2022年2月はみっかと11日のふつかかんで笠松をあるいてきた。現地までの電車道中や旧線あとめぐりのようすとあわせて、以下に紹介する。
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1.ふるいから笠松まで
さいしょは西尾線。ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は、6013編成2両6000系かんつうがたのあっかい電車。蒲郡線の電車がすけっとにきとる。ベンチシートぬのカーテンの車内に、たちきゃく3わり。すいとる。みなみあんじょうで吉良吉田いき急行のぎんいろ電車といきちがい。きたあんじょうに停車。高校生やつとめにんがなんにんかおりる。8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。むかいの1番のりばにまちかまえとった、吉良吉田いきふつうの鉄仮面がそくしゅっぱつ。
名古屋本線にのりかえ。こせんきょうをのぼりおりして、4番のりばに移動。しんあんじょう8時35分の岐阜いき特急にのりこむ。電車はこおろぎ特急で、しんがりから2両めの特別車2号車10Aにすわっていく。みぎまどがわはしらまえ。西尾線からの電車をまってしゅっぱつ。いや、おれも西尾線からのりかえてきただけど、ふるいにとまらん新可児いき急行のとうちゃくをまってしゅっぱつするだ。
電車はゆっくりはしる。堀田をのろのろ通過。
神宮前に停車。ここでセントレアいきミュースカイとすれちがい。金山に停車。みぎ、中央線長野いきワイドビューしなのとすれちがい。山王を通過。摩天楼にもぐる直前、みぎ、線路のみえる喫茶店を発見。もぐって名古屋に停車。庄内川をわたって郡部にでる。
西枇杷島をのろのろ通過。新川をわたって、ひだりに新川車両基地があるとこでいっしゅん停止。丸ノ内をすぎて、通勤時間帯の混雑もくねくね区間の不利もなくなって、やっと本来のはしりをとりもどす。国府宮に停車。2号車6Dに移動。ひだりまどがわはしらまえ。一宮に停車。新木曽川に停車。ここで岐阜いきふつうの鉄仮面をおいこし。
木曽川をわたるとこで、ひだり車窓にむこうぎしの笠松みなとをみる。これがみたくて、ひだりがわの席に移動した。
きっついみぎ曲線のとちゅう、笠松は2番のりばにとうちゃく。9時32分。
2.笠松から西笠松まで
竹鼻線にのりかえ。むかいの1番のりばにはいってきた、笠松9時36分の新羽島いきふつうにのりこむ。電車は、6809編成2両6800系きんぎょばちのあっかい電車。いつもとちがうのは、電車が名古屋本線岐阜方面からはいってきたこと。いつもなら竹鼻線電車がおりかえし新羽島いきふつうになる。
すぐにしゅっぱつ。ここまでのってきた岐阜いき特急からは、ひだりに反転分岐するかたちでしゅっぱつ。みぎにゆみなりながら側線と合流して、ふみきりをとおっていく。
おすし街道をよこぎる。おすし街道は岐阜から加納、笠松、一宮をとおって、四ツ家追分で美濃路に合流する街道で、将軍家に献上するあゆずしをはこんだことからこのなまえがついとる。
みぎに笠松中学校をみながら、ひだりにゆみなっていく。
むこうにあっかい電車がみえてくる。西笠松でいきちがいまちしとる笠松いきふつうだ。
ひだりぶくらみのいきちがい分岐をひだりにはいっていって、西笠松にとうちゃく。9時37分。まっとった笠松いきふつうは、3523編成4両3500系きいんぎょばちのあっかい電車。
のってきた電車をみおくって、笠松よりにあるかいさつをでる。
3.西笠松えきまえどおりからおすし街道をみなみにいく
西笠松はえきのすぐきた、笠松よりのふみきりをにしにわたって、えきうらになるにしがわをみてみる。いや、えきうらだっておもったけど、ぞんがいまちだ。岐阜信用金庫笠松支店があるほか、みせもいくつかある。
