いま、名鉄の東部方面にいく電車も西部方面にいく電車も、名鉄名古屋のえきからでとる。ところで、むかしはほじゃなかった。東部方面にいく電車は神宮前(じんぐうまえ)が起点で、西部方面にいく電車は柳橋(やなぎばし)が起点だった。ほいで、神宮前はいまも名古屋本線上にあるだけど、柳橋は名古屋本線からはずれたとこにあった。名鉄名古屋のえきから東南にあるいていったとこにあった。柳橋から押切線(おしきりせん)できたにすすんで押切町(おしきりちょう)までいって、ほっから枇杷島線(びわじません)でにしにすすんで枇杷島までいって、さらに庄内川鉄橋をわたった枇杷島橋で犬山線と名古屋本線につながるってかたちだった。枇杷島橋のえきはいまの枇杷島分岐点のとこにあった。まあ、この、柳橋から押切町をとおって枇杷島までいく、押切線と枇杷島線の経路は、名古屋本線の旧線でもある。押切線が路面電車で、枇杷島線とほれにつづく庄内川鉄橋が郊外電車だった。ともに名古屋電鉄が建設したもんで、これが名鉄のはじまりになる。
2022年1月なのか、ほの押切線(おしきりせん)と枇杷島線(びわじません)の廃線あとをあるいてきた。
名鉄名古屋 → 柳橋 → (押切線) → 押切町 → (枇杷島線) → 終点 → 東枇杷島 → (弥富いきふつう) → 西枇杷島 → (豊明いきふつう) → 名鉄名古屋
[乗車記録]
注 | 文中「ゆみなる」は「直角にまがるじゃなくて曲線的にまがっていく」っていう意味で、「くのる」は「くの字にまがる」っていう意味。 |
◇ ◇
東部方面からの電車で名鉄名古屋のえきにとうちゃく。中央かいだんから地上にあがる。名駅どおりにめんするここがえきの正面玄関で、風格のあるたたずまいだ。ただ、みちのむこうがわにわたる横断歩道がなくて、ひとのながれがすくないのがざんねんなとこだ。おおくのひとのあしは、えきのかいさつからほのままつながる地下街にむかう。地上にあがるのは地下街をたのしんだあと、または、あがらずじまいでえきにもどっちゃう。
名駅どおりぞいにみなみにあるいて、名鉄バスセンターのまえに天にもとどくたかさのナナちゃん人形。15年ぶりのおけしょうなおしで不在のあいだ代役をつとめた、ミナちゃん人形もまんだおる。いや、ひとにかくれるほどちいさいけど、おる。
さらにみなみにあるいて笹島(ささしま)交差点にとうちゃく。
こっからひがしにのびる広小路どおりが名古屋の東西のめぬきどおりで、このすぐにしにさいしょに東海道線の名古屋のえきがあって、愛知県はつの電車もこっからひがしに県庁前までのかんをはしった。1898年に名古屋電鉄が開業した広小路線だ。1895年に京都ではしったにほんはつの電車につぐ、にほんで2番めの電車になる。ちなみに岡崎電気軌道が岡崎明大寺(みょうだいじ)間を開業したのも、名古屋電鉄が広小路線を開業したのとおんなじ1898年のこと。ただし、当初は馬車鉄道だって、電化されたのは1912年のこと。
正面に名古屋モード学園のうずまきビルをみて、笹島交差点きたがわの歩道をひがしにわたる。
にぎやかな広小路どおりをひがしにあるいていく。いまは中央分離帯になっとるとこを、名古屋電鉄の路面電車がはしっとっただ。
柳橋西バス停をすぎて、柳橋交差点てまえひだりがわに時間がしの駐車場。ここが柳橋のえきがあったとこだ。
柳橋のえきがあった交差点の西北かどまでいくと、歩道にはとがいっぱいおって、なんにんかのおんなのひとが写メしとる。
柳橋交差点のみなみにわたって、西北かどの柳橋のえきのあとをみてみる。1901年、名古屋電鉄は、こっからきたに押切町までのかんに押切線を開業した。広小路線につぐ第二の路線だ。
押切線も広小路線におなじく路面電車で、南北の幹線道路のまんなかをはしった。うえをはしる名古屋高速の橋脚がたっとるとこを、名古屋電鉄の路面電車がはしっとっただ。柳橋のえきからみぎにみちのまんなかまででて、きたにむかってはしっていくかたちだった。
