名古屋と中山道大井をつなぐ下街道(したかいどう)にそってある土岐津(ときつ)までいってきた。土岐市の中心が土岐津。まえにおんなじ土岐市にある駄知(だち)にいってきたとこで、こんどは土岐津にいってきた。庄内川、土岐川にそって下街道と中央線がとおっとるだけど、中央線のほうは土岐津をとおっとらんくて土岐川対岸にある土岐市駅で電車をおりて土岐津のまちあるきをしてきた。土岐津は土岐口と高山にわかれるだけど、しゅくばまちでありしろもあった高山のほうをおもにあるいてきた。
〔電車道中〕〔まちあるき〕[美濃のくにえず][下街道の地図]
◇ ◇
電車道中
さいしょは名鉄。岩倉いき急行、一宮いき急行ってのりついでふるいから金山までいく。
金山で中央線にのりかえ。のりばにおりたとこで通過列車。ワイドビューしなのかっこいいな。
つぎに中津川いき快速の211系ステンレス電車がはいってきて、のる。ぎゅうづめになってやっとのりこむ。
大曽根でどばーっておりて車内はがらすきになる。ここ大曽根が名古屋の東北のげんかんで、下街道もこっから東北方向にのびる。
やだがわをわたる。
庄内川をわたる。このあと電車はみぎにゆみなって庄内川と平行していく。下街道も庄内川と平行していく。
高蔵寺のてまえでワイドビューしなのとすれちがい。いや、ワイドビューしなのをつかったホームライナー瑞浪だった。
山岳区間にはいって玉野第1トンネルをくぐる。
つづく玉野第2トンネルをくぐってすぐに定光寺(じょうこうじ)を通過。みぎしたは庄内川。
またすぐに愛岐トンネルにはいる。
トンネルのなかではんたい電車とすれちがい。
でぐちからすぐに古虎渓(ここけい)を通過。愛知県から岐阜県にはいった。岐阜県は土岐郡にはいった。みぎしたの庄内川も土岐川になまえがかわった。愛知県内は庄内川だけど岐阜県内は土岐川っていう。下流と上流でかわのなまえがかわるってのはふつうにあることだ。
諏訪トンネルをくぐる。つづく廿原トンネル(つづはらとんねる)をくぐる。
さらに、つづく池田町トンネルをくぐったさきに多治見盆地(たじみぼんち)がひろがる。
名古屋いき快速の315系ステンレス電車とすれちがって多治見に停車。
多治見のまちをぬけていく。
はんたい線とはなれて新虎渓(しんこけい)トンネルをくぐる。
またはんたい線とはなれて新久尻第1(しんくじりだいいち)トンネルにはいる。
つづく新久尻第2トンネルをくぐる。
はんたい線と合流して土岐市にとうちゃく。このえきが土岐市の代表駅になるだけど、さいしょは土岐津(ときつ)ってなまえのえきだった。下街道のとおる土岐津のまちが土岐市の中心になるだけど、えきからは土岐川をへだてたみなみがわにあって、えきができた土岐川のきたがわは土岐津とはべつの泉ってとこだった。土岐津でもないとこに土岐津のえきをつくったってわけだ。1955年、泉をふくめて近隣の町村をあわせて土岐津を中心とする土岐市が成立。中心になるまちのなまえをとらんで、郡のなまえをとって市のなまえにしちゃった。1965年、えきのなまえも土岐市にかわる。
のりばをうしろにあるいて、のぼりくだりエスカレーターのこせんきょうをわたってはんたい線のりばにおりてかいさつをでる。
まちあるき
土岐市えきまえからいったんひがしにあるいていく。きれいな街路灯があって、ところどころにまちやがある。こんな方向にこんなふぜいのあるとおりがあるとはおもわんかった。ひだりに中央線のふみきりがみえたとこで伊野川橋をわたる。みぎに東本町バス停があるとこまでいってひきかえす。
こんどはえきまえどおりをみなみにいく。泉の区域だけどえきまえらしいにぎわいはかんじる。中央小橋で伊野川をわたるとこで、みぎおくに三起屋(みきや)のビルがみえる。みぎにサンマート本店、ひだりに中央町バス停。まえに東鉄バスで駄知(だち)にいくときにとおったバス停だ。みぎに東濃信用金庫土岐中央支店とコメダのはいったたてもん、ひだりに陶都信用農協土岐津泉支店。支店のなまえを土岐中央っていったり土岐津泉っていったり、苦労しとるようすがうかがえる。
