2019年10月31日、名鉄電車を呼続(よびつぎ)でおりて、ほっから東海道にはいって宮宿(みやじゅく)まであるいてきた。
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ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。あっかい電車は、ベンチシートにカーテンつきの6013編成2両かんつうがただ。こっから30人ものっただけど、わかもんがおおい。会社づとめのひとたちはまっとはやい電車にのってって、この電車は学校にかようひとたちとかが中心みたいだ。おんなが6わりで、おとこが4わり。あんじょう平野をきたにすすんで、みなみあんじょうに停車。吉良吉田いき急行のあっかい電車をまって、しゅっぱつ。ここで、車内、たちきゃくは7わりっていうこみよう。1両めなかとびらんとこにのっとっただけど、とびらのうえに「ワンマン運転時には最前部とびらよりおりてください(ただし、新可児、吉良吉田、蒲郡はのぞく)」ってかいたふだがあるのをかくにん。このかんつうがた電車は蒲郡線から西尾線にすけっとにきた電車なだ。ぐいーんってひだりにまがった進行方向をにしむきにかえて、名古屋本線の須ヶ口いき特急がしんあんじょうは4番のりばにとうちゃくするのと同時に、2番のりばにとうちゃく。下車。1番のりばから、まちかまえとった吉良吉田いきふつうがしゅっぱつ。須ヶ口いき特急は発車時刻をすぎとるだけど、しんあんじょういきふつうからののりつぎきゃくをまって、しゅっぱつ。ここまでのってきた電車は、いったん3番のりばにはいりなおしたあと、名古屋本線豊橋よりの留置線に停車。からっぽになった2番のりばに、名古屋本線名古屋方面から西尾いき急行のあっかい電車がはいってきて、でていく。しんあんじょう始発の電車で、ここまでは回送でやってきただ。いや、あさのしんあんじょうはいろんな運用がみれておもしろい。須ヶ口いき特急も吉良吉田いきふつうも西尾いき急行も、ひるまの時間帯にはない運行だ。
いったん地下かいさつをでて、きたぐちにでる。名鉄しんあんじょうビル解体工事の作業員さんらがあるいとる。三菱岡崎工場の通勤バスがでていく。あんくるバス北部線のバスがとうちゃく。おじいさん、おばあさんたちがおりてくる。つえをついたおじいさんがひとり、地下かいさつにおりる階段のまえをにしにとおりすぎていく。タイコータクシーのまえもとおりすぎて、喫茶軽食エリカにはいっていく。バスでやってきて、この喫茶店にはいるのをまいにちのたのしみにしてみえるだ。国道1号線の交差点のほうからおねえさんたちがあるいてきて、地下かいさつにおりていく。ひとびとがいきかうえきのようすがおもしろい。
さて、おれは喫茶軽食エリカからさらににしにあるおこのみハウス藤園にはいって、いっぷく。たのんだのはモーニングセット。コーヒーにトーストふたきれとみかんとかきがついて400円。ところで、おどろくことに先客の金髪にいちゃんふたりがビールをのんどる。あけがたまではたらいてきたホストのにいちゃんか。
えきにもどって、しんあんじょう9時18分の弥富いき急行にのる。あっかい電車は3522編成4両きんぎょばち。西尾線から名古屋本線にのりいれていく電車で、3番のりばからのしゅっぱつになるだけど、2番のりばでしゅっぱつをまつ吉良吉田いき急行のあっかい電車とそろいぶみ。しんがりの3522にのりこんだとこで、乗務員3人ものりこむ。ひとりは車掌室へ、ほかのふたりは客室へ。たちきゃく3わりでしゅっぱつ。西三河平野をにしにすすんで、知立(ちりゅう)がちかづいたとこで、みぎ、高架工事げんばに橋脚の鉄骨がたちあがりはじめたのをかくにん。高架工事の完成は2023年度だ。知立に停車。車掌さんが、しんあんじょうでのりこんだ車掌さんに交代。客室にのっとった乗務員ふたりは、ここでおりる。ここでなんにんかのってきて、たちきゃく4わりにふえる。ちなみに、ここ知立には池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)がある。境川をこえて尾張にはいる。ひだり、あっかい電気機関車のとなりをとおって、豊明に停車。犬山いきふつうのSR車がひだりにまちあい。ここで、たちきゃく5わりにふえる。ちなみに、このえきのあるへんは阿野(あの)ってとこになる。前后に停車。なんにんかのってきて、たちきゃく6わりにふえる。車掌室のすぐまえにすわっとったおじいさんが、本星崎(もとほしざき)へののりかえを車掌さんにきく。鳴海(なるみ)でおりて、ホームはんたいがわの電車にのりかえてくださいっていうこたえ。つぎの停車駅だ。名古屋市の区域にはいって、高架をあがって、鳴海は1番のりばにとうちゃく。おじいさんは下車。おれも下車。おじいさんともども、2番のりばにまっとった岩倉いきふつうの5002編成4両ぎんいろ電車にのりかえ。ちなみに、鳴海には鳴海宿がある。天白川をわたってみぎ曲線からひだり曲線になったとこで、本星崎に停車。おじいさんが電車をおりるのをみとどける。
