上井駅(あげいえき)、打吹駅(うつぶきえき)
スーパーはくとの起点、倉吉のはなしだ。倉吉のえきからみなみに倉吉線っていう線が分岐しとったげな。っていうか、倉吉のまち自体、倉吉のえきから天神川(てんじんがわ)、小鴨川(おがもがわ)を4.2キロさかのぼったとこにあるだ。倉吉のえきももともと上井駅(あげいえき)っていうなまえだって、ほっから倉吉のまちまでつないで、さらにみなみにいくのが倉吉線だ。倉吉って、にほんかいに面したまちっていう印象があるけど、ほじゃないだ。かわの湾曲部分に南北にやまにかこまれて、倉吉のまちがたたずむ。おんなじ山陰の豊岡ににたかんじじゃないかなっておもう。っていっても、倉吉も豊岡もまんだいったことがないだけどね。ほいで、ほの倉吉のまちにあったのが打吹駅(うつぶきえき)っていうえきなだけど、1972年まではこのえきが倉吉駅(くらよしえき)をなのっとったげな。倉吉線が1985年に廃止になって、倉吉駅あらため打吹駅がなくなったいまも、上井駅あらため倉吉駅のことを「上井のえき」ってよぶひとがおおいらしい。あっこは倉吉じゃなくて上井だよってことだね。ちょうど東海道線の岡崎駅が市街地からとおくはなれとって、ながいあいだ「羽根(はね)のえき」ってよばれとったのとおんなじようなもんだ。
倉吉線の廃線で打吹駅をなくした倉吉のまち
さて、廃線でえきがなくなっちゃった倉吉のまちのようすが、つぎのように朝日新聞にでとった。
- 倉吉線廃線あとはいま - 旧市街地に再生のいごき:朝日新聞(柏樹利弘さん)|2017年1月10日11時41分
- 姿変え「再生」街も続け
日差しが届かないほど木々が生い茂っていた。その中を一直線に伸びる2本のレールが、かつて鉄道があったことをしのばせる。昨年2016年11月下旬、倉吉市関金町に残る旧国鉄倉吉線の廃線跡を歩いた。
△ 関金町(せきがねちょう) - 倉吉線廃線あと(あさひ) - 「ここまで手つかずで残っている廃線跡は珍しいですよ」。案内してもらった倉吉観光マイス協会の塩川修さん(46)が話した。少年たちがレールの上を歩くシーンが印象的な映画「スタンド・バイ・ミー」を思わせる。すると、一部が盛り上がったレールが目に入った。伸びたカラスザンショウの根がレールの下に食い込んだから、との塩川さんの説明を聞き、時の流れを感じた。
- 倉吉線は山陰線の支線として、1912年に開業。山陰線の上井駅(あげいえき)(1972年に倉吉駅に改称)と倉吉市中心部の倉吉駅(同年に打吹駅(うつぶきえき)に改称)を結び、延伸を重ねた。最終的には山守駅(同市関金町)までの約20キロになったが、マイカー時代の到来とともに乗客が減少。1985年春に廃止された。
- 線路はほとんどが撤去され、道路に姿を変えたが、関金町内の約2キロはそのまま残された。忘れ去られていたが、2007年、倉吉観光マイス協会の前身・倉吉市観光協会が観光に活用しようと、15人以上の団体を対象としたやまあるきツアーを始めた。線路に加え、プラットホームやトンネルなども残っていることから、年間600人が訪れる人気企画となった。
- この企画に関わり、倉吉線を最後に走った列車に乗ったという塩川さんは「倉吉線を忘れずにいてほしい」と願う。
- 打吹駅がなくなった中心市街地は
廃線は倉吉の街に変化をもたらす一因となった。今の倉吉駅周辺に商業施設などができた一方、打吹駅がなくなった中心市街地は少子高令化などもあり、活気が失われた。老舗百貨店「ホテイ堂」など大型店が相次いで閉店し、多くの買い物客を集めた倉吉銀座商店街はシャッターを下ろしたままの店舗が目立つ。 - 商店街の振興組合はにぎわいを取り戻そうと、2016年7月に週1回催していた「土曜夜市」の回数を増やし、地元以外からも屋台を出してもらっている。倉吉市は利活用できる空き店舗の調査を進める。
- 2015年、銀座商店街の空き店舗の一つが改装され、雑貨店兼カフェ「モダン」が開業。店内には商店街がにぎわっていた1970年前后のカラフルな家具や雑貨、当時活躍したアイドルのポスターが飾られている。「銀座はやっぱり楽しい街なんだと知ってもらいたい」と店主の大口義敬さん(36)。
