どう なる 折尾駅

福岡県に 折尾 (おりお)って いう 駅が ある。1891年の 開業 以来の 駅舎を とりこわす 予定だっただけど、いま 歴史 遺産と して のこすべきだって いう こえが あがっとる。

JR九州 折尾駅 (おりおえき) (あさひ)
JR九州 折尾駅 (おりおえき) (あさひ)


〔レトロな 折尾駅、こわすだなんて〕

JR九州 鹿児島線筑豊線が まじわる 折尾駅の 駅舎は、大正 時代に いまの かたちと なった にほん はつの 立体 交差駅だ。JR九州北九州市は、線路の 高架化 事業に ともない 駅舎を とりこわす 方針を きめとるだけど、じもとの 住民 団体から 「あまりにも おしい」と 保存 活用を もとめる こえが あがっとる。

住民 団体 「歴史遺産『北九州市レトロ』を創る会」が 北橋健治 北九州 市長と 北九州市 議会に 駅舎の 保存 活用を 要望、陳情したのは 2010年 11月 にじゅうよっか。北九州市 議会では 建築消防委員会で 閉会中に 審査する ことを きめた。北九州市 議会には 2009年にも べつの 団体から 保存を もとめる 陳情が だされ、継続 審査に なっとる。


折尾駅は 1891年に たてられた 駅舎を 1916年に 増改築して いまの かたちに なった。2階 だてで 1階に 筑豊線、2階に 鹿児島線が のりいれて おり、両線の ホームを つなぐ れんが づくりの 通路が ある。外装は 1986年に てを いれたけど、まちあい 円形 ベンチや 格子 天井、化粧 ばしらなどは 当時の ままだ。

北九州市は 2009年、市民らが 参加して 駅 周辺の まちづくりを かんがえる 「おりお未来21協議会」との 協議を もとに、駅舎を 解体して ちかくに 「複製 保存」する 方針を きめた。大正 時代の 外観を 再現し、当時から のこる 部材を 活用する 計画だ。ただ、かり 駅舎 用地の 買収が すすんで おらず、解体 工事の 着手 時期は 未定と いう。

北九州市に よると、たてかえを きめたのは 利用者に 不便な 面が ある ためと いう。構造が 複雑で まよう 客が おる ほか、筑豊、鹿児島 両線を むすぶ 短絡線の ホームが ある 鷹見口とは 約 150メートル はなれて おり、のりかえが 不便な ことも 理由に あげる。

これに たいし 「歴史遺産『北九州市レトロ』を創る会」は 駅舎 中央部を ひきや 方式で 移動し、かり 改札 ぐちと して 活用する ことを 提案。「駅舎を 折尾の シンボルと して 活用できる。部材の すべてを 現状の まま のこせるし、事業費も やすあがりだ」と 利点を とく。


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この 会は、かつて 筑豊の 石炭を はこんだ 堀川運河や 旧 西鉄 電車の れんが づくり 高架橋と ともに 「折尾レトロ地区」を つくる 構想を えがき、おなじく 一部が こわされる ことに なっとる れんが づくり 高架橋の 保存 活用も 要望しとる。

北九州市 折尾総合整備事務所は 「移動させて 駅舎 スペースが 確保できるのか 疑問。ひきや 方式に 駅舎が たえれるか 調査も 必要だ」と はなしとる。

歴史 ある 駅舎の 保存 論議が どう 展開するかは 不透明だ。ただ、九州共立大学尾道建二 教授 (歴史意匠学)は 「折尾は 石炭 運搬で さかえ、駅舎は 旧 遠賀郡 (おんがぐん)の おもて 玄関だった。その 歴史を つたえる 駅舎を 解体する ことは 歴史を けしさる ことだ。たてものは つかわれてこそ 価値が ある」と はなしとる。
(坂本康浩氏)

1891年って いうと わが 安城駅 (あんじょうえき)が 開設された としでも ある。こちらは 開業時の 駅なんか とっくに ないだけど、レトロな 折尾駅、つかった まま のこしたいって いう きもちも わかるし、こんなに ふるい たてものが 近代的な 駅と して つかって いける ものなのかって いう 不安にも うなずける。

のこすべきか のこさざるべきか、それが 問題だ。



(さんこう)