つぎに本笠寺(もとかさでら)は、いちばんひだりの1番のりばに停車。いちばんみぎの4番のりばに東岡崎いきふつうのあっかい電車がまちあいちゅう。わが岩倉いきふつうもここで5分まちあい。新鵜沼いき快速特急が2番のりばを通過。貴婦人のまえにあっかい電車を増結したやつだ。きれいだな。つぎに岐阜いき急行が通過。2両編成のあっかい電車と4両編成のあっかい電車を連結したやつだ。きれいだな。このあと、しゅっぱつ。しっとりとしたのりごこちだ。すべるように桜に停車。
9時48分、つぎの呼続(よびつぎ)にとうちゃく。下車。ほかにもなんにんかおりる。豊橋よりにあるかいさつをでて、ひがしがわふみきりからをわたる南北のみちにつきあたる。にしにひがしにいきかう電車で、ふみきりはかんかんなりっぱなし。ひともクルマもあしどめ。ふみきりのむこうがわ、みちのひがしがわにふるびたみせ。ふみきりのこっちがわ、みちのみぎがわは、ひとつのビルにインド料理カリーゾーン呼続店、カラオケ喫茶えんか、いざかや舞、スナック桜花、バー LOCK ON TIME。
えきからはなれてみなみにあるいて、さいしょの信号交差点を右折。このみちが東海道だ。交差点のへんには多少みせがある。東海道をにしにあるく。左右は住宅街。みせもちょこっとある。クルマや自転車がいきかう。おばさん3人ぐみもにしにあるいていく。
山崎川にかかる山崎橋をわたる。はしをわたるとこで、みぎ、かわかみに名古屋本線の鉄橋をパノラマスーパーがいくのをみる。
はしをわたったすぐむこうでつきあたりを左折。ひだりかわべりにちいさな2連のおやしろがあって、おまいり。みちがみぎにゆみなって、かわからはなれる。左右は住宅街。
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クルマどおりをよこぎって、信号交差点を直進。こっから左右はいっきにまちってかんじにかわる。左右、住宅街のなかにちょこっとみせ。つぎの信号交差点を直進。みぎにタイヤショップコンドー。
みちがみぎにゆみなって、むこうに名古屋高速がみえる。左右に喫茶店。すすんで、おしボタン信号。ひだりにオーネスト神穂っていう老人ホーム。みぎは、こっからずーっとブラザー瑞穂工場。ひだり、国道交通省名四国道事務所。アパート。また、アパート。パチンコのラッキープラザ。この1階にラーメンつけ麵のあっ晴れ。
名古屋高速のした、松田橋交差点を直進してにしにあるくだけど、横断歩道はなくて陸橋をわたっていく。みなみからきてにしにまがっていくのが天下の大動脈国道1号線で、クルマ優先になっとるだ。いや、陸橋ってのは人間軽視の思想からうみだされたもんだ。陸橋をむこうがわにおりて、国道1号線ひだりがわの歩道をあるいていく。左右、高層住宅や事業所がたちならぶ。すすんで、みぎ前方にパロマやトヨトミのビルがみえてくる。さっきのブラザーも、みえてきたパロマ、トヨトミも、中部を代表する企業だ。すすんで、おしボタン信号。ひだりにガソリンスタンド。内浜交差点で、みぎうしろからくるクルマどおりと合流。ここも道路のきたがわにいくには、陸橋をわたっていくしかない。みぎにパロマのビルがみえる。この交差点から国道1号線は高架をあがっていくだけど、東海道はほのまま地平の側道をいく。ひだりに多少みせがある。すすんで、みぎ、国道1号線の高架のむこうにトヨトミのビルや工場群がみえる。東海道のひだりがわもみせがたちならぶ。みせがとぎれて、左右住宅街になる。
東海道線のふみきりがみえてきて、電車や貨物列車がいきかうのがみえる。ふみきりのとこまでいって、ひだりがわにほこらにはいったお地蔵さんがあるのをかくにん。ふみきり事故の犠牲者をとむらうためのもんか。
ふみきりをこえてちょこっといったとこで、みちがふたまたになる。ひだり15度にいくのが東海道だ。ふたまたにはさがったとこにあるコーヒーしんげつにはいって、いっぷく。おいわけぢゃやっていうべきか。アイスコーヒーを注文。つまみに、いったじまめ。めずらしいな。ちょっとして、なじみきゃくがひとりはいってくる。まどのそと、東海道のむかいに黒川酒店がみえるとこで、リュックをしょったおじさんふたりがにしにあるいていくのがみえる。東海道のたびをしとるのにちがいない。勘定のとき、店主さんが「きをつけて!」っていってくれて、また、東海道をにしにあるく。みちがみぎにゆみなっていく。左右は、みせや事業所、住宅が混在。ふるいかおくもあって、東海道のふぜいがある。
