にし碧海郡(へっかいぐん)とひがし額田郡(ぬかたぐん)のこおりわかれとして、きたからみなみにながれる占部川(うらべがわ)。2021年5月にじゅうよっか、この占部川をさかのぼってみた。また、さらに占部用水をさかのぼってみた。
〔占部川をさかのぼる〕〔占部用水をさかのぼる〕[地図]
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占部川をさかのぼる
しゅっぱつ地点は和田橋(わだばし)のみなみ、かわの西岸。対岸、どてにおおきく排水路りゅうにゅうぐちのてつぶたがみえる。一帯の市街地からながれてきたみずが、ここで占部川におちるだ。
ひだり、和田橋にむかってあるく。
おんなじような排水路りゅうにゅうぐちが、対岸になんかしょかある。
和田橋のうえから、しもをふりかえってみる。コンクリートがはってあるのかどうかはわからんけど、かわぞこはたいらで、かわはばいっぱいにあさくみずがながれる。
クルマのいっぱいいきかう和田橋をきたによこぎる。みちは県道岡崎刈谷線で、はしをひがしにわたってみなみにちょこっといったとこに東海道線の岡崎駅がある。
和田橋からまた西岸をかみにあるく。
対岸、和田橋のすぐかみにも排水路りゅうにゅうぐちがあって、西岸にもちいさな排水路流入ぐちがある。
かみ、ちいさなはしごしに東海道線を貨物列車がいくのがみえる。
ちいさなはしのなまえは上和田小橋(かみわだこばし)。1978年3月新設の歩行者専用のはしだ。
上和田小橋のうえから、しもをふりかえってみる。
かみ、かわが東海道線のしたにもぐっていくのがわかる。
さらに西岸をきたにあるいていってみると、東海道線のしたにもぐっていくとこからてまえでかわはばがせばくなっとる。くぐったさきはどうなっとるのか。西岸は東海道線でいきどまりになっちゃっとって、堤防のそとに東海道線をくぐる歩道のある東岸にまわっていくことにする。
東海道線をくぐったとこで、愛知環状鉄道とのあいさに空間。このかんも占部川はながれとって、さらに愛知環状鉄道のしたにもぐっていく。
愛知環状鉄道をくぐったとこは、線路ぞいの道路。
線路ぞいの道路のがわからみてみると、愛知環状鉄道のしたにはたしかにかわがながれとる。いったいこのみずはどっからくるのか。
フェンスにさえぎられて、したのようすをさぐるのは不可能。
この地点からきたにのびる道路があるだけど、占部川のながれはこのさき道路のしたにもぐっていくのか。とにかく、かわとしての占部川はここが最上流地点になることをかくにん。
占部用水をさかのぼる
占部川東岸を東海道線のみなみまでもどったとこで、対岸にちいさな排水路りゅうにゅうぐちを発見。
西岸にまわっていってみると、東海道線ぞいにある側溝のみずがながれてくるだけだった。
ところでここに城南公園って公園があって、「拓城南」っていしぶみがあるだけど、なんのいしぶみか。
うらめんに竣工のことばがあって、よんでみる。「この区画整理事業は、東海道線と県道岡崎刈谷線にかこまれた羽根町(はねちょう)、上和田町(かみわだちょう)、六名町(むつなちょう)の農地を市街化して、あたらしく城南地区ができた。完成を記念してこのいしぶみを建立した。1980年3月吉日」とのこと。上和田町は碧海郡、羽根町と六名町は額田郡に属するだけど、郡をまたいで区画整理事業がおこなわれただ。
さて、こっからにしのほうに占部用水って用水があるのをおもいだして、いってみることにする。地図のうえでみただけで、いきあたるかどうかわからんだけど、とにかく城南公園からにしにのびるみちをあるいていく。
みぎに県営上和田住宅をすぎたとこで、あった。南北にのびる道路のひがしにそって、はばのひろい用水がはしっとる。まじわる地点からちょこっときたにいったとこに巨大ます。いまはふたがきさっとってみずのながれはみえんけど、これが占部用水にまちがいない。いや、むかしっからなんかいもめにしとったこの用水が占部用水だっただ。
用水のうえをきたにあるいていく。
しばらくいって、ポンプ場があるっておもったら、除塵機(じょじんき)。ここでごみをとりのぞいて、きれいなみずをしもにながすだ。
除塵機のきたは東海道のどてにつきあたり。
にしからぐるーって東海道線のきたがわにまわって、除塵機からの延長線上にとうちゃく。ある、ある。東海道線のしたをとおって、ちゃんと用水がつながってきとる。
用水にそってきたにあるく。
ぐいーんってひだりにゆみなって、進行方向がにしむきにかわる。
六名ほんどおりをよこぎるとこで、ふりかえってみる。
さらに六名ほんどおりからにしに用水はのびる。この六名ほんどおりもかぞえきれんぐらいとおっとるみちだ。
にしにすすんで、用水上部にまどがあるのを発見。いままでなかったもんがここにきてあらわれただけど、なんのためのもんなのか。
すすんで、用水のみずのながれがおもてにあらわれる。水路が複線になったうえで、みずのながれがおもてにあらわれる。ほのさきに分水堰(ぶんすいぜき)。まえに真宮遺跡(しんぐういせき)のまわりをあるいたときに発見した分水堰に、また、めぐりあった。ほのときはこの分水堰がなんの分水堰がわからんかっただけど、占部用水の分水堰だっただ。
複線の水路のうち、きたがわの水路はてまえの道路にもぐっていっとることをかくにん。
しもに占部用水につながるのは、みなみがわの水路。
分水堰からすぐにし、菅生川(すごうがわ)のどてのしたに水路がつながっていっとるだけど、みずのながれはよわい。
まあ1本、分水堰からきたにさかのぼっていく水路があって、ほれがひだりにゆみなって菅生川のどてのしたにはいっていく。みずのながれにいきおいもあって、こっちが本流にちがいない。
どてのむこうがわ、さらに水路は菅生川のかわらをさかのぼっていくことをかくにん。占部川と占部用水のたびをおえる。
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(さんこう)