2022年9月15日、もくようび、平日。米原宿(まいばらじゅく)をあるいてきた。いや、ぜんぜんしられとらんけど、米原って北国街道のしゅくばまちだっただ。たんなるのりかええきだけじゃなかった。まえに米原市観光案内所でもらっといた「北国街道えまき」をたよりに、起点の下矢倉(しもやぐら)のみちしるべからきたに、米原宿、飯(い)のごうってとおって、北陸線の坂田のえきのへんまでいってきた。飯のごうじゃあ、じもとの歴史にくわしいひとからはなしをきいて、もともとの北国街道の経路もおしえてもらうことができた。さいごにまあいっかい電車で米原宿にもどってひるめしをくっただけど、ほの料理もすばらしかった。
〔名鉄、新幹線、東海道線〕〔近江鉄道〕 |
〔下矢倉のみちしるべから北国街道にはいる〕 〔米原宿〕〔飯のごうをとおって坂田のえきまで〕【北国街道の地図】 〔北陸線〕〔米原宿にもどってひるめし〕 |
〔かえり〕 |
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名鉄、新幹線、東海道線
ふるいから岩倉いき急行のあっかい電車。
しんあんじょうで岐阜いき特急のパノラマスーパーにのりかえ。
特別車1号車10Bにすわっていく。みぎ通路がわはしらまえ。
名古屋にとうちゃく。
新幹線にのりかえ。
自由席6号車みぎ2席まどがわEにすわっていく。
発車してすぐに東海道新幹線べんとうをひろげてくう。バランスのとれたあじのいいすぐれもんのべんとうだ。うちであさめしをくってくるまがなかった。
みぎ車窓、伊吹山はくもがかかっとる。このやまをみるためにEにすわっとる。
8時21分、米原にとうちゃく。
のりかえかいさつをとおって在来線のりばに移動。
3番のりばにはいってきた、米原8時29分、加古川いきふつうの223系ステンレス電車にのる。
みなみにむかってしゅっぱつ。
ひだり車窓にフジテックエレベーター研究塔。
矢倉川(やぐらがわ)鉄橋をわたる。しろいがっちりしたトラス橋だ。
ひだり車窓に佐和山(さわやま)。石田三成のしろがここにあった。やまのむこうに中山道と鳥居本宿(とりいもとじゅく)。
8時34分、彦根にとうちゃく。
近江鉄道
こせんきょうをのぼりおりして近江鉄道のりばに移動。きっぷをかってかいさつをはいる。2番のりばから2両編成多賀大社前いきふつうがでていくのをみおくり。クリームいろとあかねいろの2色塗装。
1番のりばから、彦根8時39分の2両編成米原いきふつうにのる。みずいろの車体にしろおび。
きたにむかってしゅっぱつ。多賀大社前いきふつうがいっぱいひとがのっとったのに、こっちはがらがらだ。
みぎにゆみなっていって、佐和山トンネルにはいる。
でぐち。
彦根みちふみきりをとおる。鳥居本宿と彦根城下をむすぶみちだ。
あっかいマンサードやねの駅舎がとくちょうてきな鳥居本に停車。ここが鳥居本宿のもよりえき。
かんたんなガーダー橋で矢倉川をわたる。さっきしろいがっちりしたトラス橋でみなみにわたった矢倉川を、かんたんなガーダー橋できたにわたりかえす。
8時46分、フジテック前にとうちゃく。
下矢倉のみちしるべから北国街道にはいる
フジテック前のえきから国道8号線をみなみにあるいて、下矢倉のみちしるべにとうちゃく。ここで中山道から北国街道がひだりに分岐する。みちしるべには「右中山道摺針(すりはり)番場(ばんば)|左北国米原きの本(きのもと)道」ってかいてある。
北国街道をきたにいく。いまみなみにあるいてきた国道8号線が北国街道だ。
みぎにいしぶみ。「摺針峠望湖堂(すりはりとうげぼうこどう)|旧中山道|明治天皇御聖跡|弘法大師縁の地|これよりひがしへやまみち800メートル」ってかいてある。
まあちょっとおくに中山道のみちしるべ。中山道はこっからやまごえにはいるだ。800メートルのぼっていったとこにあるのが摺針峠望湖堂になる。
北国街道とかさなる国道8号線をきたにあるく。ひだり45度にフジテックエレベーター研究塔。
ひだりしたにフジテック前のえき。ここまでもどってきた。
つづけて国道8号線をきたにあるいて、彦根市の区域から米原市の区域にはいる。