つづいて、えきまえになるひがしがわをみてみる。駅舎のまえに便所と自転車おきば。みぎがわに駐車場。線路と平行するみちのむこうがわ、正面にオオマツってざっかや。これがいちばんえきまえっぽい。みぎ、みなみにいって美濃織物工業協同組合とOK銀行笠松支店。まっとみなみにいって尾藤接骨院。ほかは住宅街。ながらく笠松のまちの代表駅だったはずの西笠松だけど、ぞんがいたいしたことない。
ふみきりにしきたのカフェノアールってみせにはいって、モーニングコーヒー。先客にきんじょのおばさん3人がおって、ねこのはなしとか認知症のはなしとか羽島警察署のはなしとか、いろいろはなしとる。「いかっせる」「いったがね」「なになにやろ」「なになにやて」「なになにしとらへんがね」「ポータブルトイレがあかっちゃう」「なになにやけど」。「いかっせる」は「いく」の尊敬語。「あかる」は「あける」が自動詞化したもん。わが三河ことばとほとんどおんなじだ。ちがいは断定の「だ」が「や」にかわることぐらい。
さて、ふみきりからえきまえどおりをひがしにあるいていく。ぎっちりみせがつらなっとるってわけじゃなくて、住宅街のなかにぽつぽつみせがあるってかんじのえきまえどおりだ。
羽島郡の救急車がおいこしていく。カフェノアールでも羽島警察署のはなしをきいたけど、ここ笠松はとなりの竹鼻におなじく羽島郡になるだ。
ひだりに津島屋不破燃料店。巡回町民バスの笠松小学校前のりば。みぎに奥海商店。シャッターがおりとって、廃業しとる。すすんで、みぎに正村書店。ほんやはやってなくて、みせんなかにズボンがいっぱいつるしてある。ひだりに岩田商事。ココデリフォーム岐阜中央店。笠松美容室。ふたつならんで愛宕神社と天王稲荷神社のほこら。
十字路をすぎて、ひだりにレコード店大塚。廃業しとる。ナカムラ。なんのみせかわからんけど、廃業しとる。大塚電機サービス。ここも廃業しとる。みぎ、ナカムラのむかいにコンクリートづくり2階だてたてもん。1階がはしらなしのクルマおきばになっとるだけど、かんばんもなんにもでとらん。すすんで、みぎに米山カメラ。ひだりにちいさなほこらの神社。
おしボタン信号の十字路を直進。ゆうびんやさんがいく。ひだりにさかや野田屋本店。みぎに鈴木精肉店。婦人服かとう。スカートハウスヤマダ。廃業しとるっぽいっておもったら、シャッターがあいた。
ひだりT字を直進。こっからみちはおすし街道にかわる。きたからみなみにきたおすし街道が、このつきあたりT字を左折してひがしにいくってわけだ。さっき電車でよこぎったおすし街道が、ここまでつづいてきとるだ。みぎがわ、T字のつきあたり部分に梅村税理士事務所。
左右にまちや。みぎに山田邸。ひだりに和風楽市。
ここでバスがあらわれる。うしろからきたあっかいバスがおいこしていく。下門間(しもかどま)いきってかいてある。さっきのりばのあった巡回町民バスが、笠松町の区域の西南のはずれまでいくだ。
こんどははんたいからあっかいバスがあらわれる。巡回町民バスの米野高瀬(こめのたかせ)いきだ。笠松町の区域のひがしのはずれまでいく。
みぎに三口電機(みくちでんき)。おおきなかんばんがようめだつ。伊藤時計店。だるまや薬局。十字路。
このだるまや薬局十字路を右折。おすし街道はむきをかえて、また、みなみにのびていく。おすし街道は梅村税理士事務所T字路とだるまや薬局十字路でひだりクランクしとるってわけだ。
みなみにむきをかえて、とおりはいっそうにぎやかなかんじになる。これまで住宅街のなかにぽつぽつみせがあるってかんじだっただけど、こっからは商店街ってかんじになる。ほれもみなみにいくほどにぎやかなかんじになっていく。
みぎにだるまや薬局。お食事どころやくも。ひだりにほんや文化堂。ヘアーサロン Sans - Fin。すすんで、ひだりに伊藤内科。化粧品バッグ三田屋。みぎにかしギャラリー本町文化サロン。すすんで、みぎにみのる毛糸。ひだりに事務用品岩井屋。すすんで、みぎにヘアーサロン髪芝居。おもしろいなづけだ。高令者住宅さくらの里。ひだりに谷屋。なんのみせかわからんけど、廃業しとる。さしみてんぷら魚徳。くのう歯科医院。みぎに戸田屋本店。せともんとかのギャラリーみたいだ。法伝寺。かなもんや金重商店。