柳橋のえきのあとをせにして、押切線がはしっとった南北の幹線道路をきたにあるいていく。
西柳町(にしやなぎちょう)交差点を直進。錦どおりをよこぎる。錦どおりのしたを地下鉄東山線がはしっとるだけど、これが広小路線のやくめをはたしとる。
ひだりに柳橋中央いちばのいりぐち。
ひだりに味仙(みせん)。
泥江町(ひじえちょう)交差点を直進。桜どおりをよこぎる。桜どおりのしたを地下鉄桜通線がはしっとるだけど、これは地下鉄東山線を増強する路線だ。
すすんで、国際センターバス停。「つぎは円頓寺通南(えんどうじどおりみなみ)バス停」。
ひだり、ごきげんラーメンは準備中。
ひだりT字の那古野1丁目(なごのいっちょうめ)交差点を直進。
みぎにながや店舗。この交差点のへんからきたにけっこうなながさでつづいとって、なんげんかのみせがはいっとる。
円頓寺通南バス停。「つぎは明道町(めいどうちょう)バス停」。いや、いきすぎた。那古野1丁目交差点で左折せにゃいかんかった。押切線はおおきくひだりクランクしてまあ1本にしの南北のおおどおりにつながるだけど、さっきの那古野1丁目交差点で左折してにしにいかにゃいかんかっただ。
もどって、那古野1丁目交差点からにしにはいっていく。
ほれまでの南北の幹線道路とちがって、ずいぶんせばいとおりだ。とちゅうで、みぎにちょこっとくのる。
みぎに若鶏専門店「鳥なんとか」。でんわ551-4676。
信号交差点を直進。
那古野(なごの)交差点がみえてきた。あっこを右折して、南北の幹線道路をまたきたにいくだ。
変則5差路の那古野交差点にとうちゃく。ひだり60度のみなみに、すぐ名駅の摩天楼がそびえる。名鉄名古屋のえきからぐるーっておおまわりしてきただ。
みぎ90度のきたに、南北の幹線道路をあるいていく。ひろびろとしてきもちいい。おんなじ幹線道路でも柳橋から那古野1丁目交差点までの区間が、うえに名古屋高速がはしっとったのにくらべて、こっちはなんにもなくてひろびろとしとるだ。
ひだり、名古屋プライムセントラルタワーのしきちのかたすみに、名古屋電鉄発祥の地のいしぶみ。広小路線、押切線って路線をのばしていった名古屋電鉄の本社がここにあっただ。
みぎに、もと那古野小学校のたてもん。いまは「なごのキャンパス」ってなまえのシェアーオフィスになっとるらしい。
市バスがみなみにきたにいきかう。押切線の路面電車がこの市バスにかわっただ。
みぎに円頓寺商店街のいりぐち。いまは交通不便な商店街だけど、むかしはすぐとなりを路面電車がはしっとっただ。ほいから、円頓寺商店街はひがしに堀川のてまえまでのびとるだけど、ほっから五条橋で堀川をわたったとこに瀬戸線の起点堀川のえきもあった。
菊井町(きくいちょう)交差点を直進。東西の幹線道路をよこぎる。
ひだりに弘扇堂。木造モルタルぬり2階だてのたてもんだけど、なんのみせだかわからん。みぎに岐阜信用金庫名古屋支店。名古屋んなかでも岐阜にちかい地域だ。
ひだり、名古屋菊井郵便局とほのまえに菊井町バス停。「つぎは菊井通4町目(きくいどおりよんちょうめ)バス停」。
ひだりに川端敷物。さっきの弘扇堂におなじく木造モルタルぬり2階だてのたてもんで、みせさきで大将がたばこをすっとる。
菊井2丁目(きくいにちょうめ)交差点を直進。
ひだり、ファミリーマート菊井1丁目店でトイレをかりて、いっぷく。からだもあったまったか、ずーっとかぶっとったけいとのみみあてをとる。
回送の市バスにつづいて回送のメーグルがみなみにいく。メーグルってのは名古屋市内の主要な観光地をめぐるバスだけど、ここも経路のうちか。あるいは回送のためだけにここをとおっとるのか。
みぎ、歩道を女子高生らがみなみにあるいていく。いっぱいあるいていく。
菊井1丁目(きくいいっちょうめ)交差点を直進。みぎに啓明学館。
菊井通4丁目(きくいどおりよんちょうめ)バス停。「つぎは押切町バス停」。
