田口線末端部である田口から清崎までのあいだをあるくのがおもな内容になるだけど、田口にいくまでの行程も本長篠から清崎までのあいだは田口線廃線あとをとおっていくかたちになり、石井さんがあつくかたってくれる。
大海(おおみ)のえきのへんをすぎて豊川(とよがわ)をわたる。このちょっとしもに宇連川(うれがわ)が分岐するとこがあって、このあとバスは宇連川ぞいをすすむことになる。
本長篠バスターミナルのとこをとおる。長篠交差点をみぎにまがってちょっといったとこに本長篠のえきがあるだけど、えきまえに余地がなくてここにバスターミナルがあるだ。この交差点をひがりにまがって、国道151号線や宇連川をはなれて県道32号線にはいっていく。こっからおおむね田口線廃線あとにそってきたにすすむ。
みちはさいしょやまごえのみちだ。
ひだりのおくに廃線あとの築堤がみえる。こんかいが2回めのツアー参加になるだけど、前回のツアーであるいたとこだ。
くだりにかかって新城市消防署鳳来分署のまえをとおる。
鳳来寺のえきがあったとこをとおる。いまは駐車場になっとる。ほのむこうのみぎにはいっていくみちが鳳来寺の参道だ。りょうがわに石塔がたっとる。電車をおりたひとたちがこっからこの参道をあるいていった。51年まえに小学校5年生だった筆者も電車をここでおりて、この参道をあるいていった。
大栗平(おおくりだいら)バス停のへんをとおっていく。こっからの廃線あとも前回のツアーであるいた。
玖老勢(くろぜ)のまちにはいって、みちは玖老勢交差点でT字にあたってみぎにまがっていく。鳳来寺から海老川(えびがわ)の流域にうつっとるだけど、こっからは海老川ぞいにきたにすすんでいく。
玖老勢のまちをぬけて、学童農園前バス停をとおっていく。
みぎにおおきないしがみえる。このおおきないしがあるで、玖老勢とつぎの海老(えび)のあいだのえきが大石っていうなまえになったとのこと。鳳来大石バス停に三河大石の駅舎が再現されとる。
廃線あとが海老川のむこうがわにうつる。
海老のまちをとおる。おおきなまちだ。このみちは江戸時代もとおく飯田にぬけるみちだったみたいで、この海老のまちにとまったたびびとが飯田のほうにいってから、「海老のおんなにきをつけろ」っていう記録をのこしたとのこと。しゅくばにおんなはつきもん。海老のまちのにぎわいをいまにつたえる記録だ。
県道32号線からひだりにまがって、稲目トンネルっていうながーいトンネルにはいる。もともと田口線のトンネルだって愛知県内一のながさの鉄道トンネルだったとのこと。
トンネルをでたとこが田峯(だみね)。海老川流域から豊川(とよがわ)流域にもどった。このあたりの上流域では豊川から寒狭川(かんさがわ)っていうなまえにかわる。また、こっからが設楽町の区域で、みちも国道257号線に合流する。国道257号線は大海のえきのへんからずーっと寒狭川ぞいにはしってきとる。田峯もえきがあったとこだ。
清崎をいく。
清崎から国道257号線は寒狭川からみぎにはなれていくだけど、バスもこのみちをいく。寒狭川ぞいをほのまますすむ田口線ともはなればなれだ。
のぼりざかにみちをすすんでいって、田口のまちにはいる。ほうらいせんを宣伝する特大一升瓶もみえる。
関谷時計店のとこで国道257線からみぎにはいる。
このあたりが田口のまちの中心地区か。JA愛知東設楽支店のとこをとおっていく。
しゃれたみせもある。
奥三河総合センターのとこをとおっていく。
うしろにまちをみおろしながら、みなみにこやまをあがっていく。てっぺんの奥三河郷土館とうちゃくするってとこで、みぎに田口鉄道モハ14がみえる。
電車見学はおあずけ状態で、たてもんのなかの山河(やまが)っていうみせでひるごはん。
ごはんをたべおえてたてもんのまえのひろばにでると、まわりのやまやまがまぢかにみえる。おくみかわにきたなーってかんじだ。みなみに鞍掛山(くらかけやま)。
すぐひがしに鹿島山(かしまやま)。
さて、集合時間までまんだ時間があって、石井さんもふくめて雑談をする機会があっただけど、田口線廃線50年の事業をてがけた張本人で田口愛にあふれた石井さんが千葉県は鎌ケ谷の出身だってことをきいておどろく。時間がきて、電車見学。このことについてはまえのブログ記事にかいたとおり。ほのあとは田口駅のあったとこにむかうだけど、これについてはあらためてかく。
(さんこう)