こんかいは和歌山のまちにはいる。紀伊半島のたびふつかめの2017年8月17日、ひるまでにオーシャンアローで白浜から和歌山まで移動。食事をすませてたま電車にのったあと、紀和支線のみずいろ電車で和歌山から和歌山市まで移動。電車をおりて、和歌山の象徴であるおしろを見物したり、まちをぶらついたりした。以下に、ほのときのようすを紹介する。
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13時47分、和歌山駅からのった紀和支線のみずいろ電車で和歌山市駅にとうちゃく。ふたつのえきはおんなじ和歌山市内にあるだけど、和歌山駅のほうがJR西日本の代表駅であるのにたいして、和歌山市駅のほうは南海の代表駅だ。和歌山駅はそもそも東和歌山駅っていうなまえで開業しとることからも推測できるとおり、ほこは和歌山でさえなかった。いっぽう、和歌山市駅はまちなかからちかくて、鉄道のほうも、きたは大阪のなんばに直行できるほか、紀ノ川(きのかわ)をわたってすぐににしに分岐して加太(かだ)の漁港にいけるし、みなみは紀ノ川河口部の和歌山港駅まで線路がのびとって、ほっからふねにのりかえて四国にもいけるっていう優位にある。ところが、さいきんは和歌山駅のほうがにぎやかだってきく。現に、たま電車にのるまえにみた和歌山駅のえきまえどおりには、りっぱなビルがたちならんどった。JRが民営化になって運行本数もふえて運行速度もはやまって、大阪にいくのに便利になっただけじゃなくて、ほのことで大阪から京都や神戸方面にもつながるJRの鉄道網が有効的につかえるようになったことが原因じゃないかって推測する。
ほれと、紀和支線についていっとくと、これがじゅうぶんに活用されとらんことがおしい。和歌山市内のふたつの主要駅をむすぶのに、まちなかからおおきくきたにとおまわりしてはおるだけど、あさゆうが1時間に2本、ほれ以外の時間帯は1時間に1本っていうのはいっくらなんでもすくなすぎる。
さて、南海のばかでっかいターミナルビルをせに、和歌山市駅からみなみ、まちなかにむかってあるく。南海のビルはこれからたてかえの予定で、いまはどんがらだ。さいしょに、えきまえによこたわる、ばかひろいクルマどおりをわたる。こいつはえきとまちを分断するもんでしかない。わたったあとは、ほっからむこうにまっすぐにのびるおおどおりをあるく。いっぱいみせがたちならんどって、むかしのにぎわいをおもいうかべることはできるけど、活気がない。ひとどおりがすくなくて、のどかなかんじがただよう。
いや、ほれにしても、あっつい。このひはあつさまっさかりのひで、ひかげをたどってあるく。舟大工町(ふなだいくまち)交差点で中央どおりに合流。むきを、ほれまでの東南方向からまみなみにかえる。じきに、おほりにつきあたる。いや、ただしくはかわだって、もともと和歌山城のそとぼりだったもんが、いまは市堀川(しほりかわ)っていうかわになっとるもんだった。かわはじゅうぶんなはばがあって、両岸にはビルがたちならぶ。ちょうど、わが名古屋の堀川(ほりかわ)みたいだ。
城北橋(じょうほくばし)で市堀川をみなみわたって、いったんむこうぎしをにしにいく。きょうとまるやどににもつをおいてくるだ。このやども市堀川に面する。また、中央どおりをみなみにすすむ。西汀丁(にしみぎわちょう)交差点までいったとこで、東南方向におしろをみつける。広大なしきちのなかに和歌山城がそびえる。
こだかいやまのうえにある天守閣をめざす。容赦なくてりつけるおひさんにあせがふきだして、アンダーシャツからポロシャツまでぐっしょりだ。
とちゅうに、おもしろいはしを発見。うちぼりにかかるきのはしなだけど、わたりろうかみたいにりっぱなやねつきでかこってあって、はしっこからはしっこにおおきく傾斜しとる。
天守閣への入場門にたどりつく。いや~、門のたてもんもとなりのやぐらもじつにりっぱだ。