ひだりに銭屋本店のかんばんもでとる啓伸塾。TOSHIBA 笠松店。シャッターがおりとる。かしどんやうづら屋。いや、ほれにしても、ひっきりなしにクルマのいきかうこと。えきまえどおりもおすし街道もほんとにクルマがおおい。
みぎにごとう呉服店。洋品のみせ丸屋。シャッターがおりとって、廃業しとるっぽい。いづも屋。笠松中学校、笠松小学校指定靴店。丸屋呉服店。笠松町歴史未来館。あをいや。笠松中学校指定制服のみせ。十字路。ひだりにくだもんやシオキチ。平野屋砂糖店。十六銀行笠松支店。あをいやのつぎの十字路とおんなじ十字路。
笠松町歴史未来館にはいる。はいってすぐ、館員のおねえさんふたりに美濃電気軌道笠松線のことをきいてみるけど、資料はない。いまは名古屋本線の一部になっとる岐阜から笠松のかんは、美濃電気軌道が笠松線として建設したもんなだけど、ほの笠松線はいまの笠松のえきよりもみなみまできとっただ。東南方向にのびる名古屋本線と西南方向にのびる竹鼻線のあいさをみなみにすすんでいくかたちだった。ほの資料がなんかあやっておもっただけど、なかった。
ほれはあきらめて笠松のまちのみどころをきいてみると、杉山邸がいいっておしえてくれる。岐阜新聞会長の実家で、いまは一般公開しとるっていう。こっからみなみにちょこっといったとこにあるだけど、金土日しかやっとらんとのこと。ざんねんながら、きょうはもくようび。あと、食堂がないかきいてみると、ききかふぇがあるけど、これもきょうはやっとらんとのこと。
ひとりで展示品をみとるとこで、1937年の笠松の地図を発見。いやあ、びっしり商店街でうめつくされとるわ。木曽川いっぱいまでびっしり商店街だ。かわにはふねがいっぱいうかんどる。笠松みなとだ。おすし街道は木曽川をわたって名古屋方面につながるだけど、ここ笠松みなとがおすし街道の陸運と木曽川の舟運の結節点になって、にぎわっとっただ。ここで館員のおねえさんがよってきてくれて、補足説明してくれる。かわにちかいほうの商店街はいまはないっていう。いまはただの堤防道路にっちゃって、たちならんどったみせもぜんぶなくなっちゃったっていう。相生町にいたっては、まちごとぜんぶなくなっちゃったとのこと。
ほいから、いまのみせと当時のみせをくらべてみるのもおもしろそうだ。おすし街道がクランクするとこにみてきただるまや薬局なんか、ほのままのなまえで地図にある。笠松町歴史未来館は、当時は名古屋銀行笠松支店。いや、名古屋銀行ってのは東海銀行の前身になるだけど、東海銀行があるとこがまちの中心だ。
見学をおえてそとにでたとこで、こさめ。いちんちめのまちあるきをきりあげて、ふるいにかえる。
ふつかめ。いちんちめからのつづきで、十六銀行十字路からおすし街道をみなみにあるく。この十字路からひだりをのぞくと、まあはい木曽川の堤防のうえにあずまやがみえるってとこだ。
ひだりにわがしの伊住屋本店。
みぎにまちや古田時計舗。創業1865年ってかいてあるけど、廃業しとるかもしれん。つづいてまちや。もとはさかやだったみたいで、のきしたに自販機3台だけおいてある。
つづいてまちや杉山邸。ここが、笠松町歴史未来館のおねえさんがみどころだっておしえてくれたとこだ。金土日しかやっとらんとのことで、きんようびにやってきた。「杉山であい邸の駅」ってかいたのぼりばたがでとって、のきさきでやさいをうっとる。にぎわいづくりでやっとるにちがいないだけど、じっさいなんにんかおきゃくさんもおっていいかんじだ。
なかに案内してもらう。
なかどまのふきぬけ。2階のやねにあかりとりのまどがあいとって、なかどまをてらしてくれる。
どまのわきに電話室。電話がひけた当時、どんなにだいじにされとったかってことをものがたる。とのガラスに2番ってかいてあるのは、笠松で2番めに電話をひいたのがこの杉山家だったってことだ。
へやにあがって、1階のざしきからみなみえんがわごしににわをみる。にわのむこうに土蔵もみえる。
えんがわからまわりこんで2階にかいだんをあがっていく。つかいこんですりへったかいだん。ぼんわりひかる2階ろうかのはだか電球。
