2022年6月ここのか、きのもとにいってきた。ずーっとむかしっから、めしをくいながら地図帳をみとった中学生のころから、ここにはきっとなんかがあるにちがいないっておもっとったきのもとにいってきた。
〔いき〕〔現地〕〔かえり〕
◇ ◇
いき
ふるい6時49分、岩倉いき急行のあっかい電車にのる。あさひにかがやく車体もうつくしく、改装された車内もきれいだ。
みなみあんじょうでうんよくあいたまえの1席にすわる。となりはかわいいおんなのひと。
しんあんじょうは、えきてまえでいったん停止のあと3番のりばにとうちゃく。6時57分。
しばし電車見物。むかいの4番のりばに一宮いき急行のあっかい電車がはいってきて、ほとんどのひとがのりかえていく。
のってきた電車は、まえに2両増結。ふつうにかくさげになってでていく。
3番のりばに岐阜いきふつうのあっかい電車がはいってきて、まちあい。
4番のりばから津島いき急行のぎんいろ電車がでていく。
さて、4番のりばにしんあんじょう7時9分、岐阜いき特急のパノラマスーパーがはいってきて、のりこむ。
わが座席は、しんがり1号車展望席3B。うしろむきにみて、ひだり通路がわはしらまえ。あさ、うちでメネットしてさいごにあいとった1席だ。となりの3Aはおんなのひと。ほんとはさっきみおくった一宮いき急行にのりかえたほうがはよ名古屋につくだけど、ゆっくりすわっていける特別車のある岐阜いき特急にした。
金山に停車。となりの席があく。名古屋通勤のひとも、はんぶんちかくは金山でおりるだ。
トンネルにもぐって、名古屋にとうちゃく。7時37分。10分しんあんじょうをはよでた一宮いき急行の4分あとについた。
地上にでて、OK銀行ATMでかねをおろす。キャッシュカードもなんにもなしにかねのおろせるてのひら認証のべんりなこと。
名古屋7時53分、新大坂いきこだま号にとびのり。こだま号は本数がないだけに、あやうく予定がおおきくくるうとこだった。べんとうはかえずじまい。のりこんでまずは3号車まえの喫煙室でいっぷく。3人め。ほのあと3号車13Eにすわっていく。みぎ2席まどがわ。
岐阜羽島に停車。いや、停車時間のながいこと。
みぎ車窓に伊吹山。
8時21分、米原にとうちゃく。のってきた電車はすぐでていく。ここでまちあいしてくれやいいのに。
新幹線かいさつをでて、在来線かいさつにはいりなおし。のりかえかいさつもあるだけど、こうしたほうが乗車料金がやすくなるだ。ばかなことだ。にぎりめしとおちゃをかって、6番のりばにおりる。
6番のりばにまっとった、米原8時34分の敦賀いきふつうにのりこむ。電車は、先頭クモハ521-3の521系2両編成ステンレス電車。ざんねんながらかぶりつきは確保できず。
しゅっぱつ。自動放送のおんなのひとのこえで案内。まもなく坂田、坂田です。やさしいこえだな。わるくないかも。
天野川(あまのがわ)をわたる。
ひだりに湖北平野。
坂田(さかた)に停車。あいた1席にすわる。ここで米原いきふつうとすれちがい。
まもなく田村、田村です。いや、坂田をしゅっぱつしたとこじゃん。まもなくがはやすぎるわ。
ひだり、たんぼんなかにドームがみえて、田村(たむら)に停車。こんないなかのえきなのに、どどーって乗客がおりる。
ひだりに琵琶湖がみえたとこで、にぎりめしをくいはじめる。
長浜(ながはま)に停車。さらに乗客がおりで、がらすきになる。
湖北平野をきたにすすんでいく。
姉川(あねがわ)をわたる。ひだり車窓かわしも。
虎姫(とらひめ)に停車。
河毛(かわけ)に停車。だあれもおらん。
はんたいのりばのうしろに駅舎。
高時川(たかときがわ)をわたる。
高月(たかつき)に停車。
地形がせばくなってくる。
現地
きのもとのえきにはいっていく。
ふみきりをこえて、きのもとはしましきのりばひだりの3番のりばにとうちゃく。8時58分。
のってきた電車をみおくり。
はんたい線1番のりばはかためんのりば。もともとは1番のりばに直結してかいさつがある国鉄がた配線だったはずだけど、いまは橋上かいさつ。いや、なかなかりっぱな橋上かいさつのえきだ。
