石川家住宅を見学 - 2022年1月いつか

2022.1.5 (5) 石川家住宅(いしかわけじゅうたく) - 閑庭門 2000-1500

きょう2022年1月いつか、つまとふたり石川家住宅を見学してきた。ぜんかいひとりみよしのたびにいってていきゅうびだった石川家住宅に、はじめてなかにはいってみてきた。

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2022.1.5 (1) 国道155号線 - 高岡 1600-1200

あさ、ふるいのわがやをしゅっぱつ。恵那山をしょうめんにみて、国道155号線をきたにすすむ。

みよしの旧市街地にはいって、三好上(みよしかみ)の地区にある石川家住宅にとうちゃく。やしきのにしがわにある駐車場にクルマをとめて、きたもんからなかにはいる。われわれがきょうはじめての訪問者だったみたいで、かかりのおじさんが説明してくれる。石川家住宅は、1910年に庄屋(しょうや)の新家(しんや)としてたてられたもんだっていう。いや、ほんなにふるいたてもんじゃないだ。新三好村初代村長石川愛治郎がむすこ正雄の分家としてたてたもんで、さいごはまごの恒夫がすんどったとのこと。恒夫は東海銀行につとめたあと、中京テレビの社長、会長もつとめたひとであるとのこと。ほー。

2022.1.5 (6) 石川家住宅 - おもや(3畳) 2000-1500

みなみむきにおもや。わが三河地方の典型的な農家住宅だ。このたてもんにとくちょうてきなのは、玄関が東南のかどにあること。ひがしからもみなみからもはいれるようになっとるだ。ふつうはみなみがわのひがしよりに玄関があるだけど、きたもんからやしきにはいってくる関係で、こういうふうにしてあるにちがいない。ひがしからのいりぐちのほうが主みたいにみえる。なかにはいってみると、天井がひくい。2階だてのためか、保温のためか。内装はとくべつに豪華なもんじゃない。玄関となり、いまのみなみに3畳のまがある。ふつうならえんがわになっとるとこを、独立したへやにしてあるだ。きょうみたいなふゆのひでも、ここだけぽっかぽかだ。

2022.1.5 (3) 石川家住宅 - おもや(ぶつま) 1920-1500

おもやのにしがわ。ぶつまがあって、えんがわがある。

2022.1.5 (4) 石川家住宅 - わたりろうか 1990-1480

おもやからはなれにつながるわたりろうか。

2022.1.5 (2) 石川家住宅(いしかわけじゅうたく) - ざしき 2000-1500

はなれは、南北ふたまつづきのざしき。

2022.1.5 (5) 石川家住宅(いしかわけじゅうたく) - 閑庭門 2000-1500

にわのまんなかに門。額に閑庭ってかいてあるだけど、こっからおくが客人用のにわで、てまえが家人用のにわってかんじか。

2022.1.5 (8) 石川家住宅 - ひがしぐら(東蔵) 2000-1500

やしきのひがしがわにひがしぐら。かわらやねとしっくいのかべ。くろとしろの世界だ。

2022.1.5 (7) 石川家住宅 - ひがしぐらんなか 2000-1500

ひがしぐらんなかはすっかり改装してあって、内壁びっしりほんだな。まわりかいだんをあがっていったおくに秘密基地。

2022.1.5 (9) ホテルトヨタキャッスル=ころも - やきにく定食 1590-1190

見学をおえて豊田に移動。豊田市えきまえホテルトヨタキャッスル2階のころもでひるごはん。おれはやきにく定食。つまはてんぷら定食。ごちそうさまでした。

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みよしのたび - 2021年11月ふつか - あきひこゆめてつどう|2021/12/18

【石川家住宅のにしめん】

2021.11.2 (52) みよし - 石川家住宅(にしめん) 2000-1500

ひだりにでっかいくらがあって、ほっからみぎにたてもんがつづく。くろいかわらやねに、外壁のうえのほうがしろいしっくい、したのほうがくろいしたみいたばり。くろとしろの世界のうつくしいこと。

