いまから51年まえの筆者が小学校5年生のとき、やまの学習で鳳来寺山(ほうらいじさん)にいくのに田口線にのった。ところで、ほのつぎのとしに廃線になっとって、筆者が中学生になってにほん地図帳をてにするときには、田口線はこのよになかった。鳳来寺山のへんにある鉄道は飯田線だけで、やまの学習でのったのも飯田線だってずーっとおもっとった。ところが、としをくってから飯田線にのっていっても、どうも小学校5年生のときにみたけしきとちがう。まっと電車があたまのうえのやまをはしっとったような電車だっただ。記憶と現実とのくいちがいに釈然とせんきもちをかかえとった。
ほんな状態だったところに、数年まえのことに田口線っていう鉄道があったことをしった。飯田線の本長篠から分岐してきたにすすんで、設楽町(したらちょう)の中心、田口までいく鉄道で、さいしょは、ほー、ほんな鉄道があったのかとしかおもわんかっただけど、経路をようみてみると鳳来寺をとおっとるじゃんか。いや~、この田口線こそが小学校5年生のときにのった鉄道だっただ。
いっかいいってみにゃいかんっておもっとっただけど、やっといく機会をえて、2018年9月はつか、豊鉄バスの企画旅行に参加するかたちでいってきた。廃線あとはなんかしょかあるだけど、こんかいの企画旅行で案内してもらった本長篠(ほんながしの)、三河大草(みかわおおくさ)、玖老勢(くろぜ)、田峯(だみね)の4か所と、あわせて、ひるごはんをたべただけではあるけどえきのばしょもおしえてもらった鳳来寺(ほうらいじ)について、以下に紹介する。まえのブログ記事で、わがやもよりの古井から田口線の起点、本長篠までいくようすを紹介しており、ほのつづきでもある。
◇ ◇
本長篠
豊鉄バスを本長篠バスターミナルでおりて、本長篠駅に移動。えきまえロータリーとかがなくて、鉄道とバスがはなれとるだ。いよいよ廃線あとをあるくだけど、さいしょはえきの構内。説明してくれるのは、ここにくるちょっとまえの「こんたく長篠」で合流した、現地案内人の石井さん。
ちょうど「本長篠いきふつう」の方向幕をかかげた電車がしましきホームのみなみがわにとまっとるとこだけど、石井さんの説明で、このホームりょうがわの線は飯田線の線だけど、きたがわの駅舎にちかいほうの線は田口線の線だっていうことがわかる。
いや、まえに筆者も本長篠駅の線を観察したことがあるだけど、まさかこの線が田口線の線だとはおもいもよらんかった。飯田線の線から分岐するかたちになっとるし、50年もまえに廃線になった鉄道の線がまんだのこっとるっておもわんよな。うん、たしかに飯田線のレールにくらべて田口線のレールは圧倒的にほそくて、きくとなっとくできる。
本長篠駅からあるいて線路ぞいをひがしに移動。
とまったとこで、石井さんがこっからみぎななめうしろに廃線あとがあるっていう。飯田線につきあたるとこまでいってみると、たしかに飯田線から分岐してひだり曲線にはいる田口線のあとだっていうことがわかる。いや、ほれにしても、ひだりにぐいーんってまがりながら、けっこうな勾配をあがっていくだ。
こんどは、とまったとこからひだりななめまえにあるいていく。このみちこそが廃線あとだっていう。うーん、やっぱりそこそこの勾配でのぼっていく。
(36)、(37)、(38) 本長篠 - 田口線廃線あと(河津のさくらなみき)
とちゅう「河津のさくらなみき」のとこをとおりながら廃線あとはつづく。
内金(うちがね)トンネルにはいる。これも廃線あとだ。いや、団体だでこんなこころぼそいトンネルにもはいっていけるけど、ひとりだったらおそがくてようはいっていかん。
トンネルをでたとこでひきかえして、バスにもどる。
三河大草
バスがどこをどうとおっていったかわからんだけど、とにかくきたにすすんで、やまざとのみちのわきに停車。ほっからまた、あめのふりつづくなかをあるいていく。
しばらくすすんだとこで、うえに築堤(ちくてい)がみえる。あれこそが廃線あとだっていう。たにをよこぎるかたちで、あんなたかい築堤をつくっただ。
(44) 三河大草 - 田口線廃線あと(築堤)、(45) (築堤のきたがわのトンネル=富保トンネル)
