美濃路をこんかいにしびゆめだいこんからよつやおいわけのむこうまであるく。名古屋宿ときよすじゅくのまんなか、庄内川にかかる枇杷島橋をわたったとこにあるにしびゆめだいこんを起点に、きよすじゅくをとおって、おすし街道が分岐するよつやおいわけのむこうまでいく。美濃路はこれまで起点のがわからのひざくりげ道中として、第1弾として美濃路が東海道から分岐する宮宿から、美濃路から佐屋路が分岐する金山までいって、第2弾として金山から枇杷島橋までいった。ほれにつづく第3弾としてこんかいの区間をあるく。さきだってとぎれとぎれにあるいた区間もふくめてこんかいの区間をあるく。2022年12月ついたち、もくようび、平日。
西枇杷島 → 新川 → 須ケ口 → きよすじゅく → 一場 → 北市場 → 六角堂 → よつやおいわけ |
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(西枇杷島)
ふるいからのりついだ名鉄電車をおりた西枇杷島のえきから線路をもどるかたちであるいて庄内川の堤防にとうちゃく。
堤防道路をみぎ、かわしも方向にちょこっとあるいてみぎしたにおりたとこににしびゆめだいこんの銅像。ここがこんかいのひざくりげ道中の起点だ。むかしはここに枇杷島橋がかかっとっただけど、いまはない。
銅像のひだりわきに美濃路みちしるべがたっとって、「にし津島天王きよすじゅく」「ひがし東海道名古屋」「きた岩倉」ってかいてある。こっからにしにきよすじゅく、ひがしに名古屋宿にいくほか、ここで美濃路からわかれてきたに岩倉にいくみちもあっただ。
さきにあるいて問屋町(とんやまち)交差点を直進。交差点のひだりにいまの枇杷島橋をみて直進。西枇杷島はしゅくばまちじゃないけど問屋町があるほどさかえただ。1955年まで枇杷島市場があった。
みぎに橋詰神社。つづいて頼朝車だしぐら。くろいかわらやね、しろいかべにあっかいとびら。あざやかないろづかいだ。ここ西枇杷島はだしぐらがいっぱいある。
東海道線と新幹線をくぐったひだりに泰亨車(たいこうしゃ)だしぐら。これはあおいとびらのうえに唐破風(からはふ)の向拝(こうはい)がついとるのがとくちょうだ。説明がきに、「牛若丸が鞍馬で剣術のけいこにはげむばめんを題材としたからくりがある」ってかいてある。いっかいみてみたいな。
みぎに六軒神社。
左右にみせがたちならんでくる。
みぎに問屋記念館。さっきの問屋町にあったたてもんを移築してある。
みぎに松原神社。
みぎT字のみぎてまえかどに自転車のみせ。ここをみぎにはいっていったとこに二ツ杁(ふたついり)のえきがある。
みぎにまちやのたてもんで古民家カフェみどりや。
みぎにまちやのたてもんで茶源商店。
みぎに一休庵(いっきゅうあん)。まちやを休憩所に改装して一般公開しとる。2階にやねがみさま。一休庵のとなりに后藤種苗。むかいに林自転車。
みぎに頼光車だしぐら。
ひだりに水谷歯科。
ひだりにまちや。
(新川)
みぎに中日信用金庫新川支店。西枇杷島の区域から新川の区域にはいった。
ひだりT字のひだりむこうかどの珈琲ホワイトにはいってモーニングコーヒー。喫煙可能店がうれしい。代金330円ってのもどんなやすさだ。常連客のおばあさんたちの会話んなかで「ときの」っていうのがきこえてきたけど、土器野新田(どきのしんでん)のことか。
ふたたびさきにあるいて文造寺(ぶんぞうじ)交差点をみぎくのじに直進。
みぎに尾張新川郵便局。
ひだりに純京染岐阜屋。
みぎに飴茶庵(あめちゃあん)。ここもまちやを休憩所に改装して一般公開しとるとこで、2階にやねがみさまもおる。
みぎに瑞正寺。
