2021年2月よっか、上挙母(うわごろも)にいってきた。現地まであさの電車ふうけいをたのしみながらいったようすや、現地でまぼろしの挙母線のりばをたしかめたり、挙母線あとをあるいたり、まちあるきをしたりしたようすを以下に紹介する。
〔電車をのりついで上挙母まで〕
〔まぼろしの挙母線のりば〕
〔挙母線あとをあるく〕
〔上挙母まちあるき〕
◇ ◇
電車をのりついで上挙母まで
さいしょは西尾線。ふるいのえきにきたいきのあっかい電車がはいってくる。よこからあさひをうけてかがやく電車のうつくしいこと。ホームにとまって、コートをきてまっとった、おおぜいのひとたちがのりこんでいく。8時17分、しゅっぱつ。車内、たちきゃくは4わり。ほんなにこんでない。
高架をあがって、みなみあんじょうに停車。ホームにおるひとたちが、あさひをうけてかがやいとる。
はんたいからぎんいろ電車がはいってくるのをまって、しゅっぱつ。
地平におりて、きたあんじょうに停車。ホームにおるひとたちが、あさひをうけてかがやいとる。
しものおりた線路をすすむ。
あさひをうけてえきがしろくかがやいとる。「まえより階段はこむで、うしろより階段をご利用ください」っていう案内放送がはいって、8時26分、終点のしんあんじょうにとうちゃく。地下かいさつから橋上かいさつにかわったしんあんじょうだ。
名古屋本線にしいき電車にのりかえ。まえより階段であがって、うしろより階段でおりて、ホームを移動。まあはい特急電車がとまっとって、とびのり。8時28分、しゅっぱつ。満席でたっとると、すわっとったわかもんが席をゆずってくれるっていうけど、ことわる。
8時31分、知立にとうちゃく。
三河線きたいき電車にのりかえ。こせんきょうをわたってホームを移動。まあはいホームにとまっとったあっかい電車にのりこむ。8時35分、あさひにむかってしゅっぱつ。さいしょはひがしむきにでて、ほのあとひだりにゆみなっていく。
名古屋本線をくぐって、しましきホームの三河知立は、ひだりがわに停車。ひだりがわにふくらんでの停車で、はんたい線は直線。ホームで電車をまつひとたちが、あさひをせにうけてたっとる。あさの活気がうれしい。
はんたいからあっかい電車がはいってくるのをまって、しゅっぱつ。車内、すきでたっとるひともすわらせて満席になるていど。
ひだり線路わきにたつ、三河知立ゼロキロポストを通過。三河線の前身、三河鉄道は、こっからみなみへ、きたへ線路をのばしていった。
高架をあがって、しましきホームの三河八橋は、ひだりがわに停車。ひだりがわにふくらんでの停車だけど、はんたい線もふくらんどる。なんでこんな高速走行にふむきな、りょうぶくれのホーム配線にしちゃったのか理解にくるしむ。知立の高架工事が完成したあかつきに、名古屋本線からのりいれてくる特急電車はこのえきを通過するっていうのに。
地平をすすんで、しましきホームの若林は、みぎがわ通行で停車。これをまって、さきにはんたい線にとまっとったみなみいきのあっかい電車がしゅっぱつ。ここもりょうぶくれのホーム配線。これが三河鉄道以来の伝統だ。
またすすんで、しましきホームの竹村は、みぎがわ通行で停車。ここもりょうぶくれのホーム配線。
線路がいっぱいある土橋(つちはし)は、直進して停車。みぎにふくらんどるはんたい線に、みなみいきのあっかい電車がとまっとる。ここだけみると相対ホームのえきだけど、とまったのりばはしましきホームのみぎがわで、むかいにものりばがあって、さらにほのそとがわにホームのない線が3本もある。貨物輸送がさかんだった時代のなごりだけど、いまは、豊田線の電車の留置につかわれとるっていう。豊田線は、三河線を豊田市から分岐して赤池につながる線で、ほっから地下鉄鶴舞線にのりいれて名古屋都心までいく。ここは豊田線のえきじゃないだけど、まがりしとるだ。
しゅっぱつ。3本の線が1本になっていく。車内、たちきゃくは3わり。豊田市方面にすすむにつれて、ちょこっとづつふえてきた。
きりとおしをいく。
ひだり曲線をいく。みぎ曲線をいく。ながいくだりになって、みぎ前方にたんぼがひろがる。まちにはいって、愛知環状鉄道をくぐる。岡崎からきた愛知環状鉄道と知立からきた三河線がここで交差するだ。