2階のへやは展示資料がいっぱい。
くさわけ8人衆のひとり。笠松ってあたらしいまちだ。関ケ原のたたかいの7年まえの8人衆の入植からはじまっとる。ほいで、ほの8人衆のひとりがこの杉山家だ。おすし街道の時代になって、杉山家も宿次(しゅくつぎ)のやくめをまかされとる。
名鉄電車を岐阜から笠松へ誘引。杉山家15代銓二郎は商工会の初代会長なって町議会の議長をつとめて、笠松線を誘致した。ほいから、十六銀行笠松支店も誘致しとる。
名刺広告も興味ぶかい。いまみた伊住屋まんじゅう。油重商店。みそたまりの高島久右衛門。笠松芸妓屋組合。にぎやかなまちだでこそ芸者がおるだ。岐阜県美濃縞同業組合。この杉山邸の1階にも美濃縞のはたおりきが展示してあった。
ほいで、とりわけ貴重なのが笠松ていしゃば付近平面図。美濃電気軌道が建設した笠松線が、いまの笠松のえきよりもみなみまできとったことがはっきりわかる。八幡神社のうらまで笠松線がきとっただ。実現せんかったけど、ほの位置から反転分岐するかたちで竹鼻線がつながっとる。じっさいには点線でえがかれとるように、いまの笠松のえきよりみなみは廃止になって、笠松のまちをとおまきにするよう笠松線から竹鼻線につながった。
展示資料をみおえて、おくのろうかからしたにいりぐちをみる。さっきじぶんがはいってきたとことはべつに、きどをはいってからちいさなにわをとおって玄関にはいるようになっとる。案内のおじさんが、客人用のいりぐちだっておしえてくれる。
また、ろうかをみぎにいくと、ちょっとさがったとこにもへやがある。秘密基地感があってたのしい。
おくの土蔵に案内してもらう。なかはギャラリーになっとって、三岸節子のえとか全国的、世界的になのあるえがなんてんか展示してある。
杉山邸をでて、また、おすし街道をみなみにあるく。
ひだりにヘアーサロンピュア。杉山邸の客人用のいりぐちのむかいになる。
みぎ、杉山邸のつぎに木曽川長良川下流漁業協同組合遊漁鑑札取扱所。みなとまち笠松らしい。美濃地酒万代。ECCの個別指導塾ベストワン。わがしのいなみ。油重商店。K字交差点。
ひだりに大須屋商店の倉庫。フジ写真館。黒坂ミシン商会。クリーニングツネトミヤ。油重商店のつぎのK字交差点とおんなじK字交差点。
おすし街道はK字交差点をひだり30度の方向にいく。みぎに吉田建具店。なんげんかおいてとこや。廃業しとるっぽい。ほのむこうは木曽川の堤防につきあたる。
K字交差点にもどって、いったんみぎ30度の方向にいってみることにする。
ひだり、吉田建具店のかどのとこに、きどあとのみちしるべを発見。「名古屋街道と伊勢路とのわかれみちで、幕府はここに関所をおき、とおるひとをしらべた。下本町と港町のよつつじをきどとよんどった」とのこと。名古屋街道ってのがおすし街道のことで、こっからみぎ30度の方向は伊勢路になるだ。下本町ってのは杉山邸のへんで、港町ってのはいまは堤防になっとるへんだ。
K字交差点からみぎ90度にいくみちをのぞいて、やねがみさまが地平にあることをかくにん。杉山邸にやねがみさまがのっとるのをみてきただけど、ほこにあるのはいまはかたちだけのもんで、ご本尊はせわしやすいようにこっちに移設してあるとのこと。
伊勢路にはいっていって、ひだりに3階だて鉄筋コンクリートづくりの森商店。包装資材や印刷紙器、段ボールケースをあつかう会社。みぎに誓願寺。
すすんで、ひだりに油金商店。廃業しとるっぽい。すすんで、左右に総合食品辰巳屋。ほのむこうは、木曽川の堤防にひだりななめに鋭角につきあたる。
4.笠松みなと
おすし街道から木曽川堤防にあがって、けしきがいっぺん。ここが笠松みなとか。
説明がきをよんでみる。「木曽川がいまの位置になったのは、1586年の大洪水によってだ」っていう。美濃路天神のわたしの説明がきにもほうかいてあった。つづけて、「1650年、美濃郡代岡田将監善政(おかだしょうげんよしまさ)がここ笠松に休憩所をおき、1662年、郡代名取半左衛門長知(なとりはんざえもんながとも)によって陣屋がここ笠松にうつされて、地方行政の中心地、地方物資の集散地になって、笠松みなともさかえていった」ってかいてある。
