西三河の鉄道のうつりかわり21回め=三河鉄道の一部廃止

21回めのこんかいは、時代も21世紀にはいった2004年。三河鉄道の一部廃止。

2004年4月ついたち、西中金(にしなかがね)-猿投(さなげ)間と碧南(へきなん)-吉良吉田(きらよしだ)間が廃止になる。三河鉄道が1914年に刈谷-碧南間で開業させ、1928年までのあいだに、きたは西中金、みなみは吉良吉田まで路線をのばして、一応の完成。1941年、名鉄に経営を移行して三河線となってからも、連綿と運行をつづけてきたもんが、時代がくだって21世紀にはいった2004年、猿投以北と碧南以南の両端区間がいっぺんに廃止になる。当初区間の開業から90年。

きたがわで、西中金から足助(あすけ)までいくっていうゆめは完全にたたれて、みなみがわで、名古屋本線西尾線とあわせて形成されとった鉄道のわはたたれた。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 21.三河鉄道の一部廃止
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 21.三河鉄道の一部廃止

ちなみに、猿投以北では1985年から、碧南以南では1990年から、それぞれレールバスが投入されて、まあはい名鉄電車じゃなくなっとった。ほいから、最晩年には沿線自治体があかじほてんすることで運行を継続しとったものを、ちかい将来の矢作川鉄橋のかけかえにともなう莫大な費用負担をおそれた西尾市が存続を断念したことによって、ほかの沿線自治体もこれに追随して、廃止にいたってっていう。


(さんこう)