入場料をはらって門をくぐると、また、べつのやぐらがある。これもじつにしぶいだけど、たてもんとたてもんをつなぐわたりろうかもあって、これもじつにおもみをかんじさせるもんだ。
むきをかえて、天守閣をあおぐ。
天守閣にのぼって、四方をみわたす。きたに和歌山のまちがひろがる。まちのむこうが和歌山市駅で、ほのむこうに紀ノ川(きのかわ)がながれる。
ひがしにもまちがひろがる。まちのむこうが和歌山駅だ。
みなみに住宅街がひろがる。
にしにも住宅街がひろがるほか、みぎのほうに紀ノ川の河口部もみえる。
したの階で、1958年に再建したときの映像をみせてくれる。鉄筋コンクリートでの再建ではあるけど、じつに忠実にていねいに復元してあることがわかる。映像のなかに、おしろが和歌山のひとたちのほこりになっとるっていうかたりがはいっとったけど、なるほどってうなずけるわ。ほれと、この壮麗なおしろに、江戸時代、紀州藩が徳川ご三家のひとつだったことがだてじゃなかったことを、おもいしる。
天守閣からふもとにもどるとちゅうに、おはしろうかをわたってみる。いや、とおらせてくれるとは。
おおー、ひろい! うえからしたへおりるかたちで、とおっていく。きのゆか、きのてんじょうに、つちのしらかべ。ゆかは、きのいたのはしっこをかさねて、ちょっと階段みたいなかたちにしてあるだけど、どういうわけかうえのほうでいたがかさねてあって、いたの上面がいっそう傾斜することになってふみ面にならず、はばのごくせばいいたのよこっちょをふみ面にして、おりていく。このおはしろうか、とのさんがおおおくにわたるためにつくったもんだってことだけど、ぜいたくなもんだ。
ふもとまでおりて、わかやま歴史館にはいる。コンピューターグラフィックスによる空中さつえいで和歌山城の壮麗さをみせてくれる。
(17) CG和歌山城 (1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(22) そらからみた和歌山城
ほれから、紀州藩の支配地がパネル展示してあっただけど、これにはおどろいた。支配地は紀伊のくに一国にとどまらず、伊勢のくにのみなみ半分まではいっとるじゃんか。まえのひに伊勢のくにから紀伊のくにへとワイドビュー南紀3号でとおってきただけど、まあはい松阪からが紀州藩の領土だったとは。栄枯盛衰。
和歌山を藩都とする紀州徳川家は、紀伊国、伊勢国、大和国の一部と紀伊半島のほぼ全域を藩領とした。このような広大な領域をおさめるため、政治、経済的に重要なばしょに城郭がいとなまれた。このなかで、田辺城(たなべじょう)と新宮城(しんぐうじょう)を中心とした領域は付家老(つけがろう)の支配する特別な地域としてあつかわれておった。
(23) 紀州藩の支配地、(24) 説明がき
こんどは昭和の和歌山だ。一部、明治、大正のものもふくめて、むかしの和歌山のまちの写真が展示してある。1968年、路面電車がはしっとる! あとでまちあるきするだけど、和歌山ってみちがひろいだ。路面電車がはしるのにじゅうぶんなひろさがある。真砂丁(まさごちょう)ってのは、中央どおりを和歌山城よりみなみにいったへんの地名。
1965年ごろのぶらくり丁(ぶらくりちょう)。この路面電車のはしっとる南北のめぬきどおり、本町どおりから直角にひがしにはいっていくアーケード商店街で、和歌山きっての繁華街だ。ひとがいっぱいあるいとるよ。ちなみに、本町どおりは中央どおりよりもひがしに位置しとる。
おんなじぶらくり丁だけど、時代をさかのぼった1929年のもの。いや~、ひとどおりであふれかえっとる。
1937年の本町どおり。まんなかに路面電車の軌道があって、りょうがわをひとがいっぱいあるいとる。丸正百貨店ってのは、ヰキペディアでしらべると和歌山のしにせ百貨店だっただけど、2000年になって倒産しとる。
