2021年10月26日、朝日遺跡をみてきた。電車で新清洲までいって、あるいて清州のまちをぬけて、朝日遺跡にとうちゃく、見学。かえりはえきにでるのにバスをつかって、かえってきた。
〔ふるいから新清洲まで〕 〔あるいて清洲のまちをぬける〕 〔朝日遺跡を見学〕 〔かえり〕 [乗車記録] |
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ふるいから新清洲まで
さいしょは西尾線。ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は、6012編成2両6000系かんつうがたのあっかい電車。ひるまはきんぎょばちか鉄仮面のはしる西尾線だけど、あさの時間帯は、蒲郡線からかんつうがたがすけっとにくるだ。車内、乗客はたちきゃく3わり。みなみあんじょうで運よくすわれる。
8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。
いそいでこせんきょうをのぼりおりして、4番のりばに移動。しんあんじょう8時28分の須ケ口いき特急にとびのり。電車はこおろぎ特急で、うしろから2両めの特別車2号車にあいとった席のうち11Cの席にすわっていく。ひだり通路がわはしらまえ。ところで「発車まぎわのかけこみ乗車は危険ですので、おやめください」って車内放送。名鉄にはめずらしい注意放送なだけど、こせんきょうをのぼりおりしての2分のりかえじゃあ、かけこみ乗車せざるをえんわ。
8時47分、神宮前は1番のりばにとうちゃく。
のりかえ電車をまっとるとこで、1番のりばに伊奈始発犬山いきふつうが、むかいの2番のりばに内海始発佐屋いきふつうが同時発着するのを目撃。神宮前から金山までのひとえきかんが複々線だで、同時発着もできるだ。また、2本の電車のあいだで相互にのりかえするひともある。おもしろい光景だ。
さて、2番のりばにはいってきた、神宮前8時54分のセントレア始発一宮いき急行にのる。電車は、きんぎょばちのあっかい電車。さいしょは須ケ口でこの一宮いき急行にのりかえる予定だったもんを神宮前でのりかえれることがわかってこうしただけど、前面展望ばつぐんのきんぎょばちにあたって正解だった。おまけにここで運転士さんが美人運転士さんに交代。これも運がいい。ほいから、研修乗車なのかなんなのかわからんけど、おんなの鉄道員さんもなんにんか客室にのりこんでいく。
1番のりばからしゅっぱつした、豊明始発犬山いきふつうのあっかい電車のあとをおって、わが一宮いき急行もしゅっぱつ。
うちがわ線をやってきた、セントレアいきミュースカイのあおい電車とすれちがい。
金山に停車。豊明始発犬山いきふつうにおいつくも、むこうがしゅっぱつした2分あとにわが一宮いき急行がしゅっぱつ。金山からは複線にもどる。
堀川をわたるてまえで、東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。。
みぎ曲線にはいって、半田いき急行のあっかい電車とすれちがい。
山王を通過。
正面に摩天楼がみえてきたとこで、豊川稲荷いき急行のあっかい電車とすれちがい。
ひだり、中央線の長野いきワイドビューしなのとすれちがい。さっきもしらさぎがみれたけど、JR東海の特急電車がみれるのもたのしいもんだ。
摩天楼がおおきくなってきたとこで、東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。
トンネルにもぐって、名古屋に停車。神宮前からのったおんなの鉄道員さんらは、ここでおりる。
トンネルをでて地上にあがっていくとこで、くだってくる内海いき特急のパノラマスーパーとすれちがい。
栄生(さこう)に停車。ここで豊橋いき急行のあっかい電車とすれちがい。
庄内川をわたりきったとこで、みぎに分岐する犬山線からはいってきた、セントレアいき準急のぎんいろ電車とすれちがい。
西枇杷島を通過。
とまりそうなぐらい速度をおとして二ツ杁(ふたついり)を通過するとこで、吉良吉田いき急行のぎんいろ電車とすれちがい。
