西三河の鉄道のうつりかわり11回め=蒲郡線の開業と挙母線の延伸

11回めのこんかいは1929年。はなしはふたつ。

ひとつは蒲郡線(がまごおりせん)の開業。1929年8月11日、三河鉄道により吉良吉田(きらよしだ)-三河鳥羽(みかわとば)間が開業。吉良吉田からひがしへの三河鉄道の延伸ではあるけど、のちに蒲郡線っていうなまえになって西尾線とのむすびつきがつよくなったで、あえて蒲郡線の開業っていうことにした。

まあひとつは挙母線(ころもせん)の延伸。ほのまえに。1927年4月16日、三河鉄道が岡崎電気軌道を吸収合併。岡崎-岡崎井田(おかざきいだ)間の岡崎市内線も岡崎井田-門立(もだち)間の郊外路線も、三河鉄道のもんになっとった。西三河でいちばんふるい私鉄である岡崎電気軌道はほろびとっただ。ほれと、ほの1年まえの1926年12月ついたちには、西三河で2番めにふるい私鉄である西尾鉄道も愛知電鉄に吸収合併されてほろびとる。東海道線の岡崎から派生した私鉄がふたつともほろびとった。

さて、挙母線の延伸。岡崎電気軌道から路線をひきついだ三河鉄道は1929年12月18日、終点の門立(もだち)よりちょっとてまえに分岐のためのえき、三河岩脇(みかわいわわき)をもうけて、こっからもともとの自社線の中間駅、上挙母(うわごろも)につなぐ路線を布設。岡崎井田(おかざきいだ)から上挙母までの挙母線の完成となる。ただし、挙母線っていうなまえになるのはず~っとあとになってからのことで、岡崎電気軌道時代はとくになまえがなかったものっておもわれ、三河鉄道が全線開業させたこの時点で、やっと「岡崎線」っていうなまえがつけられる。まんだ岡崎の鉄道っていうかんじがつよかった。ちなみに、盲腸線になった三河岩脇-門立間には門立支線のなまえがあたえられ、足助(あすけ)につなぐっていうゆめはついえる。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 11.蒲郡線の開業と挙母線の延伸
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 11.蒲郡線の開業と挙母線の延伸

三河岩脇のえきのあったへん(きょう2017年8月11日、筆者さつえい)2017.8.11 門立 (12) 三河岩脇(順) 2017.8.11 門立 (13) 三河岩脇(逆)
(ひだり=きたむきにさつえい)(みぎ=みなみむきにさつえい)

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(さんこう)