むかいのバス停が啓明学館のすぐとなりで、女子高生らが列をなす。
信号交差点を直進。きたいきバスにおいこされ、名古屋駅いきバスとすれちがい。啓明学館の女子高生らがのるバスだ。
きたにあるいていく。
東西の幹線道路とまじわる押切交差点にとうちゃく。この東西の幹線道路のきたに美濃路が平行する。
押切線はこの交差点をきたにこえたとこで、ひだりに押切町のえきにはいっていった。柳橋のえきにおなじく、押切町のえきも道路からはずれたとこにあった。
もと西区役所たてもんがあって、ほのみなみにちいさな三角ロータリーがある。もと西区役所たてもんのしきちが、押切町のえきがあったとこだ。三角ロータリーは、道路中央からえきに進入する線路のあとか。
さて、はらがへった。いったん廃線あとめぐりを中断してひるめしだ。こっからきたの押切北(おしきりきた)交差点から美濃路をひがしにはいっていく。名古屋城下のにしのいりぐち樽屋町大木戸(たるやちょうおおきど)もこえてすすんで、いっかいはいってみいっておもっとったコパンについたけど、開店まえ。
ちょこっとにしにもどって、名古屋江川郵便局となりの正盛(せいせい)にはいって、あなごてんどんとそばを注文。そばはふつうはざるそばだけど、あったかいそばにかえれるとのことで、ほうしてもらう。こんなさぶいひはあったかいもんがいい。ごちそうさまをして、みせをあとにする。
押切町のえきのあった、もと西区役所たてもんのとこから廃線あとめぐりを再開。
もと西区役所たてもんのまえに押切町バス停。「つぎは天神山(てんじんやま)バス停」。
さて、こっからは郊外電車の枇杷島線だ。広小路線、押切線をてはじめに、名古屋市内に路面電車網をひろげていった名古屋電鉄がはじめて建設する郊外電車が枇杷島線で、1910年の開業になる。こっから専用軌道がにしにのびていくだけど、どういうふうにとおっていっとったのか。線路がとおっとったはずのとこは、たてもんがたっちゃっとって、とりあえず、もと西区役所たてもんのきたの生活道路をにしにはいっていく。
もと西区役所たてもんのしきちの西北かどまでいったとこで、あった。西北かどからちょこっとみなみにまわりこんだとこからにしにのびる生活道路があるだけど、これが枇杷島線のあとにちがいない。
まわりこんで、にしにあるいていく。みぎに榎公園。まえに美濃路をあるいたときにもたちよった公園だ。美濃路は、この生活道路のみぎに平行しとる。
みちがほっそくなって、みぎに榎小学校。ひだりにエノキ模型。
十字路を直進。笈瀬川筋(おいせがわすじ)をよこぎる。中央線もある道路だ。
みちがわずかにみぎにくのる。左右はずーっと住宅街。
十字路を直進。
ひだりT字のとこからみちがひろがって、ひだりに中層の共同住宅がつづく。名古屋市営住宅南押切荘だ。
みぎT字を直進。
十字路を直進。
また十字路を直進。みぎにはいったすぐにみぎに、名古屋厚生会館第二保育園があるのがみえる。
ひだりにつづいとった南押切荘もとぎれて、十字路を直進。
ちょっとひろい十字路を直進。この十字路のむこうがわ左右は駐車場。みぎはつきあたり。まっすぐいけたらすぐ美濃路があるはずなのに、いきどまり。ひだりに、みなみに平行する東西の幹線道路の上更東(かみさらひがし)交差点がみえる。
左右の駐車場のまんなかのせばいみちをすすんでいって、ひだりT字のむこうがわひだりに共親製菓(きょうしんせいか)第二工場。ほっからむこう、みぎは住宅街がつづく。
ひだりT字のむこうがわひだりに川津呼吸器・内科。
十字路を直進。
ひだりT字を直進したさきに、たっかいビルがたちはだかっとるのがみえる。もと西区役所たてもんのうらからずーっと枇杷島線の廃線あとをあるいてこれただけど、障害物にあたった。
みぎにちょこっとまわりみちするかたちで、たっかいビルのしきちをぬけてむこうがわにまわりこむと、ほこは南北の幹線道路にめんしたとこだ。たっかいビルは、なごやかハウス名西のたてもんだった。