ほいから、京みちのみちしるべもたっとる。ここが名古屋みち、伊勢みち、京みちのわかれみちになるだ。名古屋みちは、木曽川をわたるおすし街道のこと。伊勢みちは、木曽川をくだっていくみち。京みちは、おすし街道をとおらんでにしにちかみちするみち。
かわにちかづいたとこにふたごのほこらがあって、おまいり。
堤防からみなとにおりるいしだたみのみち。説明がきに、「だいはちぐるまでにもつをはこんどったため、車輪がくいこまんようにいしだたみがしきつめられとった」ってかいてある。
みぎ45度に木曽川橋をみる。
ひだり45度に名古屋本線の木曽川鉄橋。岐阜県から愛知県にむかってこおろぎ特急がいく。
かわらはしばふ公園になっとって、おやこづれらがあそぶ。
おすし街道から木曽川堤防にあがったとこまでもどったとこで、あずまやに「昭和はじめごろの笠松みなとかいわい」って説明がきを発見。堤防道路のりょうわきはびっしり商店街でうめつくされとって、かわもはびっしりふねでうめつくされとる。
しもにあるいていって、初代木曽川橋の橋脚。
さらにしもにあるいていって、いまの木曽川橋。
ふりかえって伊吹山がみえる。
かわかみ、木曽川鉄橋のむこうにおんたけさんがみえる。
◇ ◇
まちあるきをいったん中断。おすし街道を梅村税理士事務所T字路からきたのほうまでいって、笠松町歴史未来館の館員のおねえさんがおしえてくれたききかふぇにはいって、ひるごはん。やさいカレーを注文。ごちそうさまでした。
5.美濃電気軌道笠松線あと
さて、笠松線あとをあるく。じつはふつかめのさいしょにあるいた。しんあんじょうからのった岐阜いき特急を笠松でおりて、かいさつをでる。ここで竹鼻線にのりかえて西笠松までいく予定だっただけど、とりやめてここでかいさつをでる。かいさつをでたとこにえきまえロータリー。名古屋方面にいく名古屋本線と竹鼻方面にいく竹鼻線にはさまれて、駅舎はみなみむきにある。
駅舎からみなみむきにみて、ひだり30度に名古屋本線名古屋方面いきのあっかい電車がでていく。
ほいで、美濃電気軌道が岐阜から笠松までのかんで笠松線を建設しただけど、ほのときの笠松はいまの笠松じゃなくて、まっとみなみのほうにあった。線路は、このえきまえロータリーのまんなかからみなみに、八幡神社のうらまでいっとっただ。いまは生活道路になっとる、ほの笠松線のあとをみなみにあるいていく。
みぎに御嶽教照王教会本部。これもおてらなだっておもうだけど、つまいり中2階、唐破風の向拝つきのめずらしいたてもんだ。
住宅街をみなみにすすんで、十字路を直進。
みぎに合名会社服部鉄工所。ひだりにグッデイすぎない。「まちのえき」ってかいてあるけど、介護施設みたいだ。
つきあたりT字に木造かわらぶき総2階、みずいろのトタン外壁の住宅。八幡神社のうらになるこの住宅のへんに、さいしょの笠松のえきがあった。初代笠松口駅ですぐに初代笠松駅になまえをかえた。さいしょ「笠松口」をなのったのは、まんだ笠松のまちまでいっとらんよってことで、「笠松」をなのるのをはばかったのか。八幡神社のほうまでまわってみるけど、えきのあとはなんにもない。
きたに、きたみちをふりかえってみる。
ひがしにいってみる。
すぐにつきあたりT字になるだけど、ほのてまえみぎの駐車場のへんに、2代笠松駅があった。どういう事情があったのかわからんけど、初代笠松駅からちょこっとばしょをかえとる。このまわりにもやっぱりえきのあとはなんにもない。このつきあたりT字からみなみにいくと、おすし街道だるまや薬局十字路にでる。
※ この地図の「お」から「あ、い」までのかんをあるいた。
ちなみに、このかんが廃止になって笠松のまちをとおまきにするよう笠松線から竹鼻線につながるようになって、いまの西笠松駅が笠松駅になる。3代笠松駅だ。いまの笠松駅ができたのは、笠松線が木曽川をわたって一宮、名古屋方面につながるようになったときからで、これが4代笠松駅になる。これと同時に3代笠松駅は西笠松駅にかわる。