△ 倉吉銀座の喫茶「モダン」(あさひ) - 銀座商店街の近くで生まれ育ち、中学時代は「背伸び」して商店街の喫茶店に通い、レコード店で流行の音楽に触れた。その后、愛着ある店が次々に閉店し、胸を痛めていた。いつしかここで店を開こうと心に決めたという。
- 商店街でビアガーデンや屋台の味を楽しんでもらう「大衆酒場」などを開き、集客に努めている。義敬さんと店を切り盛りする妻の徳子さん(36)は「もう一度、銀座商店街が(市民の)生活の一部に位置づけられるようになってほしい」と話した。
- 姿変え「再生」街も続け
◇ ◇
うん、倉吉のまちからずっとみなみにいった関金町(せきがねちょう)じゃあ、廃線あとを利用したやまあるきツアーがはじまって、打吹駅(うつぶきえき)をなくした倉吉のまちじゃあ、おおがたこうりてんが閉店しちゃって、商店街もシャッター街になっちゃっただけど、あき店舗を活用したあたらしいみせが登場したか。
倉吉線には未成線もあった
ところで、しらべをするうちに、この倉吉線に未成線があることをしった。上井(あげい)-山守(やまもり)間20.0キロが往時の倉吉線だっただけど、じつは終点の山守からさらにみなみにすすみ、岡山県は真庭市(まにわし)にはいって、姫新線(きしんせん)の中国勝山(ちゅうごくかつやま)につなぐ予定だっただげな。
◇ ◇
いや~、盲腸線より、こうやってほかの線につながっとったほうがいいよね。でも、山陰線がわの倉吉市で人口5万人弱、姫新線がわの真庭市も人口5万人弱ってのは、鉄道に独立採算をもとめる現在のにほんじゃあ、鉄道の存続はむづかしいか。
(さんこう)
- スーパーはくとの智頭急行の車掌さん - あきひこゆめてつどう|2017/01/08
- 歩鉄の達人(廃線・動態保存機関車・マンホール写真・廃道・隧道・ヲーキング)
- 廃線探索 - 倉吉線(歩鉄の達人)
- 倉吉線(くらよしせん)は、かつて鳥取県倉吉市の倉吉駅から東伯郡(とうはくぐん)関金町(せきがねちょう)(現在は倉吉市の一部)の山守駅まで結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により、1981年に特定地方交通線第1次廃止対象線区として承認され、1985年4月1日に全線廃止された。
- 全線を通して運行される列車のほか、打吹駅、西倉吉駅、関金駅を発着する区間列車が設定されていた。なお、泰久寺・山守の両駅では客車列車の折り返しができなかったため、山守まで運転される列車はすべて気動車が使用され、客車列車は倉吉 - 関金間で運行された。開業時から廃止されるまで優等列車の設定はなく、すべて普通列車であった。1984年2月のダイヤ改正まで混合列車が残っていた。
- また、1980年時点では上下あわせて27本の列車のうち、表定速度が時速20km(キロメートル)以下の列車が9本あり、「日本一の鈍足列車運転線区」とも評された。さらに、最も表定速度の遅い普通列車として当線の列車が紹介されたこともあった。この時紹介された「424列車」は西倉吉から倉吉までの6.8kmに27分もかかっており、表定速度は15.1km/hで「マラソンランナーより遅い」と評されていた。これは、当線の線路等級が低く(簡易線)、30kgレールが用いられており、その後の高規格化工事も行われなかったため、軸重の大きいDE10形ディーゼル機関車が牽引する列車は、高速で運転することができなかったためである。
- 日本国有鉄道 倉吉線(廃線)
倉吉駅 - 上灘駅 - 打吹駅 - 西倉吉駅 - 小鴨駅 - 上小鴨駅 - 関金駅 - 泰久寺駅 - 山守駅
- 廃線探索 - 倉吉線(歩鉄の達人)
- 廃線鉄道寮
- 倉吉線 - Wikipedia
- 倉吉駅 - Wikipedia
- 打吹駅 - Wikipedia
- 中国勝山駅 - Wikipedia
- 天神川水系(天神川・小鴨川・国府川)国管理区間における重要水防箇所について|倉吉市行政サイト
- 天神川 - Wikipedia
- 小鴨川 - Wikipedia
- 国府川 (鳥取県) - Wikipedia
- 倉吉線の路線図 - おぼえがき|2017/01/11 〔ついか〕