サンマート本店のとこからいったんにしに三起屋(みきや)までいってみる。2階の外壁にエドヰンジーンズのおねえちゃんのポスターがはりだしてあるだけど、なんだかなつかしい。
えきまえどおりコメダにもどってひとやすみ。コーヒーと小倉トーストのモーニングを注文。おんなじたてもんのなかに銀行と喫茶店があるってのも相乗効果があるのかもしれん。ところで土岐津のまちをあるくのに地図がほしいな。えきまえに観光案内所がなかって土岐市役所産業振興課内土岐市観光協会に電話してみる。きてくれたらわたせるってことでいくことにする。土岐市役所は土岐津にある。
土岐川にかかる中央橋をわたる。はしをわたったみなみが土岐津だ。
はしのうえからひだりかわかみに恵那山。
中央橋南交差点を直進。この交差点の西北かどに十六銀行土岐支店。
十字路を右折。下街道をにしにいく。左右は住宅街。みちがみぎにゆみなっていって、中央橋南交差点からにしにきたしんみちと交差。この西北かどに「下街道|土岐口」ってかいたきのとうろうを発見。土岐津に土岐口と高山があるのは事前に地図をみてしっとったけど、ここは土岐口になるだ。しんみちをちょこっとにしにいったひだりに土岐市役所。いや、ものすごいきれいな市役所だ。産業振興課をたずねて地図や資料をもらう。下街道のみどころをきくとやっぱりひがしのほう、高山のほうだっていう。
もらった地図をてにふたたび下街道をひがしにいく。
みぎに鈴木商店。まちやだけどあたらしいたてもんで、みせじゃない部分のまえにはどべいもある。きのとうろうに「下街道|土岐口」。
えきまえどおりからみなみにつながってきたみちと交差する十字路を直進。明楽寺川をわたる。きたに土岐川にそそぐかわだ。
ひだりにまちや。これがもらった地図にのっとる岩崎屋か。げんかんさきにたっとるきのとうろうには「下街道|高山宿」ってかいてあって、土岐口から高山にはいったことがわかる。たんに「高山」ってかくじゃなくて、しゅくばまちであることを強調して「高山宿」ってかいてある。いや、土岐津にしゅくばまちがあったってこんかいはじめてしったわ。明楽寺川が土岐口と高山のさかいだったにちがいない。
すすんでひだりにまたまちや。ほのさきでみぎうしろからきたみちと合流。下街道は、つきあたりT字を鈍角に左折する。
合流地点に下街道高山宿のいしぶみ。みぎうしろからきたみちをちょこっともどったみぎがわに石仏群。
合流地点のみぎがわに公園があって、ほれにつづく高山区民会館のまえにこうさつば。ここが高山宿の中心だっただ。
すすんでひだりにまちや。
「みぎ慈徳院60メートル」のかんばんがあって、さかをのぼっていってみる。
慈徳院の境内となりに保育園。園庭であそぶこたちのこえがにぎやかだ。ところで、ひとりのおんなのこがこんにちわ!ってこえをかけてくれる。みしらんおじさんにこえをかけてくれるってうれしいことだ。境内に明治帝御供水碑(めいじていごきょうすいひ)を発見。「京都巡幸(じゅんこう)で明治天皇が下街道高山宿をとおるとき、陶器づくりの実演をみて、また、小休所となった深萱邸(ふかがやてい)ではここ慈徳院の境内でくみあげた聖水をつかっておちゃをさしあげた」とのこと。いや、じつにいたるとこで明治天皇の足跡をみることだ。
山門をでてみぎに保育園の園舎。木造かわらぶきのの和風建築だけど、洋館風のあおいしたみいたばりの外壁がすてきだ。保育園のなまえはときつこども園。
