うのくび

2021.4.28 (35) 矢作川 - うのくび 1980-1480

矢作川上流にうのくびってとこがあるってきいて、いってきた。あのひろびろとしたながれの矢作川が、ほこでうのくびみたいにきゅってしまっとるだげな。こんかい、豊田のまちなかにちかい久澄橋(きゅうちょうばし)からしゅっぱつ。矢作川をみなみにすすんで、うのくびをみて、また、東岸にある古墳や展望台、神社なんかにあがって沿岸一帯をみはらしたりして、山室橋(やまむろばし)までのかんをたびしてきた。
〔2021年4月28日訪問〕

〔きゅうちょうばし〕〔りゅうぐうばし〕〔うのくびばし〕〔まるねじょう〕
〔ふたたびうのくびばし〕〔のみやまてんぼうだい〕〔のみじんじゃ〕〔やまむろばし〕
[豊田南部デジタル標高地形図(国土地理院)]

◇            ◇

きゅうちょうばし

2021.4.28 (8) 矢作川 - 久澄橋(きゅうちょうばし) 2000-1500

豊田市駅から、東南にまちなかをとおっていったとこで矢作川にあたる。堤防にあがって、ひだり、かみに久澄橋(きゅうちょうばし)をみる。はしの上部にしろいおおぎがたの鉄骨ぐみが2連である、うつくしいはしだ。すぐうしろのしろいアーチ橋、豊田大橋(とよだおおはし)やほのみぎの豊田スタジアムともかさなって、なかなかみごたえのあるけしきだ。

2021.4.28 (9) 久澄橋からかわしもをみる 1980-1480

はしのまんなかから西岸にもどりながら、しもをみる。

2021.4.28 (10) 久澄橋からかわしもをみる 2000-1500
2021.4.28 (11) 久澄橋からかわしもをみる 2000-1500
2021.4.28 (12) 久澄橋からかわしもをみる 2000-1500

りょうがわのたかい位置にはばひろくかわらがあって、まんなかのいちだんひくい位置をみずがながれていく。かわは、しもにいくにしたがって、ひだりにゆみなっていく。

2021.4.28 (13-1) 矢作川 - 久澄橋 820-1360

にしづめから堤防道路をみなみにいく。

2021.4.28 (14) 久澄橋竜宮橋間 - かわしもをみる 2000-1500
2021.4.28 (15) 久澄橋竜宮橋間 - かわしもをみる 2000-1500

とちゅう、にしがわのかわらがでっぱっとる。

りゅうぐうばし

2021.4.28 (16) 矢作川 - 竜宮橋(りゅうぐうばし) 2000-1500

はしげただけの、あっかいはしにとうちゃく。竜宮橋(りゅうぐうばし)だ。むこうにもりがみえて、ながれはよどんだかんじにみえる。

2021.4.28 (17) 矢作川 - 竜宮橋(りゅうぐうばし) 2000-1500

ちかづいて、はしげたのしたからむこうに、あっかい鉄骨トラスのはしがみえる。あれが鵜の首橋(うのくびばし)だ。こっからうのくびがはじまるだ。

2021.4.28 (18) 矢作川 - 竜宮橋(りゅうぐうばし) 2000-1500

竜宮橋のみなみまでいって、はしをふりかえる。クレーン車もおって、はしげたの工事をやっとる。

2021.4.28 (19) 矢作川 - うのくび 2000-1500

うのくびにちかづいて、かわはまたひだりにゆみなっていく。西岸のもりにかくれて鵜の首橋もみえんくなる。りょうがわの堤防がなくなって、こっからしもはもりのなかをかわがながれる。

うのくびばし

2021.4.28 (20) にしから鵜の首橋え 1600-1200

西岸のもりから矢作川にむかって、みちをくだっていく。

2021.4.28 (21) にしから鵜の首橋え 1600-1200

あった。さかをくだりきったとこに、あっかい鉄骨トラスの鵜の首橋(うのくびばし)がみえる。

2021.4.28 (22) にしから鵜の首橋え 1980-1480
2021.4.28 (23) 矢作川 - 「うのくびはし」 1580-1180

いよいよわたる。

2021.4.28 (24) 矢作川 - 鵜の首橋(うのくびばし) 2000-1500

やっほー! つりばしきぶんだ。

2021.4.28 (25) 矢作川 - 鵜の首橋からしも 1600-1200

東岸ももり。いや、豊田のまちよりもしもに、こんなとこがあったとはおどろきだ。

まるねじょう

2021.4.28 (26) 豊田 - 丸根城あと 2000-1500

鵜の首橋(うのくびばし)ひがしづめから、ひがしにたかみにあがっていったとこに丸根城(まるねじょう)。からぼりのなかにいしぶみがたっとって、ほのからぼりからむこう、うのくびまでのあいだがしろのなわばりになる。

2021.4.28 (27) 丸根城 - 虎口(こぐち)と北曲輪 2000-1500
2021.4.28 (28) 丸根城 - 北曲輪 1980-1480

虎口(こぐち)からすすんで、ひだりに北曲輪。ただ、くさばえのひろばのまんなかに休憩ごやがたっとる。

2021.4.28 (30) 丸根城 - 主廓 1970-1500

おくに主郭。こっちも、ただ、くさばえのひろば。一角に説明がきがあって、なわばりずはわかるけど、由緒はかいてない。おくにうのくびがみおろせるはずだけど、こだちにはばまれてみえん。

