御殿場線と熱海線

さいしょは御殿場線東海道線だって、あとからできた熱海線が東海道線にかわった。相模湾にめんする国府津から駿河湾にめんする沼津までのかんのことだ。鉄道ができるまえ、東海道はこのかんを直線的にむすぶかたちで箱根山地をつっきっていっとっただけど、鉄道としてさいしょにできた御殿場線箱根山地をさけてきたまわりにまわっていくかたちになった。ところで御殿場線は勾配があまりにきつくて蒸気機関車を増結せんと列車がのぼっていかん。こんなことをつづけていくのはむりがあるってことで、こんどは箱根山をさけてみなみまわりにまわっていくかたちで新線が計画された。ほれが熱海線だ。相模湾ぞいに熱海までいって、ほっから長大トンネルで伊豆半島を横断して駿河湾にでるって経路で新線が建設されて、これが東海道線にかわった。

御殿場線と熱海線 1360-1620

御殿場線と熱海線について年表をかくにんしてみる。

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御殿場線

国府津から沼津まで60.2キロ〕

  • 1889年2月1日、東海道線国府津-静岡間が延伸開業。国府津から沼津までは御殿場線経由。
  • 1889年4月16日、東海道線静岡-浜松間が延伸開業。琵琶湖航路を介して新橋から神戸まで全通。
  • 1889年7月1日、東海道線大野木交差点-大津間が延伸開業。すべて鉄路で新橋から神戸まで全通。
(補足説明と感想)
東海道線の建設は1872年から1889年にかけておこなわれたもんで、御殿場線区間の建設はほの最終年におこなわれた。ほいだけ鉄道建設が困難な区間だったってことか。

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熱海線

国府津から沼津まで48.5キロ(御殿場線より11.7キロみじかい)〕

  • 1920年10月21日、熱海線国府津-小田原間が開業。勾配のきつい御殿場経由にかわって、熱海経由の路線を東海道線として建設することになり、その第一段としてこの区間が開業した。
    東海道のしゅくばまちでありじょうかまちだった小田原は、東海道線からはずれて小田原電鉄の路面電車東海道線国府津につながるだけだっただけど、こいで東京に直結することになった〕
  • 1922年12月21日、小田原-真鶴間が延伸開業。
  • 1924年10月1日、真鶴-湯河原間が延伸開業。
  • 1925年3月25日、湯河原-熱海間が延伸開業。
    相模湾ぞいをみなみにすすんでついに熱海に到達。この時点では非電化〕
  • 1926年2月1日、国府津-小田原間が電化
  • 1928年2月5日、小田原-熱海間が電化
    蒸気機関車でもむりなく運行できるようにってことで熱海線を建設してきたはずだけど電化した〕
  • 1934年12月1日、丹那トンネルが完成し、熱海-沼津間が電化複線で開業国府津-御殿場-沼津間は御殿場線として分離。熱海線の国府津-熱海間とともに新規開業区間東海道本線にくみこまれ、これにより東京-神戸間が現在の経路で完成。
    〔のこる区間の開業ははなっから電化開業〕
(補足説明と感想)
御殿場線の急勾配をさけて蒸気機関車でもらくに運行できるように熱海線をつくったのかっておもっただけど、けっきょく熱海線は電化開業しとる。これなら御殿場線を電化せやあよかったじゃんかってきがする。東京の人間にとって御殿場線沿線は魅力にとぼしくて、ほれよりも東海道のしゅくばまちでありじょうかまちだった小田原や温泉地としてなだかい熱海と直結するかたちにしたかったのかなっておもう。

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