稲葉宿

2019.2.17 (12) 稲葉宿 - 菓子亀 2000-1500

2019年2月17日、美濃路(みのじ)は秋葉宿(あきばじゅく)にいってきた。

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さいしょは西尾線。ふるい14時25分のしんあんじょういきふつうにのって、14時32分、終点のしんあんじょうにとうちゃく。

2019.2.17 (1) しんあんじょう - 岐阜いき特急 1990-1500

名古屋本線にのりかえ。しんあんじょう14時42分の岐阜いき特急にのる。

2019.2.17 (2) 岐阜いき特急 - 国府宮てまえふみきり 1980-1500 2019.2.17 (3) 国府宮 - 岐阜いき特急 1590-1200

めざすは国府宮のえき。てまえのふみきりにはだかおとこがいっぱい。このひは国府宮はだかまつりのひだ。15時19分、国府宮のえきにとうちゃく。下車。はだかおとことすれちがいながら、えきまえどおりをまっすぐすすんでいく。にしむきだ。はだかまつりがおこなわれるのはえきのひがしにある、国府宮神社こと尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)であり、ほれとははんたい方向になる。ずーっとすすんで、ほっからみちがせばくなるっていうとこの交差点を右折、またすぐに左折して、えきまえどおりのきたに平行するとおりをにしにはいる。これが稲葉宿か。このとおりが美濃路か。とおりには稲沢商店街振興組合の街路灯がたちならんどって、むかしながらの建築の商家もところどころにある。えきまえにたっとった地図かんばんをあたまにいれてここまできただけど、よそもんがすっとこれるとこじゃない。まえにぶらってこっちのほうにきたこともあるだけど、ほのときはえきまえどおりをほのままみちがせばくなるとこまではいっていっちゃって、左右が住宅街になったなかにみつけた喫茶店でいっぷくしてかえっちゃった。ほんなとこが稲葉宿で、いまも稲沢商店街なだ。

2019.2.17 (4) 稲葉宿 - 中部電力たてもん 2000-1500

しばらくすすんだとこで、みぎにレンガづくりっぽい風格のある洋風たてもん。ただ、まどなんかはやぶれたまま放置されとって廃虚状態だ。かんばんもなんにもなくて、なんのたてもんだかわからん。とおりがかったおんなのひとにきいてみてもわからんかっただけど、あとではいった和菓子やさんのわかおくさんにきいて中部電力のたてもんだってわかった。ちょっとまえにじもとのひとむけに内部を公開してくれただけど、じきにとりこわしの予定だともきいた。筆者のおもいにおなじく、わかおくさんもおしいことだっていっとった。

2019.2.17 (13) 稲葉宿 - 瑞豊 2000-1500
2019.2.17 (14) 稲葉宿 - 瑞豊 2000-1500

中部電力のたてもんからはすむかい、ひだりに瑞豊っていうさかやさん。いまも営業しとるかどうかあやしいかんじだけど、むかしながらの建築の商家で、2階にはこれでもかっていうでかさの重厚なかんばんがかかげられとる。

2019.2.17 (12) 稲葉宿 - 菓子亀 2000-1500

またひだりに、菓子亀っていう和菓子やさん。うちへのみやげをかうついでに、わかおくさんにはなしをきく。中部電力のたてもんのことをきいたほか、みせのまえのとおりが美濃路であり、ここが稲葉宿であることをさいかくにん。ほいから、はだかまつりはきょねん死者がでたえいきょうか、ことしは予定がはやまっとるじゃないかともおしえてくれる。さらに、このみせのにしはすむかいに稲葉宿のいしぶみがあることもおしえてくれる。みやげにかったのは「稲葉宿」っていうなまえのまんじゅう。

2019.2.17 (5) 稲葉宿 - 伊東家 1850-1500

みぎにむかしながらの住宅があって、ほのまえのいちばんひだりがわにいしぶみ。住宅は伊東家のもんで、ちょうどこのときも一家がクルマでかえってきてうちんなかにはいっていくとこだった。

2019.2.17 (6) 稲葉宿 - 問屋場址のいしぶみ 1500-2000

いしぶみは「稲葉宿問屋場址」っていう題で、よんでみる。

稲葉宿問屋場
四ッ家追分からわかれたこの美濃路の稲葉宿は1600年に開設せられ、本陣、脇本陣のほか、小沢、東町、西町には問屋がおかれて、人馬の往来、物資の輸送の便に供されたが、1822年ごろには人足45人、うま15頭が常備せられ、また、助郷の制もあった。ここは東町問屋場址であり、宿役人伊東氏の住居である。
1983年9月
稲沢ロータリークラブ建立

うーん、1600年っていうと関ヶ原のたたかいのとしにこの稲葉宿ができただ。小沢(こざわ)ってのはとなりむらだったとこだけど、東町、西町ってのはもともとの稲葉宿のなかの東町、西町にちがいない。「宿役人伊東氏の住居である」ってかいてあるけど、いまも伊東さんの住宅になっとるっていうのがすごいな。