また下街道をひがしにいってみちがひだりにくのるてまえ、みぎに下街道高山宿のいしぶみと高山城高山宿史跡保存会の説明がき。「下街道は槙ケ根おいわけ(まきがねおいわけ)から名古屋城下をむすぶ中山道のわきかいどうだった。中山道よりもとうげがすくないぶんべんりで、善光寺まいりやおんたけまいり、伊勢まいりのひとたちがいききして信濃、美濃、尾張から出荷される物資が牛馬によって輸送された。高山は下街道15里ふつかの行程の中間地点であったためうまつぎば、しゅくばまちとしてさかえた」とのこと。槙ケ根おいわけはいまの恵那市の中心大井宿(おおいじゅく)から中山道をにしにいったとこにある。かんたんにいうと名古屋の東北のげんかん大曽根と中山道大井をむすぶのが下街道で、ほの中間地点にあるのが高山ってことだ。
このむこう、みぎがわに高山城にあがっていくみちのいりぐち。高山ってしゅくばまちだっただけじゃなくて、しろもあっただ。とりあえずしろにあがるのはみおくって下街道をいく。みちがひだりにくのるとこからさかをくだっていく。
みぎに鈴木商店。さっきも鈴木商店があったけど、さっきのは土岐口の鈴木商店でこっちは高山宿の鈴木商店。これがもらった地図にのっとる旧柏屋か。
すすんで、ひだりに明治天皇高山御小休所のいしぶみ。ここが明治天皇の小休所となった深萱邸だ。説明がきに「明治天皇は1880年6月29日午后2時半ごろ、小休所とさだめられたここ深萱英次(ふかがやえいじ)宅にとうちゃく。天皇はたてもんおくのにわにめんした12畳のまに、皇族や太政大臣、供奉員らはとなりあう4室にはいって小休止した」ってかいてある。
小休所のつぎにあった大竹しょうゆってみせにはいってカシューナッツをかう。
すすんで高山交差点。下街道はここを右折してしんみちをいく。中央橋南交差点からひがしにきたしんみちが、こっから下街道をかねるだ。ほいでこの交差点の東南かどに、きたむきに下街道高山宿のかんばん。
下街道高山宿 | |||
← ← ← 穴弘法経由徒歩1km |
高山城跡 | → → → 高山区民会館経由車道2km |
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左ぜんこうじみち 土岐宿(瑞浪)へ1里 |
右いせみち 池田宿(多治見)へ2里 |
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下街道サミット/高山城高山宿史跡保存会/ 公益社団法人国土緑化推進機構「緑の募金」助成事業(ローソン寄付金) |
みぎからひだりから高山城へのみち案内があるほか、「ひだり瑞浪の土岐宿|みぎ多治見の池田宿」ってかいてある。いや、瑞浪に土岐宿があったとはおどろきだ。たしかに瑞浪も土岐郡のうちだけど、ほこに郡のなまえとおんなじなまえのしゅくばまちがあったとは。
高山交差点から下街道をかねるしんみちをひがしにいって、ひだりに土岐郵便局。すすんで、みぎに高山バス停。すすんで、しんみちからみぎにわかれていく下街道をいく。
下街道がひだりにくのるとこのみぎがわに明治天皇観陶聖蹟のいしぶみ。ここで明治天皇が陶器づくりの実演をみたっていうとこだ。このみぎおくに南宮神社(なんぐうじんじゃ)。
「みぎ穴弘法200メートル」のかんばんがあって、さかをのぼっていく。高山交差点のかんばんにかいてあったとおり、こっから穴弘法をとおって高山城にあがっていけるはずだ。
スペイン風のしゃれた洋館をうしろにみてやまみちにはいっていく。
穴弘法にとうちゃく。やまにはさまれたうすぐらいとこに、いしの洞窟やいしのじぞうさんがいっぱい。いくさでなくなった武者をとむらうためのもんだっていう。こっからどうやって高山城にあがっていけるのかわからんくて、ここでまちあるきをおわりにする。
えきにもどるとちゅう、高山交差点からにしにしんみちをいくとこでひだりにあったスクラッチってみせにはいってスパゲッティー料理を注文。しゃれた内装にしゃれた料理をたのしむ。食后の紅茶だけせともんのうつわ。土岐津は陶器のまちだ。
中央橋をわたって土岐津にさようなら。えきにもどってかえりの電車にのる。
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〔2023年1月19日、もくようび、平日〕