さあ、上挙母。
8時56分、しましきホームの上挙母にとうちゃく。ひだりがわにふくらんでの停車で、はんたい線は直線。
電車をおりたひとたちが、ホームのさきっぽのほうにあるいていく。
構内ふみきりであしどめ。のってきた電車がホームをぬけるのをまって、ひだり駅舎のかいさつをでていく。電車のつぎの停車駅は豊田市。
まぼろしの挙母線のりば
上挙母は、構内ふみきりのへんにおるとこで、みなみいきのあっかい電車が直線のほうにはいってくる。
ホームのさきっぽのほうまでいって停車。電車は2両編成なのにさきっぽのほうにとまっちゃって、電車をおりたひとたちはけっこうなきょりをあるいてからかいさつをでていく。
ホームに自販機があるのを発見。このえきでのりおりするひとがおおいことのあかしだ。ざんねんながら、わがふるいのえきのホームに自販機はない。
ホームをみなみむきにみとるとこで、線路のひだりがわに、アスファルト舗装がしてあるだけのほそおびのあきちを発見。このあきちこそがまぼろしの挙母線のりばだ。
いま1、2番のりばとしてつかっとるしましきホームのはんたいがわに、3、4番のりばのしましきホームがあっただ。当時は1番のりばが三河線きたいき電車ののりば。4番のりばが三河線みなみいき電車ののりば。ほいで、なか線のりょうがわにある2、3番のりばが挙母線電車ののりばだった。東南方向からはいってきた挙母線電車がなか線にとうちゃく。電車は左右りょうがわのとびらがひらいて、乗客はほのままおりたホームむかいにおる三河線電車にのりつぐことができただ。ひだりがわにおりやきたいき電車が、みぎがわにおりやみなみいき電車が、それぞれめのまえにやってくるっていうしかけだった。なんちゅうべんりさだ。しんあんじょうもこういうふうにならんかな。
また、1番のりばにきたいきのあっかい電車がはいってきて、停車。
電車は4両編成で、ホームのさきっぽにあわせてとまった電車のうしろにもまんだ余地がある。おどろくことにここ上挙母のホームは6両対応なだ。三河線電車は最大4両なだけど、土橋に留置してある豊田線電車が6両あるために、土橋、豊田市両駅のまんなかの上挙母も6両対応になっとるだ。
ホームのいちばんみなみまでいって、知立方面をみてみる。1番線と2番線の分岐器よりこっちがわ、1番線からひだりにみじかい線が分岐しとって、ほこに保線用車両がとまっとる。ちょうどこのみじかい線の方向に挙母線が分岐しとった。
ふりかえると、またみなみいきのあっかい電車がはいってくる。
電車が知立方面にでていったあと、保線員さんふたりが分岐器の点検。このさぶさで分岐器が正常に作動しとるかどうかのかくにんだったのか。ごくろうさま。
こんどはきたいきのあっかい電車がはいってくる。電車からおりてきたおおぜいのひとたちのあとにつづいて、構内ふみきりをわたってかいさつをでる。
挙母線あとをあるく
上挙母は、駅舎んなかにまちあいしつがあるのをひだりにみて、そとにでる。いや、まちあいしつ、いいな。
駅舎は、木造かわらぶきひらやだてひらいりのふるいたてもん。1920年8月31日、この上挙母のえきが開業したときからの駅舎だ。
えきまえをかくにん。えきまえには、よこづけになるようにみちがはいりこんできとるだけど、ほのみちをみぎにいったとこに中日新聞。えきのまんまえ、みちのむこうがわにハーモ(Ha:mo)専用駐車場4台分。ハーモはカーシェア用超こがた電気自動車。ふつうのつきぎめ駐車場が、みちのむこうがわに5台分、こっちがわに6台分。みちをひだりにいったとこにJAあいち豊田上挙母支店。
さて、挙母線あとにむかう。えきみなみのふみきりをひがしにわたる。ホームのはしをかすめるようにしてある歩行者専用のはばのせばいふみきりだ。
ひだり、木造かわらぶきの民家のあまどに、よあけの外灯。
左右は住宅街。みちのまっしょうめんとおくにトヨタ本社工場。外壁に「みなさまのおかげで80年|創業の地|本社工場」ってかいてあるのがみえる。
みぎにまわりこんでいって、挙母線あとを逆走するかたちで、三河線から挙母線が分岐しとった地点にむかう。