2019.2.17 (7) 稲葉宿 - 美濃路案内 2000-1500

ちょこっとすすんで、みぎ稲沢市シルバー人材センターのとこに「美濃路案内」のかんばん。

2019.2.17 (8) 稲葉宿 - 地図 1610-1475

いや~、このかんばん、ようわかるわ~。美濃路っていうと南北にのびるみちっていうかんじがするけど、ここ稲葉宿のとこじゃあ東西にはしっとるだ。

2019.2.17 (9) 稲葉宿 - 説明がき 1480-1350

説明がきをよんでみる。

美濃路とは
美濃路は、中山道の垂井宿(岐阜県垂井町)から東海道の宮宿(名古屋市)をむすぶ全長14里24町15間(およそ57.5km)の街道です。
中山道の垂井宿からはじまり、とちゅうには、大垣宿、墨俣宿、起宿、萩原宿、稲葉宿、清須宿、名古屋宿の7宿があり、東海道の宮宿に合流します。また現在の岐阜県羽島市には、間の宿もおかれました。
1600年関ケ原の合戦のとき、福島正則が先鋒として進撃し、勝利后に徳川家康が凱旋したとき、このみちをとおってかえったことから「およろこび街道・吉例街道」ともよばれます。五街道とおなじく、江戸幕府直轄の街道で、道中奉行の支配下におかれ、みちはば・松並木・一里塚・宿場・助郷五街道なみとなっております。
東海道鈴鹿峠ごえや海路の「七里のわたし」にくらべ、とおまわりになりますけど、安全性がたかく、天候に左右されず、予定どおりの通行が可能であったため、女性にも重宝され、おおくのたびびとが利用しました。
徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、参勤交代の大名や朝鮮通信使琉球王使、お茶壷道中など、さらには将軍に献上された象もこの街道をとおったなど、一般民衆のたびの利用はもとよりおおくのひとたちがこのみちを往来しました。
稲葉宿
稲葉宿は、家数336軒、人口1,572人、はたごや8軒、本陣・脇本陣各1軒、問屋場3か所がありました(1843年)。本陣である小沢村の原所次右衛門のいえは、門構・玄関つきでたてつぼ133坪(およそ439平方メートル)、脇本陣である稲葉村東町の吉田又吉のいえは、門構・玄関つきでたてつぼ70坪(およそ231平方メートル)でした。稲葉村西町の西問屋場は原氏と伊東氏が交代でつとめため、稲葉村東町の中問屋場を伊東氏、小沢村の東問屋場を原氏があずかり、1問屋場2日交代でつとめたっていいます。宿場のながさは、8町21間(およそ911メートル)でした。
1.禅源寺/2.津島道の道標/3.稲葉宿の中問屋場あと/4.稲葉宿本陣あと
5.小沢一里塚あと/6.国府宮/7.国府宮一ノ鳥居/8.長束正家邸あと

うん、美濃路東海道の宮宿と中山道の垂井宿をむすぶわき街道で、いまの岐阜市はとおっとらん。垂井宿のてまえで大垣宿をとおるだ。まあ、東海道新幹線の経路にちかいってとこか。もともと稲葉村だけでやっとった稲葉宿に、あとからとなりの小沢村(こざわむら)がくわわったってことはまえもってしっとっただけど、本陣があったのもあとからくわわった小沢村のほうだっただ。

さらにすすむと、改装をほどこされて外観が新品になっとる、むかしながらのたてもんもいくつかみえる。景観保存のための補助金かなんかがでとるのか。

2019.2.17 (10) 稲葉宿 - 三宅川 1200-900 2019.2.17 (11) 稲葉宿 - 魦ノ橋 1200-900

三宅川っていうちいさなかわにかかる魦ノ橋っていうはしのとこまできて、稲葉宿はつきる。ほのむこうはただふつうの住宅街がひろがる。ところで、はしのなまえにある魦ってのはしらべて「いさざ」っていう淡水魚だってことはわかっただけど、はしのなまえはなんてよむのかわからん。

2019.2.17 (15) 国府宮えきまえどおり - 小沢3丁目西交差点 1600-1200

稲葉宿のまちあるきをおえて、えきまえどおりがせばくなるとこの交差点までひきかえしたとこで、3人のはだかおとこが信号をわたっていくのにあう。いったりきたりしとるのか。ところで、交差点のなまえ、小沢3丁目西交差点ってかいてある。いきはきづかんかったけど、稲葉村のいりぐちが小沢村だっただ。ほんとになんのさかいめもなくつながっとる。

えきみなみのふみきりまできたとこで、てまえのいざかやにはいる。ちょうどみせのそとにでてきとった店員のおんなのこがめにはいってのこと。ぎょうざとラーメンをさかなにさけを一杯のむ。

2019.2.17 (16) 国府宮はだかまつり 1530-1200

ちょっとかおがあからんだとこで、ふみきりをひがしにわたってはだかまつりの会場へ。尾張大国霊神社のとりいのとこまできたとこで、はだかおとこのひとたちがけっこうなんにんかひきかえしてくる。からだもみずでぬれとる。あの神男(しんおとこ)を中心のもみあいはおわっちゃったのか。まえにもはだかまつりをみにきて、もみあいのばめんをみんでかえっちゃって、こんどこそっておもっとっただけど。

2019.2.17 (17) 国府宮はだかまつり 1200-900 2019.2.17 (18) 国府宮はだかまつり 800-600
2019.2.17 (19) 国府宮はだかまつり 800-600 2019.2.17 (20) 国府宮はだかまつり 780-600

社殿のほうまでいってみると、まんだひとがいっぱいだ。ただ、やっぱりもみあいのばめんはおわっちゃっとって、神男が儺追殿(なおいでん)にはいっていくだけだった。ほれも直接みえたわけじゃなくて、まえのほうのひとのはなしでわかっただけ。まあいいか。儺追布(なおいぎれ)だけは、さいしょにえきまえどおりをにしにあるいていくときにもらっといた。

2019.2.17 (22) 金山 - 豊橋いき特急(1701編成) 1200-900

えきにもどって、かえりの電車。特急をのりついで、さらに西尾線にのりかえてふるいにもどる。


(さんこう)