2022年2月25日、笠松にある岐工記念館にいってきた。まえの笠松のたびでいけんじゃった岐工記念館にいってきた。岐工は岐阜工業高校だけど、県都岐阜じゃなくて笠松にある。1926年、岐阜県第一工業学校として笠松にできた。ほいで、1929年、ほの岐阜第一工業学校のしきちないに岐阜県工業試験場が県都岐阜から移転してきた。ほれがいまに岐工記念館としてのこっとる。1946年の昭和天皇巡幸のさいには行在所(あんざいしょ)にもなったたてもんだ。
こんかい、事前に学校に連絡をとって見学可能日時をかくにんしたうえで、当日は高木教頭先生に案内いただき見学してきた。
こっから西北にちょこっといったとこに岐阜工業高校があって、ほんなかに岐工記念館があるだけど、ざんねんながらはたびで学校がやすみのため見学できん。やっぱり杉山邸の案内のおじさんがおしえてくれただけど、この笠松にある岐阜工業高校が岐阜県はつの工業高校だっていう。 |
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玄関をはいっていって、ひだりに所長室。ここが昭和天皇がとまったへやだ。しろいかべにちゃいろい格天井(ごうてんじょう)とシャンデリヤ。
なかおれかいだんを2階にあがっていく。いかにもな洋館だ。
いまは会議室につかわれとるふたへや。やっぱりしろいかべにちゃいろい天井で、シャンデリヤもある。おくのへやは格天井で、てまえのへやはいたばりの天井。
1、2階、ほかのへやは、部活動のへやや同窓会事務局のへやになっとったりする。
そとにでて玄関ポーチをみる。いしづくりのりっぱなもんで、みぎに「岐工記念館」のかんばん、ひだりに登録有形文化財の銘板と近代化産業遺産の銘板、うえに校章がかかっとる。
玄関ポーチ上部の2階部分は、もんがまえふうにしゃれたつくりになっとる。しろいかべは、1階部分がしたみいたばり、2階部分はモルタルぬり。まどはたてがた。
玄関はみなみむきにあるだけど、みちをはさんで校舎があって、全景をうつすことができん。
高木教頭先生の好意により、校舎のベランダから全景をさつえい。すてきなたたずまいだ。やねはかわらやね。
ひがしめんは、余地があって地平のたかさからさつえい。こっちがわもまんなかにいりぐちがあって、ほの上部の2階部分が、いりぐちから連続性のあるでまどになっとる。
見学をおえて、高木教頭先生にお礼。あるいて笠松駅にもどる。