橋上通路にあがって、びっくり。自由通路とのさかいに動輪をかたどったさくがしてある。えきっていうもんにたいするきあいのいれようがすごい。駅員さんもおる。
かいさつにひとつあるだけの簡易改札機にマナカをかざして、自由通路にでる。きっぷうりばむかいの便所にはいって、また、びっくり。内装がめちゃめちゃりっぱなだ。自由通路も、こししたがいたばりになっとったり、ゆかめんが化粧タイルばりになっとったりして、ほんとにりっぱだ。橋上駅からひがし、えきまえがわにつづくたてもんも超りっぱだ。ふれあいステーションおかんってなまえがついとる。
ふれあいステーションおかん1階おくのまどから、1番のりばから米原いきふつうがでていくのがみえる。めとはなのさきだ。国鉄がた配線の時代はここにかいさつがあって、米原方面の電車にはすぐのれただ。
ふれあいステーションおかん1階にはまちあいしつもある。かべはしらかべ、こししたいたばりで、きのテーブルとベンチのある、ひろびろとしたりっぱなまちあいしつだ。いまどきまちあいしつがあるってだけでもすごいのに、ここまでりっぱなまちあいしつをつくったとはおどろきだ。
ところでかべにはりがみ。これまで長浜市がつくっとった時刻表をはりだしとったけど、JR西日本がつくった時刻表以外はみとめられんことになったため、撤去することになったとのこと。ひどいはなしだ。
ふれあいステーションおかん1階にはみやげもんうりばと観光案内所もあって、まちあるき地図をもらう。ついでに、まちあいしつにおどろいたこともつたえると、ほんなことにおどろくのかってふしぎそうなかお。
えきまえにでて、ふれあいステーションおかんのたてもんをふりかえる。どうどうたる2階だて和風建築だ。
みなみにあるいて、みぎに、あれ?また駅舎か? あっかいよせむねやねに、クリームいろのモルタルぬり外壁のひらやだて。じつはこれがきのもと旧駅舎だった。いや、こっちのがえきっぽいな。いまは、きのもとまちのえきとしてつかわれとる。
旧駅舎のむかいに商店街。これがえきまえ商店街だ。いまのえきとはちょっとずれちゃっとる。
みちがT字につきあたり。みぎはふみきり。電車できのもとのえきにはいるてまえにあったふみきりだ。
ひだりはのぼりざか。いや、ただもんじゃないのぼりざかだ。左右にふぜいのあるみせがたちならぶ。みちはびっしりいしだたみがひいてある。きれいな街路灯がずーっとつづいていく。地蔵坂(じぞうざか)ってなまえがついとる。どっかに地蔵さんがあるのか。
T字につきあたり。つきあたりのむこうがわにきのもと地蔵院(じぞういん)っておてら。地蔵坂の地蔵はこのきのもと地蔵院のことだった。T字につきあたったみちが北国街道(ほっこくかいどう)。ひだりかどの角屋(かどや)ってわがしやにはいって、六方やきとくさもちをかう。
きのもと地蔵院におまいり。ついでに戒壇めぐり。いや、ほんっとにまっくらでおそがかったこと。
- みぎおくにすすんで、阿弥陀堂。ろうそくとせんこうをともしておまいり。
- なむあみだぶつ おんあみりた ていせいからうん
阿弥陀堂をでるてまえ、みぎに明治天皇きのもと行在所のいしぶみ。明治天皇がここにとまっただ。
さて、北国街道をあるく。まずはきのもと地蔵院からきたにあるくことにする。地蔵坂からはつきあたりT字を左折するかたちになる。T字交差点の西南かどに、きのもとふだのつじのいしぶみを発見。ここが北国街道きのもとじゅくのまんなかになるだ。
ちょこっとすすんで、ひだりにますや書店。まちやづくりのみせにはいって「みーな|隧道漫歩|過去と未来をひらくみち」ってほんをかう。特集で湖北のトンネルのことがのっとるってことで、みせのおくさんがすすめてくれたほんだ。きのもとからさき敦賀までのかんにトンネルがいっぱいある。
すすんで、ひだりに牛馬いちのさと。ここで山内一豊のつま千代が名馬をかったとのこと。
- みぎに伝馬所のあと。説明がきにつぎのようにかいてある。