築堤のりょうがわはトンネル。さいしょにきたがわのトンネルにはいってもどってくる。みじかいトンネルだ。
(46) 三河大草 - 田口線廃線あと(築堤)、(47) (築堤のみなみがわのトンネル)
築堤をみなみにすすんでトンネル。
(48)、(49) 三河大草 - 田口線廃線あと(トンネル)
けっこうながいトンネルんなかは内壁がはがれて、いわっていうかつちっていうかがむきだし。
トンネルをぬけて廃線あとをみなみにあるく。
ホームがある。三河大草駅のホームだけど、ちょっとアンコールワットかってかんじの遺跡だ。
ホームからみなみにも廃線あとはつづくけど、歩行困難。
ホームのとこでそれぞれに記念さつえい。いや、ほれにしてもこんな山林のなかにえきか。えきにくるにはがけしたからのぼってこにゃいかんかっただげなけど、ほの労苦をきらって、いまわれわれがあるいてきたように線路をあるいてえきにくるひともおおかったとのこと。
(56) 三河大草 - 田口線廃線あと、(57) (トンネル)、(58) (築堤からしたをみる)
トンネルや築堤をふくむ廃線あとをもどる。
つぎはひるごはんだ。バスにもどって、12時19分、しゅっぱつ。
◇ ◇
きたにすすむバスんなかで杉田さんが説明。田口鉄道はあめになかされた鉄道だったっていう。廃止まえ、清崎(きよさき)から田口までの末端区間はあめの被害で運行休止だったっていう。ほいから、田口線の起点はさいしょ大海駅(おおみえき)だったってことは、本長篠駅につくまえに石井さんから説明があったとこだけど、ほのときは蒸気機関車による運行を予定しとったとのこと。大海駅から田口へは寒狭川(かんさがわ)をさかのぼっていくかたちになるだけど、ほれだと勾配がゆるくて蒸気機関車で運行できただったとのこと。起点が本長篠駅に変更になったおかげで勾配がきつくなって、電車での運行にかわったとのこと。寒狭川は豊川(とよがわ)の上流部の名称。
鳳来寺
バスはきたにすすんでくだり勾配にはいる。T字にあたって左折。いまグーグル地図をみてたしかめてみると、T字にあたって左折するのが県道32号線だ。みぎてに有名なもみじをみたあと、鳳来寺のいりぐちのとこを右折。鳳来寺へとつづく県道441号線だ。
なんか門みたいなもんもたっとる。これがおもて参道にちがいない。みちがのぼっていって、ひだりてに鳳来寺高校。いや、いまたしかめたら閉校になっとる。
(62) 鳳来寺 - かさすぎ、(63) かさすぎ - ひるごはん
おもて参道のみぎがわでかさすぎっていうみせにバスはとまって、一同ひるごはん。
で、みせにおいてあったのがむかしの田口線の写真をとじこんだファイル。いや、なつかしい。むかしの写真にみんながもりあがる。筆者が「田口線、51年まえにのったですよ」っていうと、むかいのおばさんが「わたしもたしかのりました」ってこたえてくれる。いや~、この本長篠駅に田口線の電車がとまっとる写真、いいわ~。ところで、田口線のことにすごいくわしいひとがおって、「田口線は車両番号14、15、36、37の4両の電車で運行をまかなっとっただけど、この写真みたいな2両編成はめずらしい」って、うれしそうにおしえてくれる。
鳳来寺駅の写真もいいな~。駅舎とかめちゃめちゃりっぱじゃん。51年まえにここまできただよ。
本長篠駅にとまる電車。えきがどこだかわからんだけど、たぶん清崎駅(きよさきえき)じゃないかなっていうこえあり。このえきからさきが廃止3年まえから水害で運行休止になっとって、さいごはここが終着駅だっただ。
時刻表の写真もある。たてがきの時刻表、ふぜいがあるな~。運行本数は1日に18本。そこそこの本数があっただ。時刻のまえに「混」の文字がある列車は貨物との混成車かなっていったら、さっきのくわしいひとがほのとおりっていってくれた。
食后の休憩時間にみせのまえのみちにでて、おもて参道りょうわきの門をみてみる。ここにくるまでにもあったけど、なんかしょかあるだな。いや~、ここを「宿坊(しゅくぼう)、宿坊」ってともだち同士でいいあいながら、いりぐちのとこからずーっとおもて参道をのぼっていっただよ。やまの学習のやどは鳳来寺の宿坊だった。