【石川家住宅のきためん】

2021.11.2 (54) みよし - 石川家住宅(きためん) 1950-1480

【駐車場説明がきの平面図】

2021.11.2 (53-1) 石川家住宅ご案内(平面図) 1080-1560

【駐車場説明がきのご案内】

2021.11.2 (53) みよし - 石川家住宅ご案内 1600-1190

開館時間=9:00~16:30/開館日=水、木、土、日曜日(ただし12月28日~1月4日は休館)/入場無料
住所=愛知県みよし市三好町上82

みよし市/石川家住宅について

【石川家住宅について】

石川家住宅は、三好村(みよしむら)、莇生村(あざぶむら)、明越村(あけこしむら)の3村が合併した新三好村初代村長を務めた石川愛治郎氏が1910年に建築したもので、息子正雄氏の分家であり、愛治郎氏が晩年、隠居し暮らした住宅です。

長屋門や主屋、西蔵は、建築当初の雰囲気を色濃く残しており、2011年8月19日にみよし市指定有形文化財(建造物)となり、同年11月に市へと寄贈されました。明治時代末期の建築ながら、伝統的な日本家屋であり、みよし市周辺の一般的な民家としての様相を持つ一方、長屋門や主屋各所の造作、座敷などに地域の有力者の住宅としての一面を垣間見ることができます。

石川恒夫 - Wikipedia

石川恒夫

石川恒夫(いしかわつねお/1919年2月16日 - 2011年2月27日)は、愛知県西加茂郡三好村(現・みよし市)出身の実業家・歌人中京テレビ放送社長・会長。2011年に「石川家住宅」はみよし市指定有形文化財(建造物)に指定された。

石川家は愛知県西加茂郡三好村(現・みよし市)の有力農民である。祖父の石川愛治郎は三好村戸長・三好村村長・西加茂郡会議員・三好村会議員などを務めた。父の石川正雄は主屋・長屋門西蔵東蔵などからなる現在の石川家住宅を建設した。1919年2月16日、正雄の長男として三好村に恒夫が生まれた。

1940年に慶応義塾大学経済学部に入学したが、同年に不慮の事故で右足を切断しとる。同年夏から秋にかけて闘病生活を送り、その中で短歌に出会って折口信夫に師事した。恒夫は右足を切断した后も、スキー・野球・ゴルフなどのスポーツに親しんどる。1948年には短歌結社「金雀枝」(えにしだ)に入会。1976年には金雀枝賞を受章しており、のちには顧問を務めている。

1943年に慶応義塾大学経済学部を卒業し、1944年に東海銀行に入行した。1950年には東海銀行従業員組合中央執行委員長の座に就き、3度選任されて1955年まで中央執行委員長を務めた。1950年には東海銀行の文化祭で木下順二の「夕鶴」を演出しとる。

東海銀行では本店営業部為替課長、東京業務部長などを経て、45才だった1963年に取締役に就任した。1966年6月に東海銀行の取締役を退任し、千代田火災海上保険の副社長に就任した。1975年5月には東海銀行監査役に就任した。1979年には中京テレビ放送の副社長に就任。これと前后する1978年には、住まいを東京から故郷に移すのに合わせて、石川家住宅を大改修しとる。1981年6月には中京テレビ放送の社長に就任し、1992年6月には中京テレビ放送の会長に就任した。1998年には中京テレビ放送の取締役相談役に就任し、2002年6月25日に取締役相談役を退任した。

恒夫は読書家としても知られ、その蔵書を生前にみよし市に寄贈しとる。2011年2月27日、心不全のために死去した。

死后の2011年8月には「石川家住宅」がみよし市指定有形文化財(建造物)となっとる。同年11月には恒夫の遺族が、建造物群・土地・調度品や美術品などを一括してみよし市に寄贈しとる。みよし市は恒夫の蔵書を石川家住宅の東蔵に収蔵しとったが、2016年のみよし市立中央図書館の移転に合わせて図書館内に石川文庫を設置した。この石川文庫は別置されとるわけではなく、一般の書籍と一緒に陳列されており、一般の書籍が青色のラベル、石川文庫が赤色のラベルで区別されとる。