きょう2023年1月みっか、にいけてんてこまつりにいってきた。幡豆郡(はずぐん)はにいけ八幡社につたわるおたうえまつりであるてんてこまつりにいってきた。まいとし1月みっかにおこなわれるまつりで、もよりえきは西尾線福地駅。
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ふるいから西尾いきふつうのあっかい電車にのって西尾線をみなみにいく。ことしのはつのりだ。
終点西尾にとうちゃく。かいさつをでてベルサヲークのはなまるでちょっとはやいひるめし。
えきにもどって吉良吉田いき急行のあっかい電車にのる。
のることひとえき福地にとうちゃく。構内ふみきりをわたってかいさつをでる。
県道をみなみにあるいてにいけのごうにはいったとこでてんてこまつりのかんばんを発見。開始は午后1時だ。
にしにごうなかにはいっていってまたてんてこまつりのかんばん。こんどは、あか装束の人間がしりにだいこんちんぼをつけてたいこをかついどるえがついとる。これだ。これをみるためにここまできただ。
にいけちょう公民館にとうちゃく。カメラマンのひとたちがいっぱいあつまっとる。CBCもきとる。じもとのひとたちもあつまってくる。公民館のなかではあか装束のおとこたちが行列の練習中。えらいさんたちも声援にかけつけてくる。かかりのひとにしゅっぱつ地点がどこかきいてみると、こっからひがし県道のとこからだっていう。いきさきはごうのにしはずれにあるにいけ八幡社なだけど、いったんちょこっと逆方向にいってからあらためてにしにいくだ。ほいからあか装束のおとこが6人おることもおしえてくれる。ほいで6人が3人づつのくみにわかれるだけど、それぞれのくみでいごきをあわせれるように練習しとるだっていう。
まつうちに屋外スピーカーからおしらせがながれてくる。「てんてこまつりは西暦859年清和天皇大嘗祭(だいじょうさい)の献上米をつくる悠紀斎田(ゆきさいでん)ににいけがえらばれたことにはじまるおたうえまつりだ」っていう。いや、なんちゅう歴史のあるまつりなだ。さらに「献上米は伊勢神宮にはこばれた。あか装束をつとめるのは6人のやくおとこ。たいこもち、めしびつもち、なますもちがひとりづつで、ほうきもちが3人。あか装束は平安時代のたうえにいくときのすがた。てんてこてんのてんてんっていうたいこのおとからてんてこまつりっていうなまえになった。1957年に愛知県無形民俗文化財に指定された」とのこと。いや、こうやってちゃんと説明してくれるってありがたいことだ。
また公民館のろうかにだいこんちんぼが展示してある。これもあつまってきたひとたちへのサービスだ。まっといんびなかんじのあるもんかっておもっとったけど、あっけらかんとしたもんだ。
さて、あか装束のやくおとこのおでまし。
しりにだいこんちんぼをつけておでまし。
県道のとこまで移動。
にしにむけてしゅっぱつ。先頭はしおまき。つぎにねぎさん。ほのつぎにうじこ総代。
ほのあとがあか装束のやくおとこで、さいしょにたいこもち。
つぎにこめびつもち。
ほのつぎになますもち。こめびつもちやなますもちがおるのは、平安時代の食事回数はあさばんの2食だっただけど、たうえのときにかぎってはひるめしをもっていっとったってことで、ほれを再現してのことだっていう。なるほど、たうえこそやらんけど、ほういうかたちでおたうえまつりになっとるわけだ。
しんがりはほうきもちの3人。この3人はだいこんちんぼをつけとらん。
しおをまきながら行列がすすんでいく。ところどころでたちどまってはあか装束のやくおとこがてんてこてんのまい。
公民館のまえをとおっていく。見物客がいっぱい。
さらにすすんでいく。
つきあたりT字を右折してきたにいく。
にいけ八幡社の境内にはいる。
とりいのてまえでいったん整列。
社殿のみぎがわに清和天皇悠紀斎田旧蹟伝説地のいしぶみを発見。大島徳書。
あか装束のやくおとこが境内をぐるぐるまわる。
ほうきもちの3人が地面にかためてあったわらばいをまきあげる。まきあげたわらばいが見物客にふってくる。ごりやくのあるありがたいわらばいだ。
あか装束のやくおとこが社殿にはいっていって神事がはじまる。
みやげににいけ八幡社おたうえ神事由来とてんてこおこしをかってうちにかえる。