あ、あ~、あ~あ~やながせの~よる~にないている~♪ 美川憲一さんのうたでなをはせた岐阜も、近年は衰退いちじるしいっていわれる。筆者がこないだおとずれたときも、名鉄岐阜駅からにし、JR岐阜駅のきたのいくつかのアーケード街はシャッター街になっとった。筆者は、市内線とほれにつづく近郊線の廃止が衰退をもたらした元凶だってしんじるだけど、これからなんかいかにわたって岐阜につながる鉄道のうつりかわりについて、みてみる。
1回めのこんかいは東海道線の開業。1887年、はじめて岐阜につながる鉄道が開業した。1887年1月21日に岐阜-大垣間が開業して、おなじく1887年4月25日に岐阜-木曽川間が開業した。江戸時代まで岐阜の中心は「金華山(きんかざん)西北のふもと、長良川(ながらがわ)のすぐみなみ」っていう、いまの岐阜駅からはずーっときたのほうにあった。東海道線が開業したときの岐阜のえきは、さいしょは加納(かのう)っていうなまえで、ばしょもいまよりだいぶ東北方向にあったみたいなだけど、とにかく江戸時代までの中心よりもずーっとみなみのほうにえきができた。いまにつながる岐阜のはじまりだ。
(さんこう)
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- まずは「岐阜横丁」。あきビルを活用してことし2018年のなつ開業予定なだけど、名鉄岐阜駅前交差点からにしにいったとこにすぐにみつかる。改装工事まっさかりだ。東西のとおりも、この岐阜横丁のよこからみなみにはいるうらどおりもけっこうにぎやかなかんじなだけど、あきビルがあったじゃおちめになっちゃうで、ビルごと飲食店街に改装してひとをよばあっていうだ。
- 岐阜横丁のよこのうらどおりをみなみにいって、クルマどおりがよこたわる。すぐむこうがJR岐阜駅だっていうのに、完全に分断されとる。クルマどおりをひがしにすすんで、岐阜駅北交差点をわたったとこで、みなみにはいるアーケード街にあしをふみいれてみる。きょうって休日なのにあいとるみせがひとつもない。あとでJR岐阜駅にいってたしかめただけど、えきにはいっぱいひとがおる。だけどクルマどおりにはばまれとってこのアーケード街までこれやへん。えきとまちが分断しとるだ。ほれと、岐阜市内線とほれにつづく名鉄の郊外線が廃止になったのも致命的だ。ほれまでは后背地(こうはいち)から電車で岐阜のまちにこれただ。ほれが廃止になって、みんなクルマにきりかえちゃった。クルマで生活するようになったらまちなかなんかにこやへん。みんな郊外の駐車場完備のスーパーにいくだけだ。公共交通機関を廃止にしといて、まちなかのにぎわいなんかあるはずがない。
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- 東海道本線 - Wikipedia
- 岐阜駅 - Wikipedia