1909年、和歌山市駅停留場のはな電車。明治の開業期のもんだ。
昭和初期っていうと1920年代后半か。本町どおりが市堀川をわたるとこにかかる京橋。いしづくりのはしがあって、むこうにいしづくりのたてもんがある。じっさい、あとでいってみただけど、このいしづくりのたてもんがかたちをかえていまにのこる紀陽銀行本店のたてもんにちがいない。
1920年代后半の元寺町(もとでらまち)どおり。はっきりわからんけど、ぶらくり丁のひがしあたり。この商店街のにぎわい、すばらしいもんだね。
1923年の公園前停留場。公園も路面電車でいける。
昭和前期っていうと戦前か。和歌浦(わかのうら)-権現前間をはしる路面電車。和歌浦っていうと、和歌山のまちからずーっとみなみにいったとこにある景勝地だ。権現前の権現は紀州東照宮のこと。いまのJR紀勢線のえきでいうと紀三井寺駅(きみいでらえき)がちかいだけど、ほんなとこまで路面電車がいっとっただ。
1928年、本町どおりをはしるはな電車。いや、花電車すごいね。かんぬしさんが運転して、だしをひっぱっとるし。とおりのりょうわきには、たかだかとかかげられたちょうちんがずらっとならんどって、見物客がいっぱいだ。
壮麗な和歌山城をみて、すばらしい昭和の和歌山のにぎわいをみたあとは、いったんやどにもどる。休養をとってゆうがたになったとこで、まちあるきにでる。むかうはもちろん和歌山きっての繁華街ぶらくり丁だ。やどでもらった「和歌山の中華そばとラーメンたべあるき地図」にも、ほういうふうにかいてある。
城北橋(じょうほくばし)から市堀川(しほりかわ)の北岸をひがしにすすんだとこで、ごっつい鉄骨ぐみのトラス橋を発見。中橋っていうはしだ。はしからみなみをみると、むこうに和歌山城がそびえる。
また、ひがしにあるいて、京橋にでる。いや~、じつにりっぱなはしだ。わかやま歴史館の「昭和の和歌山」展にも写真があったはしだけど、よすみの石柱なんか当時ほのままのもんじゃないか。はしから南北にのびるとおりが、めぬきどおりの本町どおりだ。
京橋から本町どおりをきたにあるくとこで、すぐみぎに紀陽銀行本店のたっかーいビルがある。いや、このビルのまえにたつ4本の巨大な石柱も、「昭和の和歌山」展の写真のときのもんじゃないか。
まあちょっとあるいて、ぶらくり丁のいりぐちまできた。いや、まあはい6時半だっていうのにだあれもあるいてないぞ。
ぶらくり丁をつきぬけて、中ぶらくり丁にはいる。やっぱりだあれもあるいてない。
中ぶらくり丁をつきぬけて、雑賀橋(さいかばし)っていう由緒ありげなはしをわたると東ぶらくり丁になるだけど、こっちからみとおしてみるだけでだあれもあるいてないことがわかる。
中ぶらくり丁のいりぐちまでもどって、南北のおおどおり築地どおりをきたにいく。1丁いったとこで北ぶらくり丁のいりぐちがあって、こっからにしにはいっていくだけど、やっぱりだあれもあるいてない。
けっきょく、どのぶらくり丁にもひとはあるいてなかった。なんちゅうことだ。ぶらくり丁のどっかでばんめしにせえっておもっとっただけど、これもかなわず。
まあちょっとでやどにもどっちゃうってとこで、城北橋きたづめひがしかどにあった麺屋ひしおっていうみせにはいって、和歌山ラーメンをくう。和歌山っていやあ和歌山ラーメンなだけど、ほういうみせがあつまってあるとこがあるわけじゃない。まちなかに、まちからはずれたとこに、点在しとるらしい。ほのために、いいみせに案内してくれるラーメンタクシーまであるっていう。いや、ほんなことはおいといて、この麺屋ひしおのしょうゆラーメン、みためはこってりだけど、じつはのどごしすっきりのさっぱりあじ。うまかったわ~。
(42) 麺屋ひしお - ぎょうざ、(44)、(45) 麺屋ひしお - しょうゆラーメン
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(さんこう)