道路交通と 鉄道交通の 不平等

はたと きが ついた。


クルマは 道路を はしる。電車は レールの うえを はしる。あたりまえで ある。ここからだ。


クルマは 個人もちだが 道路は くになり 自治体なりの 公共が 税金で つくって くれる。個人負担は クルマの 代金と 維持管理費と 燃料費だけで あり、あとは 道路を いっくら はしっても ただで ある。いって みれば、上下分離しとって うえは 個人負担で したは 公共負担と いう 図式に なる。


かたや 電車。電車も レールも 鉄道会社もちで あり、すべて 利用者の 料金に はねかえって くる。さっきの 図式で いえば うえも したも 個人負担と いう ことに なる。道路交通の ばあいの ように したを 公共が 負担して くれるなどと いう ことは ない。


よく 鉄道交通の ことを 公共交通などと いうが とんでも ない。公共が かねを 投入しとるのは 道路の ほうで あり、道路交通こそ 公共交通と いうに ふさわしい 状況で ある。




この ような 状況で、とうぜん クルマで 移動した ほうが わりやすで ある。家族 4人で 旅行に いく ことを かんがえて みれば、だれもが うなずくだら。


基本的に 電車に のるのは 出張の ビジネスマンと 通学の 高校生と 通院の 老人だけで ある。ビジネスマンは ひとりか せいぜい ふたりで 移動するので、クルマを つかっても そんなに わりやすに ならんし、また 交通費も 会社から 支給されるので 電車料金が 多少 たかくても、車内で 本を よんだりも できて 快適な 移動が できるので、新幹線など 電車での 移動を えらぶ。高校生は 運転免許の 取得が ゆるされんので、電車に のるしかない。あとは 運転免許を もっとらん なんわりかの 老人が 通院に 電車を つかう。


例外は、首都圏・関西圏の 全域や 名古屋圏の 一部などの 大都市圏限定利用と、鉄道マニアの ものみゆさんで ある。大都市圏では 人口が 稠密すぎる ため 道路交通が 機能せず、その おかげで 鉄道交通が 優勢と なって おり、通勤や かいものなどの 生活全般に 電車が つかわれる。電車に じゅうぶん以上の 利用が あるので、うえも したも 個人負担と なっても それなりに やすい 料金設定が 可能と なっても おる。利用が ある、やすく なる、と いう 好循環は 鉄道網の 充実を もたらし、さらなる 好循環を まねく。鉄道マニアが 電車に のるのは いうまでも なく、その 好奇心を みたす ためで ある。




道路交通と 鉄道交通の 不平等に はなしを もどす。


新政権は、道路交通の なかでも 例外的に 上下とも 個人負担に なっとる 高速道路までをも、一般道路なみに したは 公共負担に すると いう。さらに 不平等は ますので ある。前政権 以来の 高速千円政策に より、すでに 鉄道各社は あおいきといきなのに・・・。


要するに、鉄道交通も 道路交通の ように 上下分離すべきだ、と いいたい。問題は 鉄道交通を どの ように うえと したに わけるかで ある。うえも したも 鉄道会社が 一体で 運行しとる ものを どの ように わけるかは、事務技術的に 非常に むずかしい 問題で ある。へたな やりかたを すれば 放漫経営にも なりかねず、これから よく かんがえたい。




(さんこう)