6.だるまや薬局十字路からきたに八幡神社のほうにいく
こんどは、おすし街道がクランクするだるまや薬局十字路からきたにあるいていく。おすし街道におとらずふぜいのあるとおりだ。みぎにタツミ接骨院。すすんで、みぎにパティスリー小菊。はなやの花久。杉山プリント。ひだり、小菊のむかいにまちや。1軒おいてまたまちや。
ひだりおくに蓮国寺。みちにめんしてまちやの高木邸。おもむきのある邸宅で、地図にのっとる和田邸とまちがえた。
みぎに土蔵。まちや。高木商店。シャッターがおりとる。
すすんで、ひだりに和田邸。これが、くにの指定文化財になっとる和田邸だ。貴重なたてもんではあるけど、非公開。
みぎにはいっていったみぎがわに美濃郡代笠松陣屋あと。笠松みなとの説明がきに「1662年、郡代名取半左衛門長知(なとりはんざえもんながとも)によって陣屋がここ笠松にうつされた」ってかいてあった陣屋がここにあっただ。ここにも説明がきがあって、明治になってこの陣屋は笠松県庁、岐阜県庁になったってかいてある。いや、ここ笠松に初代岐阜県庁があったとは。
もどって、南北のとおりをすすんで、ひだりに八幡神社。くさわけ8人衆がたてた八幡神社だ。
八幡神社のむかい、みぎに有限会社エヌオーオー。ブリジストン自転車。廃業しとるっぽい。すすんで、みぎにさかやの浅井屋。
ひだりは八幡神社の境内がつきて、自動車修理のモータースローネ。2代笠松駅があった駐車場。ここにつながった。ひだりT字のつぎ、ひだりに野垣ミシン商会の駐車場。みぎに野垣ミシン商会のみせ。このあたりちょっとまちっぽいのは、さいしょに笠松線のえきができたとこだでか。
さらにきたにいって、みぎうえに名古屋本線の築堤をいくあっかい電車がみえるようになったとこで、ひきかえす。ほのままいくといまの笠松駅にでる。
ん、、、あしがつった。八幡神社のへんまでもどったとこで、みぎあしふともものうらがわがつった。けっこうあるいたみたいだ。
7.おすし街道をきたにいく
さいごに、梅村税理士事務所T字路からきたにおすし街道をあるいていく。左右住宅街のなかにぽつぽつみせがある。
みぎに小川メガネ、小川時計店。LPガス灯油販売の河内屋商店。
ひだりに、まちやの伊藤邸。日本ガーゼの藤万。
ひだりに、うなぎやのうを安。
ひだりに、笠松問屋あと。説明がきに、「1615年からはまいとし6月から9月まで、つき6回あゆずしを江戸城へとどけた。岐阜町のおすしもとから加納問屋をへて、ここ笠松問屋でうけつぎ一宮問屋へおくられた。笠松からは、おもに笠松の農民が1回14人ではこぶしごとをしとった」ってかいてある。いや、つきに6回もあゆずしをはこんどったってすごいな。なるほどおすし街道ってなまえがつくわけだ。いしぶみに、「あゆずしの おけかつぎ うけわたし ひとびとは 江戸へのみちを ひたにはしりき」ってうたがきざんである。
ひだりに、まちやの高島邸。ききかふぇ。まちあるきをいったん中断してひるめしをくったとこだ。ひだりおくに笠松小学校。
ひだりに、トヨ雨どいの村田板金。
ひだりに、かんばんはないけどたぶん表具屋。なかでしごとちゅう。
みぎ、3階だての1階にファッションクリーニングサカザキとなぎさ本舗京都屋。
みぎ、NTT笠松電話交換所のでっかいたてもん。
ひだりにさかや。シャッターがおりとって、かんばんもない。
はんたいからくるこどもらとすれちがい。自転車のこ。はしってくるこ。
ひだりに笠松町コミュニティー消防センターと笠松町消防団第1分団車庫。
みぎに河合時計店。
ひだりに野田電気。
みぎに山岡薬局。シャッターがおりとって、廃業しとるっぽい。ひだりに神社。高野山高野派大師境界笠松支部ってかんばんがでとるだけど、いしぶみのうらめんに尾州木曽川町玉ノ井ってかいてあるのはなんでか。みぎに八百貞商店。シャッターがおりとって、廃業しとるっぽい。ほのむこう、竹鼻線ふみきりを笠松いきふつうのあっかい電車がいく。