保線用車両のとまっとる分岐地点にとうちゃく。挙母線電車も、この角度で上挙母のえきにはいっていっただ。
きびすをかえして、挙母線あとをトヨタ自動車前駅あとのほうにむかってあるく。
左右住宅街のなか、ひだりにゆるくゆみなっていく。
左右たんぼになって、みぎに愛知環状鉄道の高架がみえるようになる。
また、左右に住宅や事業所がぱらぱらあらわれてきて、みぎの愛知環状鉄道の高架もちょこっとづつちかづいてくる。
また、左右たんぼになって、愛知環状鉄道の高架もいよいよ視界のまんなかにはいってくる。
ぐをー! みぎうえに愛知環状鉄道のきたいき電車があらわれて、うしろにさっていく。
愛知環状鉄道の高架のひだりしたをすすんでいく。
ひだり30度、たんぼをへだてたむこうにトヨタ本社工場がいよいよおおきくみえてくる。
高架したにはいって、挙母線あとは完全に愛知環状鉄道とかさなる。この状態でトヨタ自動車前駅あとまでつづくだ。トヨタ自動車前駅あとは、いまは愛知環状鉄道の三河豊田駅になっとる。
廃線あとあるきをきりあげて、高架したをきたにひきかえす。
高架のひだりに平行しとった南北の幹線道路がみぎにきて、三河線のふみきりをわたる。このあたりからまちになる。
ひだりに高架の新上挙母駅。三河豊田駅のつぎが新上挙母駅で、ほのつぎが新豊田駅。南北の幹線道路とのあいだにきれいなロータリーがあるけど、みせははりついてない。
南北の幹線道路からひがしに住宅街にはいっていって、いったん上挙母のえきにもどる。
上挙母まちあるき
上挙母のえきからあらためてまちあるき。住宅街をきたにすすむ。
えきみなみのふみきりをひがしにわたる。
住宅街をきたにはいって、金谷庚申三光寺(かなやこうしんさんこうじ)にとうちゃく。あっかい山門をくぐる。えきのとこにかんばんのでとったおてらだ。
たちのたかい、あかもあざやかな本堂。線香をあげて、おまいり。ほかにもおまいりのひとがなんにんか。
また住宅街をきたにあるいていくと、まちのはずれでがくんって土地がひくくなって、豊田のまちをみおろすかたちになる。豊田のまちのむかしのなまえが挙母。なるほど、挙母よりたかいとこにあるで上挙母ってわけだ。
たしかしろあとがあったなっておもって、とおりがかった郵便やさんにきいてみるけど、わからんとのこと。
にしにすすんで、ひのみやぐらのとこで三河線をにしにわたる。
勝手神社っていう神社を発見。おまいりしていかあっておもっただけど、チェーンがはってあってなかにはいれん。かってにはいれん神社だった。
となりに金谷城あとのいしぶみ。こんなとこにあったのか。1979年5月15日にたてたいしぶみで、「鎌倉時代末期から江戸時代初期のしろあと」ってかいてある。ほかにはおしろがあったことをしのばせるもんはない。
まちあるきもおえて、えきにもどってかえりの電車にのる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年2月よっか、もくようび、平日
- あさ、ふるいのえきに…|いわせあきひこ|フェースブック|2021年2月4日23:46
- あさ、しんあんじょうから…|いわせあきひこ|フェースブック|2021年2月4日12:12
- あさ、しんあんじょうから須ケ口いき特急にとびのったとこで、すわっとったわかもんがこえをかけてくる。「この席、どうぞ♪」って。「あ、たっとるでいいわ。ありがとう!」っていってことわる。
電車で席をゆずられるのはこいで2回め。おれもほんなとしになっただ。
- あさ、しんあんじょうから須ケ口いき特急にとびのったとこで、すわっとったわかもんがこえをかけてくる。「この席、どうぞ♪」って。「あ、たっとるでいいわ。ありがとう!」っていってことわる。
- ほむら。…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年2月4日
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- 挙母線の記憶 - あきひこゆめてつどう|2016/08/08
