亀山の保福寺のことが愛知県歴史全集寺院編って本にのっとる。
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大亀山保福寺
由来
- 当寺は1596年旗本本多丹后守の菩提寺として創建され、竜海院第16世香海智定大和尚により開山、以来、4百年の歴史をもつ名刹である。第61代村上天皇の966年恵心僧都は自身の願い通り、一刀三礼して尊像9体を刻んだ。
- 即ち「上品下生の尊像よりも下品下生への願い」を込めて浄土を表現した逸品である。この中より1体を選び、当寺に安置したと伝えられとる。この時期、十王堂は建設された。
- しかし人皇78代近衛天皇の久安年間(1145~1151)に至り乱世その極をきわめ、兵火によって十王堂は全焼、尊像も焼失したと思われとった。土民たちは悲しみ歎きながら、尊像再現を願いつづけとったと言う。
- 1233年かつて十王堂の所在した傍の小さな池より夜毎、異様な光りが放される様なり、人々はその不思議さに怪しみと恐怖を抱き、誰も近寄らんくなった。けれども、ある夜一人の漁師が池の魚をとらんとして、池の水を掻き出したとき、その中心に古い井戸を発見し、その中心に行方の知れんかった如来像が鎮しとったのである。驚いた漁師は尊像を抱きあげ家に安置した。その夜、ざわめく音に眼を醒ますや、大きな海亀が尊像を背に乗せて動いて行くではないか。漁師、后をつけていくと当寺境内に入り、亀の姿は煙のように消えとった。現在の古井町の名も、かつてこの地を亀山と呼称したことについても、この縁起によると言われとる。
- 延宝年間(1673~1681)に到り、阿弥陀如来は当寺の住職に化身して京都の仏師を訪ね本尊の修復を依頼したと言う。仏師の訪問を受けた住職は、その意を知らず、ふたりして尊像を拝したところ、手の部分の損傷を発見、その霊験を知った。以来、開帳霊仏としとるが、当寺には今に至るも安穏、諸顔満足、后生善処、往生極楽を願う男女が訪れ、賑わいを見せとると言う。
寺宝
歴代住職
- 開基本多丹后守、開山香海智定。第2世玉洲海琳。第3世梅巌聞本。第4世智屋察弁。第5世高存。第6世来本。第7世妙旨。第8世円山寛橋。第9世透関。第10世牧庵。第11世香林智円。第12世大享慈聞。第13世大翁幻童。第14世徳先寿天。第15世全牛息耕。第16世禅岸。第17世大竜忍海。第18世仏観哲性。第19世仏崇正道。第20世哲恵仏海。第21世祥円謙瑞。第22世玉運瑞門。第23世大典良雄。第24世太梵円鍳。第25世恵力国玄(名古屋で出生、永平寺より静岡、その后、当寺住職に就任)。
現住職
- 太玄師は1923年12月1日 、当地に生まれ、1935年12月得度、1956年5月18日当寺第26世住職に就任。法灯を守る傍ら、1959年より民生児童委員に委嘱し、また東部民生協議会副総務などを歴任、現在は安城市仏教会副会長の役職にあり、社会福祉の向上に力をそそがれとる。
年中行事
- 2月15日涅槃会。2月20 日大般若会。4月8日降誕会。5月5日達磨会。8月3日施飢餓会。9月29日開山忌、両祖忌。12月8日成道会。
境内地及び建物面積
〔2023年9月いつか入手〕