- ここで、柳ケ瀬関所通過の人馬をかくにんした。明治維新戊辰戦争には数万人の武士が江戸から北陸にむかったっていう記録がのこっとる。郵便局の前身、駅逓(えきてい)の所在地だった。
- 柳ケ瀬は湖北トンネル群のひとつがあるとこ。北陸線さいしょの経路に柳ケ瀬トンネルがあった。江戸から北陸にいくには、ここきのもとをとおっていくだっただ。いま、東京から北陸にいくには、長野まわりの北陸新幹線でいく。2024年はるに北陸新幹線は金沢から敦賀まで延伸。さらに将来、敦賀から小浜まわりで京都、大坂につながって、湖北はにほんの大動脈からはずれる。
みぎ、木造かわらぶき2階だてのおおきなたてもんで山路酒造。ほののきしたに、あっかいポストと北国街道のいしぶみ。いしぶみひだりめんに、田上観音みちの表示。
すすんで、ひだりに「きのもと牛馬市あと|馬宿平四郎」のいしぶみ。
- ほのつぎのうちの連子格子(れんじごうし)に「きのもと牛馬市」と「山内一豊が名馬を購入した馬宿平四郎」の説明がきがかかっとって、つぎのようにかいてある。
- 室町時代から昭和の初期までまいとし2回、この地区20軒ぐらいの民家をやどとして、伝統の牛馬いちがひらかれた。近江はじめ但馬、丹波、伊勢、美濃、越前、若狭などから数百頭以上の牛馬があつまって盛況をきわめた。うしはにぐるまひきや農耕にもちいられ、うまは武士のいくさにもちいられた。山内一豊のつま千代がへそくり10両をはたいて、摺墨の名馬をかいもとめておっとにあたえたことは「つまのかがみ」っていわれとる。
なるほど、きのもとはただ北国街道のしゅくばまちってだけじゃなくて、数か国にもわたる地域から牛馬のあつまるいちまでたっとっただ。ほれが昭和の初期までつづいとったってことにもおどろく。
いったん北国街道からはなれて、えきのひがしに移動。江北図書館(こうほくとしょかん)を見学する。電車をおりてさいしょにめについたたてもんだっただけど、開館時間まえだって、あとからくることにしたしだいだ。木造2階だてモルタルぬりの洋館。こんなしゃれたたてもんがきのもとにあるだ。
なかにはいると、通路のまどがわまでほんがびっしり。館員のおんなのひとにはなしをきいてみる。まえは農協のたてもんだったもんを私設図書館にしたとのこと。私設図書館としては、余呉(よご)ではじめて、きのもとの北国街道ぞいに移転。さらに現在地に移転したとのこと。
2階を見学。
えきまえ商店街にみつけたいこいってみせにはいって、かつどん定食を注文。はごたえのあるとんかつに自家製みそのみそしる、ごちそうさまでした。みせんなかにヤンマーの模型があって、かんじょうのときにみせのおくさんにきいてみると、ヤンマーは高月が創業の地で、模型はヤンマーエンジン1号機だとのこと。ほー。えきがきたに移転した理由もきいてみる。これは、JR西日本の新快速が北陸線まで延長運転をするようになったときに、ほの対応のために移転したとのこと。新快速ってのはほんとにべんりで、おかげで関西方面からきのもとにようきてくれるようになったって。おれが愛知県からきたっていうと、中京方面からはふべんだよねーって同情してくれる。いや、ほんとにふべんだ。きょりとしちゃあ名古屋から新快速なりなんなりで1本でこれるきょりなのに、米原でのりかえにゃいかんわ、ほのまえに東海道線も米原まで直通しとらんくて、大垣でこせんきょうのりかえをしいられるわだ。ほれがいやで、米原まで新幹線をつかっただよ。きのもとのえきのはなしにもどって、新快速でべんりにはなったけど、以前は1番のりばがかいさつ直結だって、ほれはほれでべんりだったのにってちょっとざんねんそう。
さて、はらごしらえができたとこで、こんどは北国街道をきのもと地蔵院からみなみにあるく。
ひだりに本陣。
みぎに富田酒造。説明がきに、「先祖は京極氏。浅井氏におわれてこの地でつくりざかやをいとなみ、しょうやもつとめる。明治天皇北陸巡幸のさい、岩倉具視がとまった」ってかいてある。いや、湖北の戦国時代の歴史がここにもあるだ。
