西尾から 岡崎に いく 鉄道が あった

いま 西尾から 岡崎に いくには、いっかい 名鉄 西尾線で 新安城 (しんあんじょう)に でて、ほっから 名鉄 名古屋本線に のりかえて 東岡崎に いくって いう ふうに、三角 航法で いかにゃ いけん。西尾から 東北 方向に すすんで、まっすぐに 岡崎に いけたらな~ってのは、だれもが おもう とこだ。ほんな 鉄道が むかしは あった。ほれが こんかい 紹介する 西尾鉄道で、ほの おおまかな 歴史を つぎに しるす。

西尾鉄道の 開業

1911年 10月 30日、西三軌道って いう なまえの 会社の てに より、軌間 762ミリの 軽便 鉄道 (けいべん てつどう)と して、西尾-岡崎新間 13.3キロが 開業。1日 2往復で 所要 時間 50分だったって いう。表定 速度 16.0キロって いう おそさが 軽便 鉄道だって ことを ものがたるだけど、当時は これが 全国で はやったらしい。ちなみに いまも 軽便 鉄道と して のこるのは、近鉄 内部線 (うつべせん)、八王子線 (はちおうじせん)と 三岐鉄道 (さんぎてつどう) 北勢線 (ほくせいせん)の 2か所だ。

28-111030 「西尾鉄道と岡崎」展 軽便 鉄道と パノラマスーパー
軽便 鉄道 西尾鉄道の 客車 (てまえ)
26-111030 「西尾鉄道と岡崎」展 軽便 鉄道 時代の 西尾駅 (藤井建氏)
軽便 鉄道 時代の 西尾駅 (藤井建氏)

西三軌道から すぐに なまえが 西尾鉄道と かわって、こんどは にしに 路線を のばす。1914年 10月 30日、西尾-港前間が 開業。港前ってのは 平坂港 (へいさかみなと)の ことだ。

ほの つぎは みなみに 路線を のばす。1915年 2月 15日*1、西尾-一色口間が 開業。一色口ってのは いまの 福地 (ふくち)。3月 じゅうよっか、一色口-横須賀口が 開業。8月 いつか、横須賀口-吉良吉田 (きらよこすか)間が 開業。この 吉良吉田は いまの 吉良吉田から ちょっと はなれた とこに あった。1916年 2月 12日、吉良吉田-吉田港間が 開業。この 西尾から 南部 方面への 路線は、のちに 名鉄の 前身の ひとつ 愛知電鉄の ものと なり、いまも 名鉄 西尾線の 一部と して はたらいとる。

西尾駅 汽車 時間表 (1923年 7月 ついたち 改正) 573‐324
西尾駅 汽車 時間表 (1923.7.1 改正)

西尾鉄道に はなしを もどすと、さいしょの 開業から 5年で、東北は 岡崎、にしは 平坂港、みなみは 吉良吉田までの 全線が 完成した わけだ。

西尾鉄道 路線図 01 全体
西尾鉄道 路線図

名鉄 系列に

1926年 12月 ついたち、名鉄の 前身の ひとつ 愛知電鉄に 吸収 合併され、西尾鉄道と しての 歴史は 15年で おわる。

改軌と 電化

1928年 10月 ついたち、西尾-吉良吉田間で、軌間 762ミリから 1067ミリへの 改軌と、600ボルト 電化が 完成。1929年 4月 ついたち、西尾-岡崎新間も 同様の 改軌、電化が 完成。こいで、西尾鉄道の かおりも かなり うすれたじゃ ないかと おもう。

レールの 撤去

1943年 10月 ここのか、軍需 むけ 新線 建設の ためと して、西尾-岡崎新間 12.7キロの レール 撤去 命令が だされ、おんなじ 1943年 12月 16日には この 間が 休止と なる。1911年の 開業から つづいた、西尾と 岡崎を むすぶ 鉄道の 歴史は、32年で おわりを つげた。ほれから、ことし 2013年で まあはい 70年が たつだよ。

西尾鉄道 路線図 02 港前-西尾間 拡大
港前-西尾間 拡大
西尾鉄道 路線図 03 岡崎新 周辺 拡大
岡崎新 周辺 拡大
西尾鉄道 路線図 04 吉良吉田 周辺 拡大
吉良吉田 周辺 拡大

おわった あと

1944年 1月 11日、鉄道に かわって 名鉄バスが 西尾-岡崎間で 運行を 開始。戦后と なった 1951年 12月 ついたち、旧 西尾鉄道 土呂-岡崎新間が、福岡町-岡崎駅前間と して、鉄道での 運行を 再開。これは 名鉄 岡崎市内線の 延長って いう 性格だ。この 福岡町-岡崎駅前間も、岡崎市内線 ともども 1962年 6月 17日に 廃止と なる。


(さんこう)

*1:ヰキペディアでは1915年2月13日になっとる。