吉良みちをたずねて羽角からきたに広田川をわたる

吉良みち(きらみち)がどこで広田川(こうだがわ)をわたっとったのかつきとめたくて、いってきた。南岸の上羽角町(かみはすみちょう)から北岸の正名町(しょうなちょう)にもどるかたちで、みてきた。

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広田川(こうだがわ)の南岸、羽角(はすみ)のめぬきどおりをひがしにすすむ。

2020.4.25 (3) 上羽角町羽根山 - 広田川 1600-1200

人家もなくなって新幹線をくぐると、みちがひだりにゆみなって堤防道路につきあたる。

2020.4.25 (4) 上羽角町羽根山 - 広田川 1600-1200

さて、かわもをみると、くさのしまがとびいしになって対岸につながっとる。ほっから、また、おてらのみぎをとおるみちがのびとる。とびいしになっとるくさのしまは、むかしかかっとったはしの橋脚のあとか。吉良みちがここで広田川をわたっとったのか。対岸は正名町(しょうなちょう)。

2020.4.25 (5) 広田川に占部川が合流 2000-1380

対岸にわたるべく広田川の南岸をひがしにすすんでいったとこで、占部川(うらべがわ)の合流地点を発見。きたからながれてきた占部川がここで広田川に合流するだ。

ほのままひがしにすすんで、やっとはし。永野橋(ながのばし)で広田川をきたにわたる。ほのままきたにちょこっとすすんで、左折。ひがしにすすんで、定国橋(さだくにばし)で占部川をにしにわたる。

2020.4.25 (6) 正名町観音 - 広田川 1600-1200

占部川の西岸から広田川の北岸をとおって、かわしものほうにすすむ。とびいしになっとるくさのしまが北岸にたっするとこにとうちゃく。

2020.4.25 (7) 正名町観音 1600-1200

堤防道路のとこからきたにほそいみちが、おてらのひがしをとおってのびていく。

おてらにおまいり。おてらのなまえは永応寺。山門もなくて、かねつきどうもみあたらん。

2020.4.25 (8) 正名町観音 1400-1050

また、正名町のまちのなかをきたにすすんでいく。

2020.4.25 (9) 正名町東之切 1400-1050

十字路をすぎてすすんでいったとこで、みちがひだりにおれる。ほのままにしにちょこっとすすんで、土呂西尾みち(とろにしおみち)に鋭角につながる。

いや~、どうも不自然だ。鈍角に土呂西尾みちにつながるなら、正名町のまちなかをとおるこのみちが吉良みちだって推定できるだけど、どうもちがう。羽角のめぬきどおりと一定区間の土呂西尾みちが吉良みちだったことはたぶんただしいだけど、広田川をどういう経路でわたっとったかは、けっきょくわからずじまい。

あとで古地図をみてみると、吉良みちは羽角から定国(さだくに)にわたっとる。正名(しょうな)じゃない。

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2020.4.25 (12) 正名町東之切 - 占部川神社のいしぶみ 1050-1400

土呂西尾みちにでたとこで、みちのむこうがわに占部川神社のいしぶみを発見。占部川はにしの碧海郡(へっかいぐん)とひがしの額田郡(ぬかたぐん)をへだてるかわなだけど、ほのかわのなまえのついた神社が、碧海郡のがわのこの正名町にあるだ。いしぶみのうらめんをかくにん。「1931年4月建之、大字国正、中、定国、正名」ってかいてある。碧海郡に属す国正町(くにまさちょう)、中村町(なかむらちょう)、定国町(さだくにちょう)、正名町の4町でこの神社をまつっとるだ。

2020.4.25 (11) 正名町中之切 - くす 1500-2000

占部川神社にむかっておくにすすんでいくとちゅう、みぎに、そらにつきぬけるふたごのくすのきを発見。このくすのきなら、むかしの吉良みちをしっとるはずなだけど。

みちのつきあたりに占部川神社。拝殿におまいり。拝殿、本殿ともかわらぶき、ひらいり。わたり殿はなくて、ほのかわりに左右に長屋堂。まんなかになかにわがあるかたちだ。本殿のみぎうしろに占部用水のいしぶみがあるだけど、年月がたってかなりかすれとるしぜんぶ漢字でかいてあるし、なにがかいてあるだかわからん。このいしぶみのみぎに、まあたらしい正名二軒屋町公民館。ひらやだてスレートぶきのたてもんで、うらがわのあたらしいみちに面しとる。二軒屋町(にけんやちょう)は正名町のにしに隣接するちいさな町(ちょう)。

ここまできたとこで、このひのたびをおえる。

正名町と上羽角町のへんの地図(あきひこ) 880-630
△ 正名町と上羽角町のへんの地図(あきひこ)

〈懐玉〉三河州地理図鑑 - 吉良みち 1050-680
△ 〈懐玉〉三河州地理図鑑 - 吉良みち

〔2020年4月25日訪問〕


(さんこう)