みぎ曲線でのぼっていくとこで、新川橋のえきを通過。つづく新川をわたってくだっていく。
須ケ口は2番のりばに停車。
しゅっぱつ。ひだりに分岐する津島線と交差して名古屋本線をいく。
ひだり曲線で丸ノ内を通過。
みどりいろのガーダー橋で道路ごえ。
しろいガーダー橋で五条川をわたるとこで、須ケ口いきふつうのあっかい電車とすれちがい。
新清洲は、分岐をひだりまちあい線のほうにはいって、1番のりばにとうちゃく。9時15分。
はんたい線3番のりばに豊川稲荷いき急行のぎんいろ電車がはいってきて、2番のりばを岐阜いき特急のこおろぎ特急が通過。一宮いき急行の運転士さんは、のりばにおりてこれをみまもり。
のってきた一宮いき急行のあっかい電車がしゅっぱつするのをみおくって、いちばん名古屋よりにあるかいだんをおりる。
地下かいさつをでて、ひがしぐちにあがる。
あるいて清洲のまちをぬける
はしをひがしにわたっていくとこで、かみに五条橋。
かわもにかもがあそぶ。
長者橋東交差点を左折。美濃路をきたにはいる。清洲は美濃路のしゅくばまちで、この交差点の南北もしっかり美濃路のふぜいだ。
美濃路が十字路をひだりにおれて五条橋をにしにわたるとこで、説明がき。「五条橋は御城橋だった。清洲ごしのあと、美濃路清洲宿として復活した」とのこと。
五条橋にしづめの信号交差点を右折。直進する美濃路とわかれて右折。みなみからきた保育園のこらといっしょになって、五条川の西岸をきたにすすむ。画板をてにしてみんな遠足にいくだ。保育園のこらはすぐにひだりに清洲公園にはいっていって、さようなら。
新幹線と東海道線をいっぺんにくぐって、正面に大手橋。しゅぬりの欄干のついたきれいなはしだ。
大手橋をわたって清洲城。すばらしい光景だ。
清洲城をおくにぬけて、ほのままつながるはばのひろい歩道をいく。清洲城さくらなみきってなまえの歩道で、りょうがわに車道をしたがえとる。
県道をひだりななめによこぎったとこで、ひだりに「清洲城尾張守護所(おわりしゅごしょ)」の説明がき。
織田信長の居城としてなだかい清洲城の発展は、1478年に尾張守護所(おわりしゅごしょ)が清洲に移転したことにはじまるとのこと。尾張守護所の中心は守護館で、いまみてきた清洲城のへんにある。南北に武家やしきがあって、さらにほの南北、きたに御園いちばが、みなみに中いちばがある。いや、ずいぶんな規模の都市だ。
まあちょこっといって清洲さくらなみきがつきるだけど、ほのてまえひだりに、こんどは「清洲城ひがしにほん最大級の都市」の説明がき。
本能寺の変で信長がたおれたあとのこと。1585年の天正地震のあと、信長の次男織田信雄(おだのぶかつ)が清洲城にはいって、しろを根本的につくりかえたっていう。尾張守護所の時代もけっこうなひろがりのある都市だっただけど、こんどは、五条川のにしにいしがきづみのしろをつくって、また、南北2.7キロ、東西1.5キロのそうがまえをもつ、ひがしにほん最大級の都市にしたっていう。いや~、いま尾張っていうと圧倒的に名古屋の存在感がおおきいだけど、江戸時代にはいるまえは清洲がほの地位にあっただ。
清洲さくらなみきがつきたとこでひだりにくのるみちをまたすすんでいく。
朝日遺跡を見学
朝日遺跡にとうちゃく。清洲さくらなみきからつづくみちをすすんだつきあたりが朝日遺跡だった。
つきあたったとこでひろいみちをわたってしきちにはいったすぐのとこに、貝殻山貝塚(かいがらやまかいづか)。紀元前600年から紀元前200年の遺跡だっていう。
みぎのほうにいって、あいち朝日遺跡ミュージアムのたてもんのちかくに、たてあな住居。6本のまるばしらにかやぶきやねのたてもんだ。現代でもかやぶきやねってあるけど、そもそもうちってかやぶきだっただ。
となりに、たかゆか倉庫。いや、神明づくりの神社ほのもんだ。この弥生時代のたかゆか倉庫が、ほのまま神明づくりに進化しただ。
たてあな住居とたかゆか倉庫のわき、いなほのみのるたんぼんなかにおやこづれがふたくみあそぶ。これが弥生のふうけいか。
入場料300円なりをはらって、あいち朝日遺跡ミュージアムにはいる。
さかもぎとらんぐい。