- おれもいっかいだけ挙母線にのりにいったことがある。なんねんのことだったかはっきりおぼえとらんだけど、岡崎市内線が廃止になってだいぶたってからのことにちがいない。1957年うまれの筆者は、岡崎の路面電車がはしっとるのをみたことがないだ。挙母線は岡崎から豊田にむかってのっただけど、起点の大樹寺(だいじゅうじ)までいくのに苦労した記憶がある。市の中心の東岡崎や康生からけっこうなきょりがあるだ。電車はどんな電車だったかおぼえとらん。速度ははやくなかったきがする。名鉄のなかでも、三河部の名古屋本線やわが西尾線ははやいだけど、三河線や蒲郡線はおそい。おんなじ三河鉄道を前身とする挙母線が三河線とおんなじようにおそかってもおかしくない。まあ、おぼえてないことだらけなだけど、終点の上挙母はおもしろかった。ついた電車のりょうがわがホームで、りょうがわのとびらがあいて、豊田市方面の電車にもはんたいの知立方面の電車にもほのままのりかえれるようになっとっただ。当時中学生か高校生だったおれは、こんな形式のホームをみるのははじめてで、ほの便利さに感心したもんだ。
- ホームセンサー、三河線だけ? (あんみつ) - あきひこゆめてつどう|2015/03/06
- ふたたび 上挙母 (うわごろも) - あきひこゆめてつどう|2010/05/02
- 2010年 4月 とおかに 電車で おとずれた 上挙母だけど、きょう クルマで 鞍ケ池公園 (くらがいけこうえん)に あそびに いく 途中に また おとずれた。
- そとから みる 駅舎は おもいの ほか りっぱだったけど、無人駅と なった いまでは 自動改札機と 自動券売機だけが あれば よく、駅務室や 駅員の 宿泊 設備も そなえとったと はずの かつての おおきさは すでに 無用の ものだ。また、まえに 「駐車場で つかわれとる ささやかな えきまえひろば」に みえたのは、「駅舎の すぐ まえを はしる 道路と その りょうがわに ある つきぎめ 駐車場」だった。
- ところで この 上挙母の ある 豊田市と いえば、もちろん トヨタ自動車の おひざもとで あり、近年 にわかに 人口が ふえ、市内には あたらしく 整備された、かたみち 2車線、3車線の 道路が 縦横に はしっとるだけど、この 周辺だけは そう した 近代からは とりのこされ、むかしながらの まがりくねった ほそい 路地が あるだけで あり、豊田市が これから 解決すべき 課題だら。
- ノスタルジック 上挙母 (うわごろも) - あきひこゆめてつどう|2010/04/22
- 三河八橋が 高架に なり、土橋 (つちはし)が 橋上駅に なるなど、近代化が すすむ 三河線だけど、まだまだ ノスタルジーは のこっとる。2010年 4月 とおかに おとずれた 上挙母 (うわごろも)だ。
- 写真は 猿投 (さなげ)いき ふつうを みおくる ところだけど、ホームから 改札の ある 駅舎に いくには、構内 ふみきりを わたらにゃ いかんので、電車を おりた 乗客は しばし あしどめを くう。
- 駅舎は 木造で、ささやかな えきまえひろば*1は 駐車場に なっとる。ホームの 乗客に みえる ように たっとったと おもわれる 看板も いまは なく、看板を ささえる 無骨な ほねぐみが むきだしの まま 放置されとる。近代とか 洗練とか いう ことばとは 無縁の 風景だ。
- 知立 (ちりゅう)いき ふつうが はいって くる ところだ。構内配線は しま式 ホーム 1面 2線で、知立方面が 本線の 延長線上に まっすぐ 位置する。しま式 ホームで ある ことは 三河線の ほかの ほとんどの 駅と おんなじだけど、ほかが のぼり くだりとも 本線の 延長線上から そとに ふくらむ 配線で あるのに くらべて、この 上挙母の 配線は めずらしい。
- ホームセンサー (みぎの しゃしん)だけが ゆいつ めあたらしい ものだけど、ホームも ホームの やねも きの まくらぎも、どれも むかしの ままだ。しばし タイムスリップ 気分を あじわう ことが できた。