かなしい しまのこし 〜三陸鉄道 北リアス線 島越駅〜

三陸鉄道 北リアス線は 宮古 (みやこ)−久慈 (くじ)間 71.0キロだけど、ひがしにほん地震で 小本 (おもと)−陸中野田 (りくちゅうのだ)間 34.8キロが まんだ 運転 休止に なっとる。


こんなに ハイカラだった しまのこし 駅も すべてが 破壊されただけど、







しまのこし 駅舎 320-240
しまのこし 駅舎

つなみにも まけず 宮沢賢治の 歌碑だけが のこった。







しまのこし 駅で ゆいつ のこった 宮沢賢治の 歌碑 (あさひ) 500-375
しまのこし 駅で ゆいつ のこった 宮沢賢治の 歌碑
(あさひ)


・・・

水平線のま上では

乱積雲の一むらが

水の向ふのかなしみを

わづかに甘く咀嚼する



宮沢賢治 「発動機船 第二」




(あさひの 記事から)

  • 「コンクリートと 鉄の かたまりの 高架橋まで ながされたとは」
    1984年の 開業から ずっと この 駅で はたらいて きた 早野くみ子さん 55才は 4月 11日、地震の あと はじめて 駅を みて ぼうぜんと した。
  • 宮沢賢治の 童話から 駅は 「カルボナード しまのこし」の 愛称で したしまれた。2階 だての 駅舎には 童話から ぬけでた ような ドーム がたの やねが あった。
  • つなみは、駅舎は おろか 高架橋や 線路を 数百メートルに わたって ながしさった。駅舎から ホームへと つづく はずの 階段も とぎれて、虚空へ むかっとる。
    「えきまえで まいとし この 時期に はなを さかせた やえざくらも なくなった」
  • 駅の 様子を みに きた 盛岡市の 佐々木由美子さん 58才は 「なつやすみに あそびに くると、めの まえが 海水浴場で、おしゃれな 駅舎に シャワーが あった」と ありし ひの すがたを おしむ。
  • がれきの なかに、宮沢賢治 生誕 100年の つぎの としの 1997年に たてた 「発動機船 第二」の 歌碑だけが のこっとった。宮沢賢治が 大正 時代に むらを おとずれ、たびだちを 詠じた 詩だ。
  • しまのこしに とまる 列車は 1時間に 1本 ほどで 1日の 乗降客は 100人 ぐらいだった。クルマ 中心の 地域でも、鉄道が とおると 高校 進学 率が あがるなど やくわりは おおきかった。全面 復旧には 180億円を みこむけど、資金の あては ない。
  • あかじに くるしむ 鉄道を 応援して きた 「カンパネルラ友の会」の 宮森秀幸 会長 66才は 「通学や 老人の 病院 がよいに 必要な あしだった。なくなっちゃうと 非常に こまる」と はなす。
  • 三陸鉄道の 望月正彦 社長は 「地震の まえ、宮沢賢治に ちなんだ ツアーの 企画を かんがえとった。いつか それが 実現できれば」って、早野くみ子さんは 「あめにも まけず、つなみにも まけず。喪失感は おおきいけど、宮沢賢治の おかげで まえを むかにゃって いう きもちに なります」って いっとる。

かなしみを のりこえて ほしい。




(ねたもと)

(さんこう)