梅ケ原南(うめがはらみなみ)交差点を右折。こっから北国街道は国道8号線からはなれる。
やまざとのふうけい。
梅ケ原(うめがはら)のごうにはいる。
ひだり45度、ごうのすきまから国道8号線のむこうにヤンマーの工場がみえる。
バイクがおいこしていく。
十字路のひだりに国道8号線の梅ケ原交差点がみえる。
ごうをぬけて、また、やまざとのふうけいになる。すぐみぎはやますそで、すずしい。
みぎ、3階だてのしろいたてもんで浄土真宗親鸞会滋賀会館。
また、ごうにはいる。
ごうをぬけてつきあたった国道8号線を右折。また北国街道が国道8号線にかさなる。
いったん国道8号線をにしにはなれる。東海道線ぞいをきたにあるいて、米原えきまえに米原湊あと(まいばらみなとあと)のいしぶみを発見。ここにあるってことをきいてきただけど、ほんとにあった。しんじれんことだけど、こんなとこにみなとがあっただ。
説明がきがあって、よんでみる。
「1603年、北村源十郎が琵琶湖と入江内湖(いりえないこ)をむすび、ほりを開削してみなとをひらいた。美濃方面の物資やひとを大津湊へはこぶ中継、また、京、大坂と北陸をむすぶ湖上交通の中継のみなとで、しゅくばとしてもさかえた。1843年には丸小船(まるこぶね)30、押切早船(おしきりはやぶね)7、艜船(ひらたぶね)15と米原湊で開発された車早船(くるまはやぶね)があり、明治はじめには蒸気船も運航しとったけど、鉄道の開通によりほのやくめをおえた」とのこと。
米原宿
米原湊からみなみにもどって、また、国道8号線をきたにあるく。
信号もないみぎT字を右折。北国街道はまた国道8号線からはなれて、みぎ45度に中央線のないみちにはいっていく。
十字路のみぎおくにでっかいだしぐらを発見。いりぐちのたっかいとびらのうえに寿山ってかいてあって、説明がきに、「米原ひきやままつりを10月ようか、ここのか、とおかに開催。こども歌舞伎あり。やまは旭山組、寿山組、松翁山組のみっつある」ってかいてある。いや、おれも大学時代を彦根ですごしとったこともあって、長浜にひきやままつりがあることはしっとっただけど、米原にもひきやままつりがあるとはきょうのきょうまでしらんかったわ。
東海道線を彦根方面にいく電車がみえる。こっちからはみえるけど、むこうからはこんなとこにしゅくばまちがあるとはきづかん。
十字路にもどって北国街道をいく。あきらかにこっから米原宿だ。
みぎ、きたしんとうふてん。
しゅくばまちのやなみはつづく。
みぎに湯谷神社(ゆたにじんじゃ)いりぐちの石柱1本。
みぎ、乃世梅(のせうめ)ってかんばんのあるまちや。
ひだり、就労支援センターあっぷでーとの近代建築。
みぎ、たばこやのショーヰンドー。はりがみに「9がつのわっかあいとるひ」がかいてある。ここでなんかやっとるのか。
ひだりT字があって、ほのおく、国道8号線のむこうに米原市役所がみえる。
すすんで、ひだりに角田家。登録有形文化財になっとる。
すすんで、左右にあたらしい住宅もあらわれる。
みぎにカフェドゥMBF。まちやを改装したみせで、よってかあかっておもったら、まんだ11時の開店まえ。
ひだりにあたらしい住宅で小路邸(しょうじてい)。
ひだりに旅館近江屋のかんばん。ふつうの住宅じゃんっておもったけど、おくが2階になっとって旅館になっとるのか。
ひだりに北町旭会館。みっつあるやまのうちのひとつ旭山組はこのへんになるだ。
すすんで、ひだりT字のわかれみち。旅館かめやのみせさきにみちしるべがあって、「右中山道はん八さめかゐ|左北陸道なかはまきのもと」ってかいてある。直進が中山道につながるみちで、鈍角に左折するのが北国街道になるだ。「はん八さめかゐ」ってのは中山道番場宿(ばんばじゅく)と醒ケ井宿(さめがいじゅく)のことで、「なかはまきのもと」は長浜ときのもとのことだ。
北国街道をはずれて、直進してみる。
のぼりざかのとちゅう、みぎに旭山組のだしぐら。これもでっかいもんだ。
かめやのみちしるべにもどって、北国街道のほうにはいっていく。旅館かめやのむかいに、あっかいポストのたつまちや。つづいて、中日新聞あかほり新聞舗のまちや。
飯のごうをとおって坂田のえきまで
