亀山の保福寺

2023.9.4 (14) 保福寺 - 大香炉 1460-2000

わがふるいのまちは亀山(かめやま)に保福寺(ほうふくじ)っていう曹洞宗のてらがある。

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2023.9.4 (1) 保福寺 - 参道(にしどり) 1980-1320

ひがしむきに県道にめんして境内。地形はおくにむかってたかくなっていく。

参道の左右に廊下堂。

2023.9.4 (2) 保福寺 - 三十三観音堂(念救世) 2000-1490

ひだりに三十三観音堂。念救世ってかんばんがでとる。

2023.9.4 (3) 保福寺 - 三十三観音堂(念救世) 2000-1500

ずらーってならぶ観音さん。

2023.9.4 (4) 保福寺 - 十六羅漢堂(応真来現) 1990-1500

みぎに十六羅漢堂。応真来現ってかんばんがでとる。応真ってのは阿羅漢の別名。

2023.9.4 (5) 保福寺 - 十六羅漢堂(応真来現) 2000-1500

ずらーってならぶ羅漢。

2023.9.4 (6) 保福寺 - 山門 2000-1500

参道をすすんで山門。

2023.9.4 (7) 保福寺 - かねつきどうと永代供養塔 1490-2000

山門をくぐってひだりに永代供養塔とかねつきどう。

2023.9.4 (13) 保福寺 - 永代供養塔 1930-1500

まあたらしい永代供養塔。てっぺんにくろいストゥーパをいただく。

2023.9.4 (11) 保福寺 - かねつきどう(ひがしどり) 1250-1500

ほのうしろにかねつきどう。まいあさ6時にかねがなる。おおみそかのばんには参拝客に除夜のかねをつかせてくれる。

2023.9.4 (8) 保福寺 - 本堂 1970-1500

しょうめんに本堂。あんじょう市内最古の本堂だ。

2023.9.4 (14) 保福寺 - 大香炉 1460-2000

本堂のまんまえにみどりあざやかな大香炉。

2023.9.4 (17) 保福寺 - 大香炉の由来 2000-1500

豊川稲荷からゆずりうけたもんだけど、塗装しなおすのに9か月もかかったとのこと。

大香炉の由来
この大香炉は、豊川稲荷千頭別院(静岡県榛原郡川根本町千頭豊川稲荷の篤信者であった故松岡嘉兵衛氏の発願寄進により1985年12月1日開創)において、永年に渉り多くの参拝者の御信仰の一端を担っておりましたが、その役目を終えることとなり、当山鎮守保福稲荷(豊川稲荷より拝請/妙厳寺33世住職その后の大本山永平寺79世福山諦法禅師により1999年11月開眼)の本山である妙厳寺豊川稲荷豊川市豊川町)より、その仏縁浅からずと当山への贈渡の御法愛に与り、ありがたく拝受致したもの也。
2013年吉日
大亀山保福寺

2023.9.4 (16) 保福寺 - まにぐるま 1450-2000

大香炉のみぎにまにぐるま。1回まわすとお経を1巻よんだのとおんなじ功徳があるっていう。

摩尼車
「摩尼車」のマニは、宝珠の意味を示し、お釈迦様の誕生国ネパールでは古くから使われております。摩尼車を1回まわせば、お経を1巻読んだと同じ功徳とされ、仏様やお経の功徳にたとえた宝の珠を、得られるとされております。摩尼車に軽く手を当てて、ゆっくりと回して、お願いごとをお唱え下さい。

2023.9.4 (15) 保福寺 - まにぐるま 2000-1500

てらの400年記念に寄付をつのって設置したもんだ。

2023.9.4 (9) 保福寺 - 地蔵堂 1940-1500

本堂のひだりに地蔵堂

2023.9.4 (10) 保福寺 - 保福稲荷 1900-1500

本堂と地蔵堂のあいさをおくにはいっていったとこに保福稲荷。

2023.9.4 (12) 保福寺うらの金蔵塚 1600-1200

境内うらてに金蔵塚。これがあんじょう合戦十三塚のひとつの金蔵塚にちがいない。

〔2023年9月よっか訪問〕

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保福寺資料から
保福寺御縁起

『亀がはこんだ阿弥陀さま』
966年に、京都の仏師恵心僧都(えしんそうと)の発願に依り、9体の尊像を刻み、その内の1体(阿弥陀如来像)を現在のお寺より東側にあった十王堂という所に、お祀りしておりました。
信心深い村人に大切に護られ、村人も心穏やかに暮らしておりましたが、度重なる戦火により十王堂も全焼。阿弥陀如来像も焼失したと思われておりました。
時過ぎて、1233年その十王堂近くの池より、毎夜あざやかな光が放たれ、村人たちはとても不思議に思いました。
ある日、行方知らずだった如来像が、その池から漁師によって見つけだされたのです。漁師が大事に家へ持ち帰ったその夜半、物音に驚き起きてみるとその阿弥陀如来像が無く、外を見ると大きな亀がその尊像を背にして歩いとるではありませんか。
小さな山の中で、阿弥陀さまを背負った亀はどこかに去り、阿弥陀如来像だけが残りました。
京都の仏師を訪れ、尊像の修繕を依頼すると共に、再びお堂を建てる事となりましたのが、現在の『保福寺』の始まりであります。
やがて、この地を亀山と呼称される様に成りましたのも、この「縁起」によると言われております。
現世安穏・所願満足・后世善処・往生極楽・疑いなしとされ、その当時の領主であった、本多丹后守様の菩薩寺として、1615年に、現在の東岡崎竜海院第16世香海智定大和尚に依り、『大亀山保福寺』として、創建されました。
安城市古井町大亀山保福寺

保福稲荷 当山、保福寺に祀られておりますお稲荷様は、豊川市の「豊川閣妙厳寺豊川稲荷(豊川吒枳尼真天/とよかわだきにしんてん)」様を、お祀りしてございます。
悪事災難を除き、福徳智恵を得、悲しみを転じて喜びとなすとされ、商売繁盛・家内安全・無難無災・開運満足等の願いと結ばれ毎回、お勤めの日には善男善女沢山のお参りを頂いておりますのは、お稲荷様に対する信仰心が篤く、又昔からの変わることのない心願であります。

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古井町内会『古井の史跡』
保福寺
(ほうふくじ)
曹洞宗(そうとうしゅう)
(亀山)
江戸時代初期(元和年間=1615~1624)この地の領主の旗本本多丹后守重世(しげよ)が岡崎の竜海院の流れをくむ寺として創建した本多丹后守家の菩提寺です。
本尊は阿弥陀如来座像です。禅寺にふさわしく、山門の手前にお堂が向かい合って建っております。三十三観音十六羅漢をおまつりするお堂です。
山門左手に鐘楼、正面に本堂、右手に庫裏、その奥は方丈と池のある庭園となっております。本堂左手には地蔵堂、稲荷堂もまつられております。
本堂としては安城市内最古の貴重な建造物です。
保福寺の地蔵 このお堂の本尊は頭をまるめ、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩です。左足を垂らして座る珍しいお姿です。
古井神社(ふるいじんじゃ)の隣の「地蔵山」にまつられとったものを保福寺に移しました。堂内には他に庚申さん(こうしん)の石仏などが身をよせております。


【金蔵塚をあるく】
【愛知県歴史全集寺院編にみる亀山の保福寺】