みぎに后藤電気店。まえにたまたまここの大将からはなしをきく機会があっただけど、むかしはこのへんの美濃路はぜんぶみせがたちならんどって、枇杷島市場までいきかえりするリヤカーでごったがえしとったっていう。ほいから、新川が人工的にほったかわで、このへんを土器野新田(どきのしんでん)っていったってこともおしえてくれた。
みぎにあじどころつぼく。
みぎに餃子亭。
新川橋のはしをわたる。てまえの堤防道路をみぎにいったとこに新川橋のえきがある。
わたるとちゅう、みぎかわかみに名古屋本線をいきかうこおろぎ特急やあっかい電車をみていく。
ひだりにポケットパークがあって、ほんなかにコンクリートで復元したきよす川護陣屋と津島街道みちしるべ。
みちしるべに「左つしま道」ってかいてある。こっからひだりに津島街道が分岐しとるだ。説明がきをよむと、「美濃路は桶狭間のたたかいで信長、小田原征伐で秀吉、関ケ原のたたかいで家康の凱旋道となり、吉例街道とよばれた。ここ新川橋にしづめにはかつてこうさつばがあった。」ってかいてある。陣屋があったりこうさつばがあったり、ここもひとつのにぎわいの中心だっただ。
(須ケ口)
さきにあるいて、みぎにすさのお神社。
ひだりに三河屋さけてん。
みぎに旗本公民館。ゆいしょありげな地名だ。
みぎ、あきちのおくに名古屋本線新川車庫にとまっとるあっかい電車がみえる。
ひだり、木造2階だて住宅に「かんしょ」を発見。おんなじ美濃路で、まえに枇杷島のおかきやのとなりにこれとおんなじもんをみた。玄関ひだりのつつぬけ部分がほのままおくの公道につながっとる。個人財産であるたてもんの一部が、万人がとおれる公道になっとるだ。空間をじょうずにつかっとるっていうべきか。
ひだりに和菓子洋菓子右近。
みぎにセブンイレブンきよす須ケ口店。駐車場の一角にきよすあしがるバスの旗本バス停。
須ケ口(すかぐち)交差点を直進。ここをみぎにいっていったとこに須ケ口のえきがある。名古屋本線から津島線がひだりに分岐するえきだ。津島街道は新川橋で分岐するけど、津島線は須ケ口で分岐するだ。
左右にまちや。ほのあと左右は住宅街。
左右にきよすあしがるバスの西堀江(にしほりえ)バス停。
みちがみぎにゆみなりながら津島線ふみきりをわたる。にしむきにすすんできた美濃路がこのへんからきたむきににかわる。
一里塚橋っていうちいさなはしをわたったひだりに須ケ口一里塚。
左右にきよすあしがるバスの下外町(しもそとまち)バス停。
下外町(しもそとまち)交差点を直進。
みぎ正覚寺(しょうがくじ)の境内に今川塚供養碑を発見。信長が城外須ケ口に義元塚をきずいてとむらっとったとのこと。なるほど、信長が義元をうった桶狭間のたたかいのとき信長の本拠はきよすじょうだって、ほいでここにとむらいのつかをきずいただ。
さきにあるいて、左右は住宅街。
みぎに線香ろうそく甚目商店。
みぎにまげわっぱの伊勢安商店と線香ろうそく製造おろしの薫香堂。
ひだりに浄休寺(じょうきゅうじ)。
つきあたりT字を左折。みぎにいくと名古屋本線まるのうちのえきがある。
ひだりにきよすまるのうち郵便局。
つきあたりT字を右折。中央線のあるくるまどおりをきたにいく。きたむきにひだりクランクした。
ひだりT字の巡礼橋東交差点を直進。ひだりに五条川にかかる巡礼橋。
ひだりに河合商店。
左右にきよすあしがるバスの巡礼橋東バス停。
あっかい電車のいく名古屋本線をみぎななめにくぐる。
(きよすじゅく)
みぎにゆみなっていくくるまどおりとはなれて美濃路は直進。また中央線のないみちになる。このへんからいよいよきよすじゅくか。
十字路のひだりに五条川にかかる舟杁橋(ふないりばし)がみえる。おんなじ十字路の東北かどに日吉神社のいしぶみを発見。こっからひがしにいったとこに、きよす城下のうじがみとしてあがめられた日吉神社があるってことで、美濃路をはなれていってみる。
