いしだんの参道をあがっていく。
あがりきったとこに山門。すぐひだりにちょうずしゃ。おてらのなまえは最明寺(さいみょうじ)。
なかにはいって、本堂におまいり。うらやまのきぎを背景に、1枚のえみたいだ。うらやまのなまえは羽角山。
ひだりにかねつきどう。基礎のいしがきをえぐったとこに階段がついとって、あがったとこがほのままかねつきどうの4本あしのなかっていうしかけだ。ふつうはいしがきのそとがわに階段がついとって、あがったとこからぬきをくぐって4本あしのなかにはいらにゃいかんだけど、これならみをかがめてくぐる必要がない。かんがえたもんだ。
ひだり、かねつきどうのさらにおくに四国88か所霊場のいりぐち。どんなとこをとおって、どんなとこにでれるのかもわからんままに、はいっていく。
ひといきのぼったとこで、いしぶみを発見。このときはなんだかわからんかっただけど、あとで、「中島出身ではなびずきの代議士早川竜介が、となりむら羽角のはなび師加藤小兵がなくなったことをいたんで、いしぶみにほの業績をきざんだもんだ」ってことがわかった。
はて、こっからどうしたもんか。ちょうどちかくにおったちちこにきいてみると、「やまをぐるーってみぎにまわって、むこうがわにおりていく」とのこたえ。いや、このままいってもしたにおりていくなら安心だ。
いくつものよこあな地蔵をみながら、やまをのぼっていく。
土地がひらけて、ほこにたつ秩父宮殿下御展望之地のいしぶみを発見。「1929年9月28日、秩父宮殿下が陸軍大学演習に参加、登攀(とうはん)された。1929年10月帝国在郷軍人会上羽角軍人団」ってかいてある。秩父宮は昭和天皇のおとうと。ほんなえらいひとが、こんなとこまできて陸軍演習に参加しただ。
きたに岡崎方面をのぞむ。
にしに羽角や中島のまちをのぞむ。
くだりにかかる。みちのわきのよこあな地蔵はつづく。
さらにくだっていく。ところでよこあな地蔵に番号がふってあるのにきづく。とちゅう、ちょっとみちをはずれたとこに中電の鉄塔を発見。もどってつぎのよこあな地蔵は80番。88番まであるにちがいない。84番までくると、ふつうのおはかもあらわれる。すすんで、88番のよこあな地蔵におまいり。ほのみぎおくにあがったとこに稲荷さんもあって、おまいり。88番からすぐにおてらのおくり。おてらまいりと霊場めぐりをおえる。
〔2020年4月26日訪問〕
(さんこう)
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