みせのひとたちにみおくられて、バスはかさすぎをしゅっぱつ。おもて参道をくだっていりぐちのとこまでもどったとこで、このかどのとこに鳳来寺駅があったって石井さんがおしえてくれる。
◇ ◇
バスは県道32号線をきたにすすむ。とちゅう、みちぞいをはしる田口線のなが~いトンネルのいりぐちをみたり、田口線のさらにうえにある馬車みちをみたりしていく。むかしは馬車も重要な交通手段だったっていう石井さんの説明。みちのわきにむかしの合戦(かっせん)のはたもある。本長篠にくるまでにも、どっかにこっちが合戦場だよっていうかんばんをみただけど、ひろい範囲にわたってあるのかな。
玖老勢
さて、鳳来寺小学校のかんばんがあるとこまできたとこで、バスは停車。みちをひがしがわにわたったとこから、玖老勢(くろぜ)のえきのへんの廃線あとをあるく。
まず、みちをわたったとこのすぐみなみがわに廃線あとがのびる。ほのさきに、さっきみたなが~いトンネルのでぐちがあるっていう。いま地形図をみてみると、起点の本長篠駅は豊川(とよがわ)の支流、宇連川(うれがわ)ぞいにあって、玖老勢駅からさきは、豊川(とよがわ)の上流部である寒狭川(かんさがわ)の支流、海老川(えびがわ)ぞいにある。要は、ちがう流域にいくためにやまごえをしてきただ。あの森林のまっただなかの三河大草駅のへんがやまごえの頂点だったか。
さて、県道32号線をひだりしたにみながら、廃線あとをきたにあるいていく。
ずーっとずーっとあるいていく。ひだりしたの県道32号線はみえんくなっちゃったけど、海老川にそってきたにむかっていく。
あるいて、あるいて、地形がひらけてくる。
ひだりに郷(ごう)がみえてきたとこで、みぎのおはかのかたすみにひがんばな。ちゃんと彼岸の時期をわすれんでさくひがんばなってえらいもんだ。
(85) 玖老勢 - 田口線廃線あと(鉄橋)、(86) ふうけい
海老川のまた支流をわたるはしのとこまできて、たちどまる。このはしのしたに田口線のはしげたがのこっとるらしいだげなけど、おりていけやへん。はしからみぎてにやまのほうをみる。あー、やまのけしきだ。
廃線あとが郷のなかにはいっていったとこで、ここが玖老勢駅があったとこだって石井さんがおしえてくれる。いや、ただもりつちがしてあるだけのさらちで、いわれにゃわかるわけがない。
またちょっとすすんだとこでくだりざかになって、ほのさきのおりきったとこで廃線あとが県道32号線と合流するのがわかる。ほっからは県道32号線自体が廃線あとだげな。
廃線あとからにしに郷をぬけて県道32号線におりると、ちょうど田口いきの路線バスがいくとこだ。また、このバスにものってみたいな。
県道32号線におりたとこからちょっとみなみにいったとこにまっとったバスにのりこんで、また、県道32号線をきたにすすむ。
◇ ◇
つぎは田峯(だみね)だけど、ほのまえにほこをとおりすぎて休憩地点まですすむとのこと。みぎにおおきないしがみえて、このへんが三河大石駅(みかわおおいしえき)があったって、石井さんがおしえてくれる。このおおきないしが地名の由来だげな。
またきたにすすんで、みちのひだり、消防のつめしょのとこに三河海老駅(みかわえびえき)があったって石井さんがおしえてくれる。このときはきがつかんかったけど、この三河海老駅のてまえで県道32号線は海老川のにしがわにわたっとった。
ひだりにたきがみえてきて、このたきのうえに滝上駅(たきうええき)があったって石井さんがおしえてくれる。たきのうえにあるで滝上駅って、てきとうな地名がなかったってみえる。
廃線あとをひだりにみてバスはきたにすすむ。
さて、稲目(いなめ)トンネル。このトンネルがほのまま田口線のトンネルだっただげなけど、愛知県内でいちばんながい鉄道トンネルだっただげな。これもあとで地図をみてわかったことだけど、この稲目トンネルで海老川流域から寒狭川流域へといっきにうつるだ。トンネルの方向は西北方向にぬけていく。
