2021年6月16日、発見館こと豊田市近代の産業とくらし発見館をおとずれた。とくに興味をひかれた展示資料について以下に紹介する。
1.ころもやき 2.旧下山郵便局 3.足助資料館 4.旧郡界橋 5.明治用水・枝下用水系統図 6.尾三バス路線図 7.挙母土場の図 8.かわぶねの航路図 9.西加茂郡立農学校女子室の養蚕ふうけい 10.蚕種検査吏員 |
1.ころもやき
ころもやきは、1919年ごろから1940年ごろにかけて、上挙母(金谷町=かなやちょう)、下挙母(若宮町=わかみやちょう)とよばれた2か所でやかれた陶器と1932年ごろから1935年ごろまで、朝日ケ丘地区(ばしょ不明)でやかれた陶器を総称して「ころもやき」とよびます。ころもやきには茶器、花器、酒器などがあります。
豊田にもむかしはやきもんがあっただ。上挙母(うわごろも)にたいする下挙母っていうとこがあったことも、はじめてきいた。「しもごろも」ってよむのか。若宮町は豊田市駅のうらがわ。
2.旧下山郵便局
〔大沼町(おおぬまちょう)地内〕
1931年に建設され、1972年まで下山郵便局として使用されたたてもん。基本的な構造は木造ひらやだてですが、道路に面したまぐち4.5間、おくゆき1.5間をモルタルぬりの洋風2階だてとしております。
おもてだけ洋風にしてあるってことだけど、これから近代をむかえるだぞっていう1931年当時のきおいをかんじる。
3.足助資料館
〔足助町〕
1922年に建設された、旧愛知県蚕業とりしまりじょ第4支所のたてもん。発見館のたてもんと同様に、鉄筋コンクリートづくりのかべに木造こやぐみのかわらぶきやねがのったひらやだてです。外観は発見館のたてもんとことなる西洋風の意匠がもちいられております。
おんなじ愛知県蚕業とりしまりじょだっただけあって、発見館のたてもんにじつにようにとる。豊田のまちなかにある発見館が第9支所だったのにたいして、この足助資料館が第4支所だったってことは、足助のほうがほいだけ蚕業がさかんだったってことか。
4.旧郡界橋
〔連谷町(れんだにちょう)地内〕
1917年竣工。東海地方最古の鉄筋コンクリートづくりのアーチ橋です。はしのながさはおよそ24メートル、はばは4メートルです。
郡界橋っていうと、額田郡と加茂郡のさかいにあるふたつのはしがおもいうかんだだけど、じつは伊勢神トンネルをひがしにぬけた連谷町にあるはしだった。加茂郡と設楽郡のさかいになる。
5.明治用水・枝下用水系統図
明治用水(めいじようすい)と枝下用水(しだれようすい)が、いかにひろくわが碧海郡(へっかいぐん)をうるおしとるかがようわかる。
6.尾三バス路線図
尾三バスなんてきいたこともないバスが、豊田のまちを中心にはしっとっただ。にしは名古屋、きたは瀬戸、みなみは岡崎につながって、ひがしはなんと足助、稲武からさらに田口までいっとることにおどろく。
7.挙母土場の図
挙母土場は、現在の久澄橋(きゅうちょうばし)の矢作川右岸がわにありました。この図は1968年に小笠原金次郎氏がかつてのようすをえがいたもん。かわぶねやいかだがいきかい、おおくのにもつもみれます。中央にえがかれたいしがきは、現在も久澄橋のしたにのこっております。
いまは舟運なんかまったくない矢作川だけど、こんなにいきいきとふねがいきかっとった時代があっただ。久澄橋は豊田のまちなかにあるはし。ほんなとこに、いまも土場のいしがきがのこっとるとは。
8.かわぶねの航路図
矢作川にこんなふうにかわぶねがいきかっとったとは。下流域の西尾、岡崎から中流域の豊田にかけて、こんなにいっぱい土場もある。
9.西加茂郡立農学校女子室の養蚕ふうけい
(さんこう)養蚕ふうけい - 西加茂郡立農学校女子室にて(大正期/個人提供)
高橋村(いまの高橋地区)にあった西加茂郡立農学校(いまの愛知県立猿投農林高校)での養蚕ふうけいです。
戦后の蚕業指導所のころ、いまの第1展示室では、この写真のようにめだな(目棚)をならべておよそ2万頭のかいこを飼育しておりました。ほのとしの気候にあわせた養蚕指導をするための先行飼育でした。
県立とか市町村立じゃなくて郡立の学校があっただ。高橋地区ってのは、豊田のまちから矢作川の対岸にあるだけど、ほんなとこにこの郡立農学校があったのか。ほいから、いまの愛知県立猿投農林高校だっていうけど、高橋地区と猿投地区はべつのばしょだで、移転したってことか。
じぶんはかいこなんかみたこともないだけど、むかしはかいこからいとをつくることがおおきな蚕業だっただ。ほれにしても、かいこをそだてとったのが女子室だったってのはどういうわけなのかな。
10.蚕種検査吏員
愛知県蚕業とりしまりじょ第9支所(挙母支所)の作業室では顕微鏡による検査がおこなわれておりました。
(さんこう)愛知県第1蚕病予防事務所検査室(部分) - 1905年ごろ - 顕微鏡で検査(母蛾検査もしくは蚕卵検査)をしております。
蚕業とりしまりじょでは、微粒子病予防のため、法定にもどつく厳重な蚕種の検査をおこなっておりました。当時、最新かつ権威ある顕微鏡検査をする、わかいむすめたちの蚕業検査吏員が30名ちかく従事しておりました。かのじょらは女学生が着用するような、こんやむらさきのはかまをはき、しろたびすがたでほこりたかくまいにち通勤しておりました。
当時の女性のしょくばはきわめてすくなく、まいにちはかまにしろたびすがたで、さっそうと通勤するしょくばは、おんな教師と蚕種検査吏員だけでした。蚕種検査吏員は、4月から11月までの蚕種検査の期間勤務し、12月から翌年3月までは休職となるので、このかん、裁縫、茶道、華道、料理などのはなよめ修業をしました。
(中村為又『繭の中で』より)
こんばかまにしろたびでさっそうと通勤する蚕種検査吏員か。おんなのひとのつとめさきとして、おんな教師のほかにはほの蚕種検査吏員しかなかったっていう。きっとおとこたちのめをひいたことだらあな。
(さんこう)