米原宿のやなみがつきて、米原警察署のうらで国道8号線につきあたり。北国街道はここを右折して国道8号線にかさなってきたにいく。みぎはすぐやまがせまってきとって、ひだりしたに車両基地の線路群がひろがる。ちょうど東海道線を貨物列車がゆるゆるみなみにいくとこだ。
国道8号線を左折して、おうみ陸橋をわたる。線路群をぜんぶわたっていくのかっておもったら、ちょこっといったとこで陸橋はおわり。みぎにくのる方向につづくどてをくだっていく。
どてをくだっていくとちゅう、ひだり、北陸線を米原駅にはいっていくしらさぎとすれちがい。
地平におりたとこで、みぎに滋賀県立高等技術専門校米原校舎。こんなとこに学校があったのか。
東海道線のぼり線をくぐって、新幹線をくぐる。
くぐってすぐひだりに北陸線ふみきりがみえる。ふみきりをわたっていっぱいくるまがやってきて、北国街道に合流してくる。
みぎに湖国バス近江高等技術専門校バス停。左右にいくつかの事業所。みぎ、みなみに新幹線がいく。ひだり、きたにしらさぎがいく。
岩脇西(いおぎにし)交差点を直進。
みぎ、湖国バス多良口(たらぐち)バス停とならんで旧北国街道のいしぶみ。北国街道は、こっからみぎ30度にえだわかれするほっそいみちにはいっていく。
ほっそいみちをすすんでいくとこで、みぎ45度、伊吹山はまんだくもがかかっとる。
天野川につきあたって、堤防道路をみぎ、かみのほうにいく。
天野川にかかる飯村橋(いむらばし)をわたる。
対岸がすぐ飯(い)のごう。津(つ)もみじかい地名だけど、母音ひともじだけの飯(い)はさらにみじかい地名だ。村をつけて飯村(いむら)っていうほうがいいやすそうだ。ところで、堤防道路からにしにおりたみちを右折してきたに北国街道がのびていくはずなだけど、ごうなかにほんなみちはみあたらん。
のぼりばたがみえていってみると、むらまつりだ。神社のなまえは春日神社。きょうはもくようびなだけど、9月15日っていうひに固定してまつりをやっとるだ。いまどきめずらしい。
境内の一角にいしぶみがあって、よんでみる。「ここが今井氏の重臣、島氏のやかたあと。やかたのひがしには飯村川のわたしがあって、島氏が管理しとった。石田三成の重臣、島左近は当地の出身」とのこと。ほー、島左近はいまひこにゃん、しまさこにゃんで有名なだけど、こんなとこが出身地だっただ。
堤防道路からにしにおりたみちにもどって、さらににしにいってみる。
北陸線をくぐったすぐみぎに若宮公園。淡海文化の説明がきがあって、よんでみる。「ここが若宮氏のやかた。京極氏のち浅井氏(あざいし)の重臣、若宮氏の居城。山内一豊のつま千代は当若宮氏ので」とのこと。いや、ここ近江のくには戦国期の重要な舞台だっただ。
若宮公園からおくに元宮があるってかんばんがでとって、いってみる。ごうのはずれ、田園地帯につきでた一角にいしぶみがあるだけだ。なんてかいてあるのかもよめん。
なんだかわからんけどまあいいかっておもっとったとこで、となりのうちからおくさんがでてきておしえてくれる。いま、ごうのにしのはずれにある八幡神社がもとはここにあっただげな。元宮ってのは、もとおみやさんがあったとこってことだった。このあたり山内一豊の一党がおさめとっただけど、ほれが一党ごと土佐にいっちゃっておみやさんもうつったってなこともおしえてくれる。飯のごうにはひがしに春日神社、にしに八幡神社ってふたつのおみやさんがあって、ともにきょう9月15日があきまつりのひだった。こんなちいさなまちにふたつもおみやさんがあるってのもたいへんなことだ。
ところで、北国街道が飯のごうのなかをどうとおっとるのかわからんだけど、、、ってきくと、わたしじゃあわからんだけどってことで、ご主人をさがしにいってくれる。ご主人は自宅にある古文書を研究したりして歴史にくわしいらしい。ところが、はたけにおるはずのご主人はおらん。おくさんに礼をいって、ごうなかをひがしにもどっていく。なまえをきいたところ、吉田さんってかただった。
北陸線をひがしにくぐったとこで、みなみいきにしらさぎがいく。