稲目トンネルをぬけてちょっといったとこでみちは国道257号線に合流して、バスは寒狭川ぞいをきたにすすむ。ちなみに、稲目トンネルのてまえで県道32号線から県道389号線にかわっとって、ほの県道389号線が国道257号線に合流した。さらにちなみに、県道32号線をほのままいくと、あのたなだで有名な四谷千枚田(よつやせんまいだ)にいける。
しばらくすすんで、14時20分、休憩地点の八雲苑(やくもえん)にとうちゃく。
バスをおりて、ひとやすみ。みせんなかにかかげてあったおおきな地図で現在位置をかくにん。
田峯
八雲苑から国道257号線をみなみにすすんで、県道389号線にもどったすぐのとこの、寒狭川(かんさがわ)にかかる田峯橋(だみねばし)のとこでバスをおりる。
田峯はさいしょに森林鉄道のあとをあるく。田峯駅から森林鉄道がでとっただ。県道389号線のにしがわ、みぎにさかをあがっていくと田峯城(だみねじょう)っていうかんばんのあるひろばんとこが森林鉄道の田峯駅だったっていう。
すぐみなみにホーム。森林鉄道はこっからきたにでていく。
(104)、(105)、(106) 田峯 - 森林鉄道あと(トンネル)
えきからきた、すぐにトンネルにはいっていく。森林鉄道だけあってこぶりなトンネルだ。
トンネルをぬけてさらに廃線あとはきたにつづくだけど、すごいがけだ。ちなみに、あとでわかっただけど、森林鉄道はこっからひだりにぐるーって半円をえがいて、みなみにすすんでいく。
ひきかえして、森林鉄道のえきのとなりの田口線の田峯駅のあとにいく。バス停のすぐまえで、なんか半公共的な施設のしきちんなかだ。
石井さんがみちにでて、この電柱をみよっていう。「駅前支1」っていう板(ばん)がはってあるのがわかる。この駅前ってのが田峯駅前のことだ。こんなとこにも田口線っていう鉄道が存在した痕跡(こんせき)がのこっとるだ。
さて、田峯駅からきたに廃線あとをあるくだけど、石井さんが寒狭川のかわぞこをみよっていう。五平もちがあるだらあっていう。田口線は田峯駅からすぐ寒狭川をひがしにわたって、きたにすすんでいくだけど、ほの鉄橋の橋脚のねっこがこの五平もちだげな。ほー。
(111) 田峯 - 寒狭川のあかいはし、(112) 廃線あとえ
あかいはしをわたって、寒狭川の東岸にわたる。
わたってちょっといったとこから、みちは田口線の廃線あとになる。かわのほうにふりかえって廃線あとをかくにん。
みちをきたにすすんで廃線あとをいく。
しばらくすすんで、みちがみぎにまがってやまんなかにはいってっちゃうってとこでとまる。
(117)、(118) 田峯 - 田口線廃線あと(はしげた)
田口線はまがらんで、おがわにかかる鉄橋をわたってほのままきたにすすむだ。まんだのこっとるはしげたをかくにん。
田口線のあとをあるくたびをおえて、帰路につく。
(さんこう)
- 田口線の路線図 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2018/09/24
- 田口線の現地案内してくれたのこの石井さんだ。|いわせあきひこ|フェースブック|2018年9月23日14:26
- 廃線50年、田口線わすれんで - 2018年9月に設楽でもよおし:愛知:中日新聞|2018年8月29日
- ここにも石井さん。いやー、石井さん、がんばっとるなー。
- 廃線50年、田口線わすれんで - 2018年9月に設楽でもよおし:愛知:中日新聞|2018年8月29日
- いやー、また、田口線の企画旅行…|いわせあきひこ|フェースブック|2018年9月23日0:57
- いやー、また、田口線の企画旅行、もうしこんじゃった。まんだおとついいってきたとこで、ブログ記事もかきあげてないっていうのにね。いや、つまがなんだか興味をしめしちゃってね。いっしょにいくわって。うん、たのしんでくるよ。
- 田口線のあとをあるいたことは…|いわせあきひこ|フェースブック|2018年9月22日23:53
- 田口線の起点、本長篠(ほんながしの)まで - 2018年9月はつか - あきひこゆめてつどう|2018/09/22
- 三河大草駅…|いわせあきひこ|フェースブック|2018年9月20日16:01
- 三河大草駅、いぇーい!
