きょう2022年10月むいか、尾西線(びさいせん)の廃線あとをあるいてきた。尾西線のきたの終点、玉ノ井(たまのい)まで電車でいって、ほっから木曽川橋、木曽川港までつづく廃線あとをあるいてきた。
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高架の一宮で名古屋本線岐阜いき特急から尾西線玉ノ井いきふつうにのりかえ。電車はおどろきの4両編成3500系きんぎょばちのあっかい電車。がらがら電車を予想しとっただけど、ぞんがいようけのっとることにもおどろき。西一宮でなんにんかおりる。たぶん官庁関係のひとたちだ。地平をすすんで奥町(おくちょう)に停車。ほとんどのひとがおりる。
8時3分、玉ノ井にとうちゃく。
つづく道路をあるいていく。廃線あとが道路になっとるだ。中央線のある道路で、左右は住宅街。
ひだりにゆみなっていく。
住宅のすきまにたんぼもあらわれてくる。
ひだりおく、いちだんたかいとこを平行してとおっとるのが街道にちがいない。ほこが木曽川の堤防だった時代があったのか。
ゆるーくみぎにゆみなっていく。
ひだりに里小牧(さとこまき)保育園。なんのこんせきもなくて位置が確定できんけど、このへんに里小牧駅があった。
左右がほとんど住宅街になる。
みぎに美容室TJ天気予報part5。みせのなまえがへんてこなこととはうらはらな、よせむね2階だてのしゃれた洋館なだけど、いわれのあるたてもんだかなんだかわからん。
木曽川橋につながる道路をくぐる。
北方中島交差点から、中央線のある道路はみぎにゆみなっていくだけど、こっからはずれて廃線あとは直進。直進して中央線のない生活道路にはいっていって、遠方上空に金華山と岐阜城。すてきな光景だ。ちなみに、この交差点でまじわるのがおすし街道。
ひだりにゆみなっていく。
美容室のみせさきにおったおくさんに、どのへんに木曽川橋駅があったのかきいてみると、なんとみせんなかにホームがあったっていう。この美容室とてまえの2軒あわせた3軒が、うちんなかにホームがあったっていう。ホームを土台にしてうちをたてとっただげな。てまえの2軒はいまでもほだっていう。美容室はたてかえのときに撤去したとのこと。撤去するのによっかがかりだったとのこと。いや、貴重なはなしがきけた。
さらにおくさんにおしえてもらって、まあちょっとさきにあった貨物とりあつかいじょをかくにん。このたまいしづみのどどめのあるうちのとこにあったとのこと。
さらにまあちょっといったみぎ、北方西保育園のにわの一角に説明がき。
木曽川橋駅あと
1999年3月吉日建之 北翔会 |
こっからさきは貨物線用線。木曽川の堤防にむかってさかをあがっていく。
ひだりななめに堤防道路に合流。貨物線は堤防にあがってから反転分岐してかわらのほうにおりていっとったらしい。
かわかみにあるいていったとこに皇太子殿下御野立所のいしぶみ。説明がきに「このへんに尾西鉄道木曽川港駅があった」ってかいてある。尾西線は尾西鉄道により建設されて、のちに名鉄が合併した。いしぶみのうしろ、ちゃいろい鉄骨トラスの鉄橋をミュースカイがわたってくる。こっちがわのたもとに名古屋本線の木曽川堤駅。
しもにもどってかわらにおりて、対岸に笠松みなとをみる。おすし街道時代、このあたりに宝江のわたし(ほうえのわたし)があったとのこと。また、初代木曽川橋もこのあたりにあったとのこと。
また堤防にあがってしもにいったとこからひだり45度にいまの木曽川橋をみる。
廃線あとめぐりをおえて、おすし街道を名古屋本線黒田駅にむかう。