日吉神社にとうちゃく。山門をくぐって、いしのたいこばしと木造かわらぶきの山門。
ついたて門のおくの拝殿からおまいり。じつにおごそかなふんいきの境内だ。きよす城下のうじがみとしてあがめられてきたってのもうなずける。
十字路までもどって、また美濃路をきたにあるく。
みぎに小川米穀。
ひだりに久証寺(きゅうしょうじ)。
長者橋東交差点を直進。すぐひだりに五条川にかかる長者橋。
ひだりに「おにころし」でなだかいきよす桜醸造の本社。みぎおくにこうば。
ひだりに五条川の堤防道路に合流。信号交差点を左折して五条川にかかる五条橋をにしにわたる。きよすごしにともなって名古屋に移転した五条橋だ。
ひだりに武藤書店、長崎時計店。みぎにうどんそばの浅野屋。左右にいくつかみせがある。
みぎの浅野屋にはいってひるめし。てんどんとうどんを注文。ごちそうさまでした。
みぎT字のひだりに清涼寺(せいりょうじ)。
美濃路はこのみぎT字を右折してきたにいくだけど、ここがきよすじゅくのふだのつじだって、西北かどにみちしるべもたっとる。
きたにあるいてひだりにきよすじゅく本陣。いまは個人宅になっとる。説明がきに、「1878年、明治天皇小休止。1891年、濃尾地震で火事。のこった正門を縮小再建した」ってかいてある。いや、明治天皇が小休止したとこってあちこちにあるもんだ。
美濃路をひがしにはなれてきよす公園にたちより。信長像と濃姫像がはなればなれにたっとる。
もどって、また美濃路をきたにあるくとすぐにしゅくばまちのふぜいはなくなる。
新幹線をくぐって東海道線をくぐって、すぐにY字路をひだりにいく。
名二環(めいにかん)のした、きよすぐちこどうきょうをわたる。美濃路は地平をいくだけど、うえに名二環がよこぎっとるだけじゃなくて、半地下にもみちがよこぎっとるだ。
(一場)
左右は住宅街。
ひだりにきよすあしがるバスの一場(いちば)バス停。
左右はひきつづき住宅街だけど街道のふんいきはある。
Y字路を左折。
またすぐにY字路を右折。左右にかわらぶき木造2階だての住宅もあって、しっかり街道のふんいきがある。
ひだりに本成寺(ほんじょうじ)。
みぎに光遠寺(こうおんじ)。
みぎにニチフ物流センター名古屋営業所。
おがわをわたったひだりにかわらぶき木造総2階の住宅が2軒。
あかぬりの十字路で美濃路をはずれて左折。
ちょこっといったみぎに総見院(そうけんいん)。ここが信長の菩提寺だった。
(北市場)
あかぬりの十字路にもどって、また美濃路をきたにあるく。
くるまどおりをよこぎってみぎに亀翁寺(きおうじ)。
左右は住宅街。
みぎT字をはいっていってひだりに立部神社(たてぶじんじゃ)。
もどってきたにあるく。
ひだりに北市場美濃路公園(きたいちばみのじこうえん)。
(六角堂)
くるまどおりをよこぎる。
ひだりに長光寺(ちょうこうじ)。山門のいりぐち左右にしゅぬりの仁王像。
山門をくぐって銅板ぶきの六角堂。ほのみぎにいろづいたいちょう。すてきな光景だ。
また美濃路をきたにあるく。
ひだりに清酒京屋伊助。
つきあたりT字を左折。にしにいく。
(よつやおいわけ)
みぎT字のみぎてまえかどに四ツ家おいわけ(よつやおいわけ)のいしぶみ。直進する美濃路からみぎにおすし街道が分岐する。
東海道線のふみきりをわたってにしにいく。街道のふぜいはまったくなくなる。ひだりに大里東小学校。ひだりにたんぼ。きょうはじめてたんぼがあらわれた。
ひだりおくに大里東中学校。こんどはみぎにたんぼ。ずーっとむこうにつづくたんぼ。井之口大坪(いのくちおおつぼ)交差点を直進。ひだりに十六銀行稲沢東支店。
井之口団地(いのくちだんち)交差点にとうちゃく。美濃路はここで右折していくだけど、きょうのひざくりげ道中はここまで。かえりの電車にのるべく、直進して名古屋本線奥田のえきにむかう。