田口線廃線あとめぐり、たのしい(^-^)
(51あ)、(51い) 三河大草 - 田口線廃線あと
- 三河大草駅、いぇーい!
- 内金(うちがね)トンネル…|いわせあきひこ|フェースブック|2018年9月20日11:35
- 内金(うちがね)トンネル、いぇーい!
きょうはあめんなか田口線廃線あとめぐり♪
(41あ)、(41い) 本長篠 - 内金トンネル
- 内金(うちがね)トンネル、いぇーい!
- まぼろしの 遠美線 - あきひこゆめてつどう|2013/01/16
- で、この 天竜浜名湖鉄道に ついて しらべる うちに、じつは さいしょの 計画は まっと ちがう 路線だったって ことが わかった。
- 掛川 (かけがわ)から 天竜二俣 (てんりゅうふたまた)までは いっしょだけど、ほっから 西北 方向に ぐいぐい〜っと おくみかわ (奥三河)の やまん なかに はいってって、中央線の 恵那 (えな)まで いくって いうのが さいしょの 計画だっただ。なまえは 遠美線。おおーっ! まえに 「電車で おくみかわに いきたいな」って ブログ かいただけど、まさに ほの ときに おれが かんがえた 路線 計画と おおくの 部分で 合致するじゃんか!
- 遠美線、まあ いっかい 復活させたい 構想だ。
- 電車で おくみかわに いきたいな - あきひこ ゆめてつどう|2012/04/10
- 田口線の展覧会 - あきひこゆめてつどう|2016/11/18
- まるで渓谷鉄道だ - 飯田線で飯田から豊橋までいってみて - あきひこゆめてつどう|2014/05/13
- 本長篠(ほんながしの)に到着。しましきホーム1面2線のりょうがわに側線あり。みぎがわ側線は国鉄配線なごりの駅舎直結ホームのようにみえた。
- ところで、ここ本長篠からは豊橋鉄道の田口線っていう線がでとって、こっから田口っていうとこまでの22.6キロをむすんどっただけど、まあはい半世紀もまえのはなしだ。
- 駅のまわりは「まち」のふぜい。構内ふみきりを駅舎のあるみぎがわにわたったとこに、「鳳来寺山(ほうらいじさん)登山ぐち」のたてかんばんあり。あー、小学校5年生のとき、やまの学習で鳳来寺山にのぼっただけど、ほういやあこの駅からおりていっただったかな~。ってか、これも半世紀まえのはなしだで、ひょっとしたら廃止直前の田口線にのりかえていったのかな。おもいだせるはずもない。
- 車内をみると、やっぱりだいぶようけのっとるわ。本長篠をすぎると、たんぼもあらわれる。飯田をでてからはじめてみるたんぼか。
- 本長篠(ほんながしの)に到着。しましきホーム1面2線のりょうがわに側線あり。みぎがわ側線は国鉄配線なごりの駅舎直結ホームのようにみえた。
- 豊橋鉄道田口線あとをたずねて|減速進行|1993年9月
- この路線は愛知県内でも人口の少ない地域で全線が山に囲まれており、よくぞこの場所に私鉄が開通したものだと感心する。人の輸送だけではなく木材搬出も大きな目的だったことは間違いなく、沿線二箇所で森林鉄道が接続していた。
- 晩年は豊橋鉄道に合併したが、貨物輸送の減少、自動車交通の発展と共に姿を消した。
- 豊橋鉄道田口線 - Wikipedia
- 八橋村水没からみる設楽ダム - あきひこのいいたいほうだい|2016/01/20 〔ついか〕