弥生時代は集落間、地域間のあらそいがくりかえされた時代で、朝日遺跡でもさかもぎやらんぐいをつかって、いくえにもバリケードがきずかれとったっていう。これも弥生のふうけいか。さかもぎやらんぐいって戦国時代の劇や遺跡でみたことがあるけど、弥生時代からあっただ。
展示資料で朝日遺跡のおおきさをかくにん。きた居住域、みなみ居住域、にし墓域、ひがし墓域、きた墓域って用途区分がされとるだけど、ぜんぶで80ヘクタールから100ヘクタールもある。1キロ四方が100ヘクタール。じつにひろい。いま朝日遺跡として公開しとるしきちは、みなみ居住域のうちのみなみはしのごく一部をつかっとるだけだ。朝日遺跡のみなみは伊勢湾。こんなとこまでうみがはいりこんできとっただ。いや、ほいだで貝塚もあるだ。
かえりのしんぱいで、いっかいうけつけにもどってバスがあるかきいてみる。すぐちかくにきよすあしがるバスのピアゴ清洲店前バス停があって、2時間に1本だけど枇杷島駅東口にでるバスの便がある。
弥生集落のおおきさ比較。この朝日遺跡を、吉野ケ里(よしのがり)遺跡、唐子鍵(からこかぎ)遺跡、池上曽根(いけがみそね)遺跡とくらべてある。朝日遺跡のおおきさにおどろいたとこだけど、吉野ケ里遺跡はさらにおおきくて朝日遺跡の倍以上ある。唐子鍵遺跡は40ヘクタール、池上曽根遺跡は60ヘクタールで、朝日遺跡のはんぶんぐらい。
まるまどつき土器。朝日遺跡を中心とする尾張地域にとくちょうてきな土器だっていう。
そとにでるとこで、うけつけのちかくにたてあな住居の模型があるのを発見。館員のひとに、「これがかやぶきである」のかたしかめてみると、「かやってのは総称で、これはすすきでふいてある」とのこと。すすきでふいてあるのもわらでふいてあるのも、ひっくるめてかやぶきっていうだ。
かえり
いきは新清洲のえきからあるいてきたけど、かえりはバスでえきまででることにした。ピアゴ清洲店前バス停12時27分のきよすあしがるバスがやってきて、のる。
すぐに信号を右折。城北線をくぐって、ひだりにいったん尾張星の宮駅のロータリーにはいる。もどってすぐの信号を右折。また、城北線をくぐる。つきあたりT字をほのままキリンビール名古屋工場のしきちにはいって、もどって、右折。工場見学できるってかいてある。いっかいきてみてもいいな。またまた城北線をくぐる。助七(すけひち)交差点を右折。また城北線をくぐる。いったいなんかい城北線をくぐることか。つづけて東海道線をくぐって、ひだり30度にすすむ。住宅街のなか、みぎT字にはいっていく。十字路を右折してすぐに、はやし歯科のちかくのつきあたりT字を左折。すぐにみぎT字にはいって、右折して清須市役所にはいって、調整停車。いやいや、なんちゅう複雑な経路だ。
市役所は新川西岸の堤防道路ぞい。市役所をしゅっぱつ。西岸堤防道路をきたにすすんで、清須市役所北交差点を右折。新川をわたる。左折してすぐに右折。住宅街のなかにはいっていく。ひだりT字にはいって、新幹線と東海道線をくぐる。ひだりT字にはいる。十字路を右折。また、十字路を右折。つきあたりT字を左折。いったいどこをぐるぐるまわっとるのか。つきあたりT字の交差点を右折。ひだりに明電舎。
交差点を右折して、枇杷島駅東口にとうちゃく。定刻の12時48分より1分おくれ。いや、ほんとにわけのわからん経路だった。二度とこのバスにのることはなさそう。
東海道線枇杷島のえきは、いそいで橋上かいさつにあがるも、すんでのとこで12時51分の豊橋いきふつうがでてっちゃう。はんたい方向にワイドビューひだがいくのをみながら、えきをおりる。
東海道線はやめて名鉄にする。枇杷島のえきから東海道線ぞいに、名古屋本線西枇杷島のえきにむかってみなみにあるく。いそぎにいそいで、13時ちょうどの電車にまにあったーっ!っておもったら、2分まえにでちゃったとこ。名古屋方面の電車が毎時00分と30分にあるって記憶しとっただけど、10時台から14時台は毎時58分と28分だっただ。ただ、ほれにくわえてこの時間帯は毎時14分と44分の電車があることがすくいで、13時14分の吉良吉田いきふつうをまつ。
かいさつをはいって電車まち。2番のりばを豊橋いき快速特急のこおろぎ特急が通過。1番のりばを岐阜いき特急のパノラマスーパーが通過。