なごやかハウス名西1階の駐車場になっとる部分からのぞいて、きたみちをふりかえってみる。
さて、南北の幹線道路の対岸に枇杷島スポーツセンターのたてもんがみえるだけど、中央分離帯があってわたっていけん。みなみに東西の幹線道路とまじわる上更(かみさら)交差点までいって、対岸にわたる。しかも横断歩道はなくて陸橋で対岸にわたる。じつに人間がクルマにけちらされとる光景だ。
さて、線路がとおっとったはずのとこは枇杷島スポーツセンターのしきちんなかにあって、どこっていう位置が特定できんくて、しきちのきたの道路をにしにはいっていく。
みぎT字のとこでみちがひだりにくのって、ひだりは枇杷島公園にかわる。スポーツセンターと公園が、となりあわせにあるだ。みぎは住宅街。
枇杷島公園の西北かどで、T字につきあたる。はて、どうしたもんか。このへんから枇杷島線はみぎにゆみなっていくはずなだけど、どうやってたどっていきゃあいいのか。みぎにまがっていくのが線路あとにちかいだけど、ふくろこうじになっとる。
しょうがなくひだりにまがってすぐのみぎT字にはいっていったとこで、電車のおとがきこえる。
おー、正面とおく、どてうえ高架のうえにあっかい電車がとまる。あっこが名古屋本線東枇杷島のえきだ。廃線あとめぐりのゴールもまあすぐだ。また、すぐの十字路を右折。ひだりに、みなみに平行する東西の幹線道路の開運橋(かいうんばし)交差点がみえる十字路を右折。
栄生街道(さこうかいどう)をきたにはいっていく。
すすんで、みおぼえのあるけしきがあらわれる。まえに美濃路をあるいたときにとおった、セブンイレブン名古屋枇杷島1丁目店のとこにでるだ。ところで、みぎ、ひがしにはいるこみちがあるのを発見。はいっていって、みぎまわりにまわっていくと、でた。枇杷島公園の西北かどにでた。枇杷島公園の西北かどからきたに、ふくろこうじになっとるようにみえたけど、じつはみぎクランクしておくにいけただ。
あるきなおしだ。枇杷島公園の西北かどからきたにはいる。
みぎクランクしていく。
T字につきあたり。
つきあたりを左折してこみちにはいっていくだけど、つきあたったとこのしきちが変形になっとるのにきづく。ひだりななめにおくにしきちがのびとるじゃんか。しかも、ひだりのしきちざかいが、おくにいくにしたがってみぎにゆみなっていっとるし。いやいや、これ、ぜったい枇杷島線のあとにまちがいないわ。押切町のえきからずーっとにしにすすんできた枇杷島線は、みぎにゆみなって美濃路と直角にまじわるだ。
興奮につつまれて、こみちをにしにはいっていく。
栄生街道にでてきたにすすんで、セブンイレブン名古屋枇杷島1丁目店交差点にでて、ここを右折。
美濃路をちょこっとひがしにいったひだりに理容ミキがあって、ほのむかい、たてもんのあいさからさっきの変形しきちをみてみる。やっぱりまちがいない。廃線路線図でも、このへんで美濃路と枇杷島線が直角にまじわっとるだ。
にしにもどったセブンイレブン名古屋枇杷島1丁目店交差点を右折して、きたにすすむ。ほんとは理容ミキからきたにいきたいだけど、みせをふみこえていくわけにもいかず。
ちょこっといったとこでみちはみぎにゆみなっていくだけど、えだわかれして直進するこみちにはいっていく。枇杷島線は美濃路と直角にまじわったあと、ひだりにゆみなってまた進行方向をにしむきにもどすだ。
こみちもひだりにゆみなっていく。
にしむきになって、T字につきあたり。
つきあたって南北の道路にでたとこで、あれ、これ、ひょっとしてまえにみたけしきじゃないか。まえに美濃路をあるいたときに、ちょこっと美濃路をはずれて木造2階だての4軒ながやをみた。ほの4軒ながやと、ほのきたの枇杷島治療院のある木造2階だてたてもんのあいさをぬけて、この南北の道路にでただ。こっからちょこっときたにいったひだりがわにも、木造2階だてのながや店舗がある。なんちゅう昭和な光景だ。