2021.4.28 (29) 丸根城北曲輪から竜宮橋をみる 2000-1500

きたのほう、わずかに竜宮橋がみえるのがやっと。

ふたたびうのくびばし

2021.4.28 (32) 矢作川 - 鵜の首橋 2000-1500

東岸道路におりてちょっとみなみにいったとこから、うのくびをみる。りょうがわはもりで、みぎ、かみに鵜の首橋(うのくびばし)と、ほのうしろの竜宮橋もみえる。

2021.4.28 (33) 矢作川 - 鵜の首橋 2000-1500

東岸道路からしたにおりていけるとこがあって、おりていってみる。

2021.4.28 (34) 矢作川 - うのくび 2000-1500

かわべりにはつりびとも2、3人。むこうぎしは、みなもからいきなりもりだ。

2021.4.28 (35) 矢作川 - うのくび 1980-1480

ひだり、しも。よどんだかわがみぎにゆみなっていって、ほのりょうがわにもりがつづいていく。竜宮橋のへんまであったかわらはなく、みずのながれのりょうがわはいきなりもりだ。もりのそこをみずがながれていく。

のみやまてんぼうだい

2021.4.28 (36) 豊田 - 野見山展望台 1600-1200

東岸をまあちょっとみなみにいって、ひがし、野見山展望台(のみやまてんぼうだい)にあがる。

2021.4.28 (37) 野見山展望台から豊田のまちをみる 1980-1480

きた、うのくびのもりのむこうに、豊田のまちをみはらす。

2021.4.28 (38) 野見山展望台から鵜の首橋をみる 1980-1480

もりのはしに鵜の首橋(うのくびばし)と竜宮橋もはっきりみえる。

2021.4.28 (39) 野見山展望台からトヨタ自動車をみる 1980-1480

にしにトヨタ自動車の本社工場群をみはらす。

2021.4.28 (40) 野見山展望台(のみやまてんぼうだい)から西南をみる 1600-1200

矢作川のかわももみえる。

2021.4.28 (41) 野見山展望台からみなみをみる 2000-1500

きた、矢作川のみなみのほうに、伊勢湾岸自動車道斜張橋(しゃちょうきょう)をみはらす。

のみじんじゃ

2021.4.28 (46) 野見神社(のみじんじゃ) - 社名柱 1980-1480

野見山展望台からおくに野見神社(のみじんじゃ)っていう神社があって、いってみる。

2021.4.28 (42) 野見神社からみなみをみる 2000-1500

参道をすすんで境内にあがると、こっからもみなみに伊勢湾岸自動車道斜張橋がみはらせる。

2021.4.28 (45) 野見神社(のみじんじゃ) - 由緒がき 2500-1900

社殿ひだりてまえに由緒がき。「祭神はのみのすくね。垂仁天皇(すいにんてんのう)の勅命により、悪逆非道なたいまのけはやをたおした。はにわをつくることにして殉死を禁止した。野見神社が、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にある加茂七座の筆頭。渡辺藩の武運長久領内安全の祈願所だった」とのこと。いや、まつってあるかみさまがのみのすくねって、めずらしいな。すもうをとってたいまのけはやをたおしたっていうはなしもきいたことがある。はにわのはなしはまったくしらんかった。はにわができるまでは、おうさまのしかばねといっしょにいきうめにされるひとがおっただ。のみのすくねがはにわを発明したこと、すごいな。

2021.4.28 (43) 野見神社(のみじんじゃ) - 神石 2000-1500

由緒がきのとなりに神石。これは、なんのご利益があるのかわからん。

2021.4.28 (44) 野見神社(のみじんじゃ) - 社殿 2000-1500

社殿におまいり。銅板ぶき、ひらいりで、本殿は垂直ちぎとかつおぎつき。社殿のてまえ、シートがかけてあるのはすもうば。さすがのみのすくねのおみやさん。ここで奉納ずもうをやるにちがいない。

やまむろばし

2021.4.28 (47) 矢作川 - 山室橋(やまむらばし)きた 1980-1300

東岸道路におりて、みなみにしばらくいって山室橋(やまむろばし)のちょっとかみで観察。このへんもまんだかわらはなくて、西岸はもり。

2021.4.28 (48) 矢作川 - 山室橋 2000-1500

ひだり、しもに山室橋をみる。かわはやっぱりよどんどる。

2021.4.28 (49) 矢作川 - 山室橋 1600-1200
2021.4.28 (50) 矢作川 - 山室橋(明治用水頭首工) 2000-1500

山室橋をにしにわたるとこで、ひだり、しもに明治用水頭首工(めいじようすいとうしゅこう)をみる。ここでせきとめたみずで、下流碧海郡(へっかいぐん)一帯のたんぼをうるおしとるだ。以上、うのくびのたび。

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豊田南部デジタル標高地形図(国土地理院) 1040-690

うちにかえって、国土地理院の豊田南部デジタル標高地形図を発見。トヨタ自動車の本社工場群よりきたがわ、豊田のまちは完全な盆地だ。この豊田盆地にふったあめはぜんぶ矢作川にながれこんで、ほれがぜんぶうのくびをとおって下流にながれていくってわけだ。ほや、豊田盆地で洪水になるわけだ。江戸期、挙母藩は豊田のまちなかに桜城をつくらあっておもったけど、たびかさなる矢作川の洪水で断念。にしのたかだいに七州城(ひちしゅうじょう)をつくることになったっていう。2000年の東海豪雨でもうのくびがつまって、豊田のまちのほうで矢作川が決壊して豊田スタジアムのへんとかもみずびたしになったっていう。

ちなみに、トヨタ自動車の本社工場群からきたがわが加茂郡(かもぐん)、ほれよりみなみがわが碧海郡になるだけど、碧海郡では、碧海台地にふったあめは開析谷(かいせきこく)をながれて衣浦湾(きぬうらわん)にそそいで、矢作川よりの沖積平野にふったあめは矢作川にながれこんで三河湾にそそいで、っていうふうにみずのながれは分散されとる。


(さんこう)