まあちょっとひがしにいったとこで、自転車にのってきたおくさんがおれをよびとめる。ご主人がもどってきたでおしえてあげれるとのこと。おたくまでいくとちゅう、おくさんも滋賀大学出身だってことがわかる。おれは経済学部だって、おくさんは教育学部。親近感がます。
おたくのまえでご主人がまっとってくれて、はなしをきく。北国街道は、じつは飯村橋をわたったとこでごうなかにおりちゃいかんかった。堤防道路をかみにいかにゃいかんかった。たばこやにちかづいたとこで、ちょこっと堤防道路をおりて右折して、たばこやのとこで左折してきたにすすんでいくだった。まえの飯村橋はいまのはしよりもちょこっとかみにあって、ほういうふうに北国街道はとおっていっとったっていう。米原市観光案内所でもらった「北国街道えまき」をたよりにあるいてきとるだけど、ほの地図も100パーセント正確ってわけじゃなかった。さらにむかしははしがなくて、たばこやのとこにわたしがあったこともおしえてくれる。
さらにまた、おれが米原宿からあるいてきたっていうと、ほの北国街道もちがうっていう。米原警察署のうらで国道8号線につきあたって右折して、左折しておうみ陸橋をわたって、多良口バス停のとこでみぎ30度にえだわかれするほっそいみちにはいってきたわけだけど、じつはちがっとった。むかしの北国街道は、米原警察署のうらから国道8号線をにしにつっきって、線路群もにしつっきってからきたむきにむきをかえて、多良口バス停のとこにつながっていくだった。なるほどほのほうがしぜんだ。はなしをきくうちに、おくさんがこっそりズボンのポケットに缶コーヒーをさしいれてくれる。いや、じつに貴重なはなしがきけた。
ご主人とおくさんに礼をいって、ごうなかをひがしにもどっていく。北陸線をくぐるとこで、こんどはきたいきにしらさぎがいく。すすんで、ごうのなかに12時をつげるオルゴールがながれてくる。
天野川の堤防道路にあがって、かわかみにあるいていく。これが北国街道だっただ。
たばこやのてまえで、ひだり45度にさかをおりていく。吉田さんのご主人におしえてもらったとおりのみちがある。おりたとこでつきあたって右折。
また堤防道路にあたるとこで、ひだりにたばこや。みせはかわらぶき木造2階だてのたてもんで、きわくのかんばんに「たばこ|岩崎商店|収入印紙|郵便切手」ってかいてある。このふぜい、いいな。ほのむかしはここに天野川のわたしがあっただ。しきちのかどに坂田神明道のいしぶみと湖国バス飯村(いむら)バス停。
たばこやを左折して、また堤防道路からひだり45度におりていく。
きたにすすんで、すぐに飯のごうをぬける。
点滅信号の交差点を直進。ひだりにコメリリフォーム米原店のおおきなみせ。これをまきこむように十字路を左折。北国街道からはなれてにしにあるく。
すぐに北陸線の坂田駅(さかたえき)にとうちゃく。えきまえに山内一豊と千代の銅像。山之内一豊は、千代がへそくりでかってあげた名馬にのっとる。
北陸線
坂田12時35分の姫路いき新快速にのる。北陸線から東海道線に直通するのはとってもべんりだけど、1時間に1本しかないのがつらいとこだ。
ひだり、伊吹山はまんだかすんどる。
天野川をわたる。
12時42分、米原にとうちゃく。150円って、やすっ!
米原宿にもどってひるめし
米原駅からひがしに国道8号線をこえて北国街道米原宿カフェドゥMBFにとうちゃく。さっきは開店まえだったけど、こんどこそはいる。はいってびっくり。しゃれたみせじゃん。うれしい誤算だ。
さいしょに自家製トマトジュース。つづいて前菜に、にじますのカルパッチョとなまハム、いもサラダ。つぎに冷製じゃがいもスープ。いや、うまいこと。
主菜にトマトスパゲッティーとパン。どれもあじが繊細でうまいこと。食后にすもものシャーベットとコーヒー。大満足。かんじょうのときにMBFの意味をきいてみたら、米原ベースワンファクトリーの略だとのこと。ベースワンってのがこのみせを運営する会社のなまえで、まあ、ベースワン米原店ってな意味だ。
かえり
かえりの電車。米原から東京いきひかり号。ひだり車窓、伊吹山はまんだくもがかかっとる。
名古屋でパノラマスーパーにのりかえ。さらにしんあんじょうで西尾いきふつうにのりかえてふるいにもどる。