きたにすすんで、ほの木造2階だてのながや店舗のむこうの十字路を左折。
にしむきになったとこで、つきあたりに鉄筋コンクリートのたてもんがみえる。
つきあたったとこが枇杷島小学校の正門だって、ほっからこんどはみなみにすすむ。まあはい枇杷島線よりきたにきちゃっとるだ。
枇杷島小学校のしきちの東南かどを右折。いや、みちがかねんてになっとって、ほういうふうにしかいけん。
枇杷島小学校のしきちのみなみのほっそいみちをいく。
みぎT字にはいって枇杷島小学校のしきちのにしがわにまわりこんでいって、みちがまたひだり45度にくのる。
あれだ! くのったとこで、みえた。どてうえ高架の名古屋本線がそとがわにゆみなっとるとこに、このみちがつきあたる。このみちが枇杷島線のあとにまちがいない。
つきあたりまでいくと、うえをあっかい電車がいくのがはっきりみえる。1910年、名古屋電鉄が枇杷島線としてここまで路線をのばしただ。
どてうえにあがって、名古屋本線をいきかう電車をみる。あがったとこは庄内川鉄橋のひがしづめで、増結用のパノラマスーパーが、摩天楼をせにおおきくひだりに車体をかたげてやってくる。
かんつうがたのあっかい電車が、おおきくみぎに車体をかたげて摩天楼にむかっていく。いまは、名古屋本線をとおって名鉄名古屋のえきにいく名鉄電車だけど、むかしはこの地点から枇杷島線、押切線ってとおって柳橋にいっとっただ。
押切線、柳橋線の全線をたどりおえたとこで、ほのさき、いまも電車がはしっとる区間をたしかめにいく。庄内川鉄橋をあるいてわたっていくことはできんで、電車にのっていくことにする。
とちゅう、八幡社におまいりして、名古屋本線東枇杷島のえきにとうちゃく。
どてうえ高架ののりばにあがって、東枇杷島14時25分の弥富いきふつうにとびのる。電車は、ざんねんながらぎんいろ電車。
まっしょうめんに枇杷島小学校をみて、しゅっぱつ。
枇杷島小学校のとこまでいって、みぎした、ななめうしろに枇杷島線のあとをみる。
おおきくひだりにゆみなって、庄内川鉄橋をわたる。庄内川鉄橋ができたのは1912年のこと。岩倉経由の一宮線の開業とあわせてできた。郊外電車が、枇杷島線からさらにのびただ。
庄内川鉄橋をわたりきったにしづめに枇杷島分岐点。ここに枇杷島橋のえきがあった。いや、こんなせばいとこにえきがあっただ。ほいで、いまは分岐をひだりにはいるのが名古屋本線で、みぎにはいるのが犬山線だけど、さいしょはひだりにはいるのが津島線で、みぎにはいるのが岩倉経由の一宮線だった。津島線の開業は1914年のこと。のちに、岩倉経由の一宮線のうち岩倉までの区間が犬山線の一部になって、津島線のうち須ケ口までの区間が名古屋本線の一部になった。犬山線のが名古屋本線より2年先輩なだ。
名古屋本線からきたセントレアいき特急のこおろぎ特急とすれちがいながら、分岐をひだりにはいっていく。
14時26分、西枇杷島にとうちゃく。にしびのまぶしいこと。
ここまでかくにんしたとこで、おりかえしの電車にのらあっておもっただけど、のりおくれ。つぎの電車がくるまで30分まち。ちかくにみつけた喫茶店でひとやすみ。
さて、西枇杷島のかいさつをはいって、15時ちょうどの豊明いきふつうにのる。電車は、きんぎょばちのあっかい電車。
庄内川鉄橋をわたる。
ぐいーんってみぎにゆみなっていくとこで、ひだりしたに枇杷島線のあとをみる。むかしはこっちに線路がいっとっただ。
どてうえ高架をすすんで、東枇杷島に停車。
東枇杷島をでて、おおきくひだりにゆみなっていく。
直線をすすんで摩天楼がおおきくみえてきたとこで、栄生(さこう)に停車。さっき枇杷島線をたどっていくとこでちょこっととおった栄生街道は、みなみにここにつながる。
摩天楼のしたにもぐって名古屋にとうちゃく。15時6分。しゅっぱつ地点にもどったとこで、廃線めぐりのたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2022年1月なのか、きんようび、平日