ところで、おんなのひとがクルマをおりて、こっちにやってくる。なんかしゃんっておもったら、さっきめしやでおれとみせのおくさんがはなしをしとるのをききつけて、ヤンマーのことをさらにおしえてくれる。ヤンマー創業者は山岡ってひとで、高月町(たかつきちょう)東阿閉(ひがしあつじ)が出身とのこと。長浜のヤンマーミュージアムにいってみることもすすめてくれる。親切に感謝。
ひだり、明楽寺(みょうらくじ)におまいり。
すすんで、みぎにもと滋賀銀行きのもと支店。いや、大理石のはしらもどうどうたるいしづくり2階だてのたてもんだ。いまはきのもと交遊館っていう施設になっとる。
さらに左右にまちやのたちならぶ北国街道をみなみにすすむ。
つきあたって、北国街道と北国わき往還のわかれみち。つきあたりのたてもんのみぎわきをぬけてさらにみなみにいくのが北国街道で、左折していくのが北国わき往還。このさき北国街道は長浜をとおって、鳥居本(とりいもと)のへんで中山道に合流。北国わき往還は小谷(おだに)をとおって、関ケ原で中山道に合流。いまの国道でいうと、北国街道が国道8号線に、北国わき往還が国道365号線にだいたい該当する。
かえり
えきにもどって、かえりの電車をまっとるとこで、3番のりばを金沢いきしらさぎがかけぬけていく。しらさぎが金沢までいくのも、2024年はるの北陸新幹線敦賀開業までのことだ。
にし、しずがたけのほうをみてみる。織田信長なきあと、羽柴秀吉と柴田勝家がたたかったのがここだ。
さて、1番のりばに、きのもと13時15分の姫路いき新快速がはいってきて、のる。電車は、先頭クモハ224-114の4両編成225系ステンレス電車。いきの521系とちがって、こいつはみはらしがよくてうれしい。
しゅっぱつ。かさあげしてないむかしののりばをとおって、ふみきりをとおって、みなみにすすんでいく。
高月(たかつき)に停車。
高時川(たかときがわ)をわたる。
河毛(かわけ)に停車。ところで、車掌さんがおる。いきの敦賀いきふつうはワンマン運転で車掌さんがおらんかっただけど、かえりは姫路いき新快速ってことで車掌さんがおるだ。はきはきしたおんなの車掌さんがきもちいい。
河毛をでてすぐに、近江塩津いき新快速の4両編成223系ステンレス電車とすれちがい。225系ステンレス電車のひと世代まえの電車だ。
虎姫(とらひめ)に停車。
姉川(あねがわ)をわたる。これよりかみで、織田信長と浅井長政で姉川のたたかいがあった。滋賀県は歴史の宝庫だ。
長浜(ながはま)に停車。浅井長政をほろぼした織田信長から羽柴秀吉はこの地をあたえられて、長浜城をつくった。浅井長政の小谷城は廃城になって、ここ長浜が湖北の中心になった。
みぎにもと長浜駅舎をみながら、しゅっぱつ。
みぎに長浜バイオ大学をみて、田村(たむら)に停車。いきの電車でどどーって乗客がおりたのは、みんな長浜バイオ大学の学生だったにちがいない。かえりもけっこうなかずの乗客がのってくる。
坂田(さかた)に停車。
天野川(あまのがわ)をわたる。いいひびきだな。
13時42分、米原(まいばら)は3番のりばにとうちゃく。
在来線かいさつをでて、新幹線かいさつにはいりなおし。米原(まいばら)13時57分の東京いきひかり号にのりこむ。
自由席5号車2Eに座席を確保。ひだり2席まどがわ。2席または3席まるごとあいとる席はすくなくて、かろうじてこの座席を確保した。ひかり号は指定席をとったほうがよさそうだ。しゅっぱつまでのあいだにうりこのおねえさんがまわってきて、ぶどうジュースをかう。いきは車内販売のないこだま号だったけど、やっぱり車内販売があったほうがたのしい。
長良川をわたって、岐阜羽島に停車。ひかり号だけど、やっぱり停車時間はながい。
岐阜羽島をでて、ひだり名鉄羽島線をやってきた、新羽島いきふつうのぎんいろ電車とすれちがい。
14時25分、名古屋にとうちゃく。
名鉄にのりかえ。豊橋いき特急のパノラマスーパー、西尾いきふつうのあっかい電車ってのりついで、ふるいにかえる。