白子(しろこ)のまちをあるく - 2018年3月13日

予定を変更しておりた白子(しろこ)のえき。はじめておりたえきだったけど、まちあるきをしてみた。

2018.3.13 白子 (56) めんくいくん - 店内 1920-1080

◇            ◇

12時32分、名古屋からのった松阪いき急行で白子にとうちゃく。橋上かいさつからえき正面のにしがわにおりてみる。まったいらなえきまえロータリーだ。ひとのあるくばしょもたっぷりとってあって、クルマの進入部分とのさかいめに柵も段差もない。ほんとにすっきりしとる。こいでいいだ。白子地区史跡案内図ってのがある。むかしの伊勢参宮街道がえきのひがしがわをとおっとって、みなともある。とりあえずはらごしらえがしたくてえきまえどおりをのぞいてみるけど、シャッターのしまったみせばっかりでめしやさんなんかありそうもない。

2018.3.13 白子 (48) 白子地区史跡案内図 1906-1072
(48) 白子地区史跡案内図

こんどはえきのひがしがわにおりてみる。こっちのほうがさびれとるだらあけど、めしやさんの1軒ぐらいあるだらあ。むかしのまちなみをみてあるくとちゅうでみつけれやいいや。こっちにもえきまえどおりがある。えきのにしがわのえきまえどおりとまぎらわしいで、かりにひがしえきまえどおりってよぶことにして、このひがしえきまえどおりをひがしにすすむ。みちはばもひろくて歩道もあるとおりだけど、クルマははしっとらんくて、ひとどおりもほとんどない。いくつかみせもあるけど、やっとるだかやっとらんだかっていうかんじだ。お食事どころを発見したけど、ずーっとみせじまいの状態だった。どんどんあるいていく。銀行がある。はなやさんがある。たべれやへん。伊勢参宮街道をよこぎったとこでひがしえきまえどおりはつきて、みなとにでた。みなみのほうにふねがなんそうかとまっとって、きたのほうの開口部からはとおく知多半島がみえる。これが白子港(しろここう)か。白子って近鉄特急の停車駅っていうだけしか印象がなかったけど、みなとまちだっただ。

2018.3.13 白子 (49) 白子港(みなみ) 1850-1040
2018.3.13 白子 (52) 白子港(きた) 1920-1080
(49) 白子港(みなみ)(52) (きた)

堤防どおりにたて看板がふたつたっとる。ひとつめが「大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)ら遭難の運命をもしらず江戸にむけ出帆(しゅっぱん)したみなと」。おお、江戸時代にふねの遭難でロシアまでいっちゃった大黒屋光太夫ってきいたことあるわ。ほのふねの出発地がこの白子港だったとは。ほいで、紀州藩のおかげで江戸へのつみだし港としておおいにさかえたってかいてある。まえにわかやま歴史館にいったときに、紀州藩の支配地が伊勢のくには松阪にまでおよんどったことをしっておどろいただけど、松阪よりきたの、いまは鈴鹿市の区域になるここ白子にまでおよんどっただな。

2018.3.13 白子 (50) 白子港 - 大黒屋光太夫の説明がき 1850-1040
(50) 白子港 - 大黒屋光太夫の説明がき

ふたつめが「平氏水軍白児党(しろことう)根拠地のみなと」。ほー、大和朝廷の時代から天然の良港だって、平安時代は古市(こいち)っていう地名だっただけど、にほん各地の需要品のいちがたつほどにぎわったのか。ほいで、源平時代に平家にあらずんばひとにあらずっていうほどの栄華をきわめた平氏だけど、ほの水軍がこの白子港を根拠地にした伊勢平氏だっただ。みんなしろいぬのをまとっとったで、白児党ってよばれただげな。

2018.3.13 白子 (51) 白子港 - 平氏水軍の説明がき 1850-1040
(51) 白子港 - 平氏水軍の説明がき

白子にこんな歴史があることにはおどろいたけど、このたて看板の位置はひどいもんだ。堤防どおりのすぐわきにたっとって、クルマにひかれそうになりながらみるしかないだ。市制50周年記念でたてたもんらしいけど、まあちょっとかんがえてくれんと。いや、はらがへった。お、なんかひとのではいりするみせがある。っておもったら、海産物のみせだった。みなとのみなみまでいってみたけど、めしやさんはなさそうだ。