- ふるいから名古屋まで - 2022年1月なのか - あきひこゆめてつどう|2022/01/07
- 8時17分の電車が2分おくれでふるいのえきにはいってくる。ふゆのつべたい空気のなか、あさひにてらされてかがやくかんつうがたのあっかい電車。さあこっからきょうのはじまりだっていう緊張感につつまれた乗客ら。あさのえきってすきだな。のりこんで、あんじょう平野をきたにすすむ。乗客は、たちきゃく7わり。
- トンネルにもぐって、9時6分、名古屋にとうちゃく。中央でぐちからかいさつをでる。
- 中央かいだんから地上にあがって、柳橋にむかう。むかしの名鉄のターミナルがあったとこだ。いまは東部線も西部線も名古屋がターミナルだけど、むかしは東部線と西部線はつながっとらんくて、東部線は神宮前、西部線は柳橋がターミナルだっただ。ほの柳橋にむかう。
- きょうのひるは…|iwase.akihiko|インスタグラム|2022年1月7日
- きょうのひるは、名古屋江川郵便局となりの正盛(せいせい)で、あなごてんどんとあったかそばのセット。ごちそうさまでした。
- だるまさん…|iwase.akihiko|インスタグラム|2022年1月7日
- だるまさん だるまさん にらめっこしましょ♪
わらうとまけよ あっぷっぷ♪
みぎがまえ2両の鉄仮面。ひだりがうしろ2両のきんぎょばち。きょうのかえりの西尾いきふつうは、鉄仮面ときんぎょばちの連結だった。
- だるまさん だるまさん にらめっこしましょ♪
- 寒風ふきすさぶなか…|iwase.akihiko|インスタグラム|2022年1月7日
- 美濃路名古屋宿をあるく - 2021年10月21日 - あきひこゆめてつどう|2021/11/06
- 1939年8月発行名古屋市電路線図/名古屋市電気局 - 中京テレビ:稲見駅長の鉄道だよ人生は!!|2017年06月05日20時15分
- 名鉄資料館を見学 - 2020年11月27日 - あきひこゆめてつどう|2020/12/20 > 柳橋駅
- 名古屋電鉄発祥の地にいってきた - 2019年6月17日 - あきひこゆめてつどう|2019/08/08
- 那古野交差点からちょこっときたにすすんで、ひだりに名古屋プライムセントラルタワー。
- さて、いしぶみをさがす。道路に面したとこになくて、しきちのきたがわ部分にナゴノスペースの案内かんばんを発見。この部分を不特定多数がいこえるばとして提供しとるだ。
- かんばんからおくにはいったとこに「名古屋における電気鉄道事業発祥の地」のいしぶみを発見。よんでみる。
名古屋における電気鉄道事業発祥の地
1898年5月、名古屋でさいしょの市内電車が笹島-県庁前間2.2キロをはしりました。わがくにで2番めの電気鉄道でした。
電車をはしらせた名古屋電気鉄道の本社、発電所、車庫は、この地にありました。ほのあと、市内電車事業は1922年8月名古屋市に譲渡され、市電、市バスの車庫としてつかわれてきました。
名古屋プライムセントラルのかどでにあたり、名古屋の近代化をすすめたゆかりの地として、当時のレンガをつかってこの記念碑をたてました。 - なるほど、本社以外に発電所や車庫もここにあっただ。名古屋市に譲渡されてからは、市電、市バスの車庫としてつかわれとった。ほいで、ほれも無用となって、あとちに名古屋プライムセントラルタワーをたてるにあたって、記念のいしぶみが設置されたわけだ。ちなみに、このばしょはさいしょに笹島-県庁前間で開通した広小路線(ひろこうじせん)とはべつの、押切線(おしきりせん)の沿線になる。押切線の那古野町電停がここにあって、みなみにすすんで、柳橋で広小路線につながっとった。
- 押切のえきをたずねて浄心から名駅まであるく - あきひこゆめてつどう|2016/10/05
