名古屋本線岐阜がわの起点名鉄岐阜駅について、ほのうつりかわりをみてみた。JR岐阜駅ともどもいろいろとうつりかわりがあって、あたまんなかを整理するためにみてみた。
みだしの写真は東海道線をこえる陸橋をわたっていく名古屋本線の電車。てまえの線路は陸橋へののぼりぐちにあった初代名鉄岐阜駅構内の線路。うえをとぶのは陸軍がフランスから購入したニューポールNGがた単葉機。岐阜市歴史博物館蔵。
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名古屋本線をきたにすすんで東海道線をきたにくぐって神田町どおりのわきでいきどまりになったとこが、岐阜がわの起点名鉄岐阜駅になる。同時に連絡通路をわたっていったべつののりばからはひがしに各務原線がのびていく。ところでさいしょっから名鉄岐阜駅がここにあったわけじゃない。JR岐阜駅ととなりあわせにあった。
![]() 渡利正彦『岐阜駅物語』岐阜駅位置変遷説明図 |
東海道線もふくめて歴史をたどってみる。さいしょにできたのがJR岐阜駅。このとき東海道線はいまよりきたのほうをとおっとって、おすし街道とまじわる地点に初代JR岐阜駅ができた。岐阜のまちは金華山にしがわのふもとに南北にのびとって、ほのめぬきどおりがおすし街道だった。岐阜のまちのみなみはずれになるこの地点に初代JR岐阜駅ができた。
- 1887年1月21日、初代JR岐阜駅が開業。
初代JR岐阜駅はすぐににしに移転した。おすし街道のにしに平行する八間道がみなみにつきるとこに2代JR岐阜駅ができた。八間道はいまの神田どおりで、えきができたとこは名鉄岐阜駅前交差点のとこ。
- 1888年3月ついたち、2代JR岐阜駅が移転開業。
時代がくだって東海道線がみなみにいまの位置につけかわって、いまの位置に3代JR岐阜駅ができた。八間道もみなみにのびて3代JR岐阜駅につきあたるかたちになった。えきのみなみがわは中山道加納宿の加納。この時点でまんだ名古屋本線はない。
- 1913年7月22日、3代JR岐阜駅が移転開業。
![]() 渡利正彦『岐阜駅物語』岐阜駅、新岐阜駅付近名鉄線路の変遷 |
3代JR岐阜駅ができたつぎのとしに岐阜から笠松のかんで名古屋本線が開業。ただし、さいしょは東海道線のみなみがわの広江駅が起点だって、おんなじとしのうちにきたに線路をのばして、東海道線をこえる陸橋ができるのと同時に初代名鉄岐阜駅が開業して名古屋本線の起点となる。いまの位置とはちがってJR岐阜駅ととなりあわせに開業。陸橋をわたってすぐにひだりにおおきくゆみなって地平におりていっとった。さきに開業しとった名鉄市内線とも線路がつながった。ただし、のりばはしましきのりばひとつだけで、ほれも電車2両分そこそこのながさしかなかった。
戦后線路をつけかえて2代名鉄岐阜駅が開業。陸橋をわたってほのままきたにすすんで神田町どおりのわきまでいったとこに2代名鉄岐阜駅が開業。2代JR岐阜駅があったとこで、これがいまの名鉄岐阜駅になる。
- 1948年4月18日、2代名鉄岐阜駅が移転開業。
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