みなとのみなみはしのとこから内陸がわにちょこっともどって、伊勢参宮街道をきたにすすむ。ちょうどにわにでてクルマのタイヤ交換だかをしとったひとに、めしやさんをきいてみる。ちょっとかんがえて、この伊勢参宮街道ぞいのうどんやさんをおしえてくれる。いってみることにする。ほのままきたにすすんでみぎクランクしてひがしえきまえどおりをよこぎっていく。みぎがわに伊達家油屋忠兵衛っていうふだがかかっとる旧家がある。見学ができるたてもんじゃなかったけど、あとでうどんやさんできいたら、もよおしのときにはつかわれるたてもんってことだった。

2018.3.13 白子 (53) 白子 - 伊達家油屋忠兵衛家 1850-1040
(53) 白子 - 伊達家油屋忠兵衛家

まあちょっといったみぎがわにうどんやさんはあった。

2018.3.13 白子 (54) 白子 - 伊勢参宮街道 1800-1060
(54) 白子 - 伊勢参宮街道

うどんやさんはふるいつくりのたてもんだけど、けっこうなかはひろい。店員さんがなんにんかおるのにもおどろく。家族経営じゃないだ。てんぷらうどんを注文。ちょこっとまってでてきたうどん、うまっ! みためなんのへんてつもないうどんだけど、まずつゆがうまい。しょうゆあじで、こくがあってまろやか。麺もおれごのみのやわらか麺。いや、こんなうまいうどんがたべれたっていうだけでも白子まできたかいがあったわ。

2018.3.13 白子 (55) めんくいくん - うどん 800-450
(55) めんくいくん - うどん

てまきも追加注文。てまきずしのかたちをしたてんむすだ。ごはんがほわっとしとって、からっとあがったてんぷらにようなじんどる。こぶのつくだにもてまきにようあう。

2018.3.13 白子 (57) めんくいくん - てまき 800-450
2018.3.13 白子 (56) めんくいくん - 店内 1920-1080
(57) めんくいくん - てまき(56) 店内

はらがみたされたとこで、てうち麺の説明がきにめがいく。「当店はあじにこだわり、うどん、そばともに完全なてうち麺であり、だしは海産物問屋松下物産の厳選されたけずりぶしを使用しております」。なっとく。

2018.3.13 白子 (58) めんくいくん - てうちめんの説明がき 1280-720
(58) めんくいくん - てうちめんの説明がき

みやげ用のうっとったこぶのつくだにをかって、みせをでる。まあはいひるの営業時間をすぎた2時すぎで準備中のかんばんがでとるだけど、みせのなまえをたしかめてみると、めんくいくん。みせのおくには別館もあっただけど、こんなしにせうどんやさんにしてはかるいなまえだ。

2018.3.13 白子 (59) めんくいくん - 外観 1900-1070
(59) めんくいくん - 外観

うどんやさんでおしえてもらった伊勢型紙(いせかたがみ)資料館にいってみると、あいにくのやすみ。またのたのしみにするよ。

2018.3.13 白子 (60) 白子 - 伊勢型紙資料館(うら) 1680-1060
2018.3.13 白子 (61) 白子 - 伊勢型紙資料館(おもて) 1920-1080
(60) 白子 - 伊勢型紙資料館(うら)(61) (おもて)

伊勢型紙資料館以外に歴史資料館みたいなとこはないらしくて、あとはかんたんに2か所をみてかえる。まず、伊勢型紙資料館から伊勢参宮街道にもどって、高札場(こうさつば)あとをみる。さっきもとおった、伊勢参宮街道がクランクするとこにたっとるやつで、要は白子代官所の掲示板だ。

2018.3.13 白子 (62) 白子 - 高札場あと 1920-1080
(62) 白子 - 高札場あと

高札場(こうさつば)あとの看板からみなみをふりかえってみる。いまもむかしのふぜいをのこす街道だ。

2018.3.13 白子 (63) 白子 - 伊勢参宮街道 1850-1040
(63) 白子 - 伊勢参宮街道

つづいて、旧河芸郡代官所あと。高札場から伊勢参宮街道をちょっとみなみにいったひだりて、白子東公園がほれだ。これも看板がたっとるだけだけど、明治時代になってここに郡役所がおかれただ。ここ白子は江戸時代がおわって明治時代にはいっても、この地域の中心だったことがわかる。

2018.3.13 白子 (64) 白子 - 白子東町公園 800-450
2018.3.13 白子 (66) 白子 - 旧河芸郡役所あとのいしぶみ 540-960 2018.3.13 白子 (65) 白子 - 旧河芸郡役所あと 1850-1040
(64) 白子 - 白子東町公園(66) 旧河芸郡役所あとのいしぶみ(65) 旧河芸郡役所あと

うどんに満足して、歴史ある白子のまちに満足して、かえりの電車にのった。

◇            ◇

(さんこう)