- 押切北っていう交差点まできた。ほれらしいふんいきがある。市バスの押切町バス停ってのもある。鉄道のえきがこのバス停にかわったのか。みなみをみると、とおくに摩天楼がみえる。けっこう名駅にちかいじゃんか。にしにはいっていくみちは、なんだかふぜいがある。あとでしらべたところ、これが美濃路だった。でも、えきのあとらしいもんもみあたらんし、むかしの西区役所のばしょもようわからん。あめんなか、とおりかかるひともすくなく、やっとのことでむかしをしるおばさんから、「えきがあったことはしらんけど、むかしの西区役所ならまあちょっとみなみにいったあのへんですよ」っておしえてもらう。
- まあちょっとみなみにいって、押切交差点のへんまできた。交差するのは一宮から岐阜までいく幹線道路の国道22号線。
- おおどおりからちょこっとこみちにはいったとこに、ふるいたてものを利用した喫茶店を発見するも、やっぱり、むかしの西区役所も押切のえきのあともわからず。ひとにきくにも、この天気じゃだあれもきそうにない。あきらめて、市内線がはしっとったはずのこのとおりを、みなみにむかってあるく。ちなみに、さいしょ浄心で地下鉄おりただけど、このへんって、ひとつてまえの浅間町(せんげんちょう)からちょこっとにしっていうとこにあるだよ。余分に地下鉄のったわ。
- 名鉄資料館でみてきたもの (4) 押切のえきと柳橋のえき - あきひこゆめてつどう|2016/10/02
- いまは豊橋から名古屋をとおって岐阜までいっとる名鉄だけど、むかしは名古屋のえきにのりいれてなかった。東部線は神宮前が起点で、西部線はきょう紹介する押切(おしきり)と柳橋(やなぎばし)が起点だっただ。
- さて、郊外線に転身することになった名鉄。電車線の起点を、名古屋駅からきたのほうにいった押切(おしきり)っていうとこにして、さらに都心がわには路面電車でつないで、名古屋駅のちょっとひがしの柳橋(やなぎばし)を西部線全体の起点とした。押切-柳橋間はほんとなら名古屋市にゆずりわたすとこだけど、押切じゃあ起点として都心からはなれすぎとるってことで、ひきつづきつかえるようにしたとのこと。
- さて、電車線の起点、押切のえきの写真がこれ。名古屋のりいれまぢかで、廃止直前のときの写真だけど、じつに活気にあふれとるわ。「富山いき直通列車」の看板もおどろきだ。戦后、名鉄の気動車特急「北アルプス」が高山線にはいっていって富山までいっとっただけど、戦前にも富山までのりいれていく列車があったとは。
- 押切のホーム。いまいってみると、なんかのこっとるのかな。
- 名鉄資料館でみてきたもの (3) 新名古屋駅開業ぜんごの沿線案内図 - あきひこゆめてつどう|2016/09/22
- 廃止鉄道ノート東海nako
- 名古屋電気鉄道 - Wikipedia
- 名古屋電気鉄道株式会社は、かつて愛知県の名古屋市を中心に鉄道事業を展開しとった企業。愛知県を基盤とする大手私鉄の名古屋鉄道株式会社や、名古屋市営地下鉄などを運営する名古屋市交通局の前身企業である。通称は「名電」や「名古屋電鉄」。
- 名古屋電気鉄道は1894年に設立され、1898年に日本国内2番目の電気鉄道(路面電車)を名古屋市内に開通させた。以降、名古屋市内のみならず市の郊外へも路線を拡大し、愛知県西部に路線網を築き上げた。大正時代になって市内線(路面電車線)市営化の機運が高まり、市内線の市営化が実行されることになったため、名古屋電気鉄道は1921年に郊外路線を名古屋鉄道(初代・后の名岐鉄道、名古屋鉄道の前身)へ譲渡、翌1922年に市内線を名古屋市電気局(名古屋市交通局の前身)へ譲渡し、解散した。
- 郡部線路線図(1921年6月) ↓
- 市内線路線図(1922年8月市営化時点) ↓
- 柳橋交差点からひがしに納屋橋をみる - 2022年1月なのか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/01/16 〔ついか〕