ふみきりのむこうみぎがわに自転車おきば。このへんに2代笠松口駅があったって、杉山邸の案内のおじさんがおしえてくれたとこだ。こっから西北にちょこっといったとこに岐阜工業高校があって、ほんなかに岐工記念館があるだけど、ざんねんながらはたびで学校がやすみのため見学できん。やっぱり杉山邸の案内のおじさんがおしえてくれただけど、この笠松にある岐阜工業高校が岐阜県はつの工業高校だっていう。自転車おきばから線路ぞいをあるいて、いまの笠松駅にとうちゃく。かえりの電車にのる。
◇ ◇
(さんこう)
- 乗車記録 - 2022年2月みっか、もくようび、平日
- 笠松からふるいまで - 2022年2月11日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/16
- 西笠松からふるいまで - 2022年2月みっか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/16
- ふるいから笠松まで - 2022年2月11日 - あきひこゆめてつどう|2022/02/15
- 萩原宿から起宿まであるく - 2021年11月11日 - あきひこゆめてつどう|2021/12/26
- 竹鼻線開通100周年展と竹鼻のまち - 2021年11月23日 - あきひこゆめてつどう|2022/01/10
- 美濃電気軌道笠松線 - 旧笠松駅|急行きそ3号|ほうもんび:2019.6.4
- 廃止鉄道ノート
- 1937年の笠松の地図 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/23 〔ついか〕
- 杉山邸資料「くさわけ8人衆のひとり」 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/23 〔ついか〕
- 杉山邸資料「名鉄電車を岐阜から笠松へ誘引」 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/23 〔ついか〕
- 笠松おすし街道きどあとのみちしるべ - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/27 〔ついか〕
- 笠松みなとの説明がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/27 〔ついか〕
- 笠松みなとの京みちのみちしるべ - おぼえがき(ゆめてつどう)| 〔ついか〕
- 笠松とせんばのいしだたみ - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/28 〔ついか〕
- 昭和はじめごろの笠松みなとかいわい - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/04 〔ついか〕
- 初代木曽川橋の橋脚 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/04 〔ついか〕
- 笠松いきふつう - 2022年2月11日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/04 〔ついか〕
- 笠松の和田邸 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/13 〔ついか〕
- 美濃郡代笠松陣屋あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/13 〔ついか〕
- おすし街道笠松問屋あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/03/13 〔ついか〕
- 美濃電気軌道笠松線開業時の笠松駅 - おぼえ (あきひこ ゆめてつどう)|2022/03/13 〔※ 限定公開〕
*1:みぎまどがわはしらまえ