さて、2番のりばに西枇杷島13時14分の吉良吉田いきふつうがはいってきて、のる。電車は、9506編成4両9500系ぎんいろ電車。
13時21分、名古屋にとうちゃく。
名鉄百貨店9階の飲食街にあがって、おっそいひるごはん。文化洋食店にはいって、Cランチを注文。たるたるソースえびフライにおろしハンバーグ、たまねぎひとかけらにハム2枚、いもサラダ、スパゲッティー、ごはんこもりにみそしる。ごちそうさまでした。
かいさつをはいりなおして、名古屋14時33分の豊橋いき特急にのる。電車はこおろぎ特急で、座席は特別車1号車9A。ひだりまどがわはしらまえ。
14時58分、しんあんじょうは5番のりばにとうちゃく。
こせんきょうをのぼりおりして、2番のりばに移動。しんあんじょう15時7分の西尾いきふつうにのる。電車は、鉄仮面のあっかい電車。
15時15分、ふるいにとうちゃく。きょうのたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年10月26日、かようび、平日
- いき
- かえり
- ピアゴ清洲店前バス停 12:27 → (きよすあしがるバス) → 12:48 枇杷島駅東口
〔21分、100円〕 - 西枇杷島 13:14 → (名古屋本線=吉良吉田いきふつう) → 13:21 名古屋
〔3.6キロ、7分、時速30.9キロ、190円〕 - 名古屋 14:33 → (名古屋本線=豊橋いき特急【特別車1号車9A *3】) → 14:58 しんあんじょう
〔29.7キロ、25分、時速71.3キロ〕 - しんあんじょう 15:07 → (西尾線=西尾いきふつう) → 15:15 ふるい
〔5.7キロ、8分、時速42.8キロ、名古屋からふるいまで1,040円(乗車料金680円+特別車料金360円 *4)〕
- ピアゴ清洲店前バス停 12:27 → (きよすあしがるバス) → 12:48 枇杷島駅東口
- いき
- 「清洲城ひがしにほん最大級の都市」の説明がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/11/29
- 「清洲城尾張守護所」の説明がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/11/29
- 新清洲の地下かいさつ - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/11/27
- あいち朝日遺跡ミュージアムでみせてもらったきよすあしがるバスの時刻表
- 岡崎市美術博物館でみたあいち朝日遺跡ミュージアム「弥生の巨大集落展」のポスター
- たてあな住居。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年10月26日
- たてあな住居。たかゆか倉庫。たんぼ。弥生なふうけい、いいなー。きょうはきよすの朝日遺跡を見学してきた。東海地方最大の弥生集落だげな。へー。
- きょうはおのぼりさんきぶんで…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年10月26日
- あいち朝日遺跡ミュージアム > 特別企画展「弥生の巨大集落」
- 会期:2021年10月23日(土)~2021年12月19日(日)
- 朝日遺跡は、推定面積80万平方メートルにも及び、全国でも有数の規模を誇る弥生時代の集落遺跡です。このような巨大集落は、弥生時代中期に日本列島の各地に現れ、地域の中核的な集落として発展しました。
本展覧会では、大阪府の池上曽根遺跡(いけがみそねいせき)、奈良県の唐古・鍵(からこかぎ)遺跡という近畿地方を代表する巨大集落を取り上げ、集落の成り立ち、そこで行われた生産活動や交流について紹介します。朝日遺跡との比較を通して、弥生時代にどのようにして巨大集落が出現したのか、その背景を紐解いていきます。
この機会に皆様の御来館をお待ちしております。
- 朝日遺跡 - Wikipedia