新堀川(しんほりかわ)にかかる熱田橋をわたる。すぐみぎに国道1号線の新熱田橋。ひだり、ちょっととおくにあっかい電車がはしっていくのがみえる。常滑線だ。かわはどういうわけかみずかさがおおくて、コンクリート護岸がしたのほうで段になっとるとこまでみずがきとって、さらにほのうえまでみずにつかったあとがのこっとる。はしは、意匠をこらした欄干のついた太鼓橋。
熱田橋をにしにわたってすぐの信号交差点を直進。この交差点のひだりむこうに「東海道」のみちしるべ。いよいよ宮宿がちかづいたか。左右、高層マンションもある住宅街。みせもちょこっとある。みちがみぎにゆみなっていくとこで、むこうに常滑線の高架をいくあっかい電車がみえる。
あっかい電車やぎんいろ電車がいきかう常滑線のガードをくぐっていく。ガードのしたにも「東海道」のみちしるべ。くぐったむこうのみぎがわに、宮地区の説明がきのかんばん。「みずとみどりと歴史のまち宮地区」ってかいてある。
にしにすすんで、左右にみせや高層住宅。
すすんで、ひだりに裁断橋(さいだんばし)。おくの姥堂(うばどう)の2階にあがって、おまいり。1358年っていうむかしに創建されたって説明がきのかんばんにかいてあるけど、いまは4階だてのコンクリートづくりのたてもんのうちの、みちがわの2階だて部分が姥堂になっとる。むかしはこのすぐひがしにあった精進川にかかっとったのが裁断橋で、いまは姥堂のまえにむきをかえて移設されとるだ。
ほいから説明がきのかんばんに「裁断橋の擬宝珠(ぎぼし)にほられとるかながきの銘文が、ははがこをおもう名文としてたびびとのこころをうった」ってかいてある。よんでみる。
「天正18年2月18日に小田原の御陣、堀尾金助ともうす18になりたるこをたたせてより、またふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかけること、ははのみには落涙ともなり、即身成仏したまへ、逸岩世俊とのちのよのまたのちまで、このかきつけをみるひとは念仏もうしたまへや、33年の供養なり」
天正18年は1590年。小田原征伐にいく18才のむすこを、裁断橋をわたっていくのをみとどけたきり、はははふためとみることができんかっただ。ほいで、33回忌の供養にこのはしをかけかえたって。いや、これをよんでなみだをながさんひとはおらんさ。
すすんで、ひだりに鈴之御前社(れいのみまえしゃ)。とりいは、きのとりいで、うえの面だけに銅板がかぶせてある。境内にはいっていって、門のおくにたかゆかしきの本殿。あんまりみたことのない、しぶいつくりの神社だ。おまいりする。あとでわかったことだけど、祭神はあめのうずめのみことで、熱田神宮の境外末社になるとのこと。また、熱田神宮に参拝するときは、この鈴之御前社ですずのおはらいをうけてから参拝することになっとったとのこと。
また、にしにあるきかけたとこで、みぎに食堂がふたつあるなかで、おしながきをみくらべて、むこうがわの欧風料理なるかわっていうみせにはいる。おんなのひと3人がでてきたのといれかわりにはいった。みせをきりもりするのは店主ひとり。おしぼりやみずをもってきて注文をきいたり、できた料理をはこんできたりしてくれるひともおらんくて、かってな席にすわったとこで、じぶんでみずをいれて、じぶんでおしぼりをとる。注文したのは、ひるの定食にやっとるイベリコぶたのピカタ。先客は男女の3人ぐみと、おひとりさまのおんなのひと。料理がでてきて、びっくり。イベリコぶたのピカタのうまいこと、うまいこと。ほかに雑穀グラタンや自家製ポテト、パン、スープ、スパゲッティー、やさいサラダ。いや、雑穀グラタンもうまいぞ。たべるのをあとまわしにしたやさいサラダまでうまい。あとから、おひとりさまのおとこのひと、おひとりさまのおんなのひとが、また、みせにはいってくる。勘定のときに感想をきかれて、どれもこれもうまかったっていったら、やさいサラダはナッツの風味をきかせてあるとのこと。いや、おおあたりだった。
はらごしらえができたとこで、また、東海道をにしにあるく。左右にみせや住宅。さびついた商店街の街路灯がたっとって、ほのかんばんに「伝馬町、旧東海道」ってかいてある。
にぎやかな大津どおりにつきあたる。東海道はまっすぐにしにのびていくだけど、大津どおりに中央分離帯があって、こえていけん。大津どおりは名古屋の南北のめぬきどおりだ。名古屋城のとこからみなみに栄をとおって、ここまできとる。熱田伝馬町4番バスのりばのあるかどをみぎにまがって、きたに伝馬町交差点までまわって、むこうがわにいく。
ひだりに亀屋芳広(かめやよしひろ)。ききおぼえのあるみせだ。なかにはいったとこで、めがねのおねえさんがおちゃとおかしをだしてくれる。いやいや、このおかしうまいな。いちえっていうなまえの新発売のおかしだって、みやげにかっていく。あと、やっとかめ文化祭ってのを、10月26日から11月17日にかけて名古屋のまちのあちこちでやっとるってことで、パンフレットをもらっていく。みせのわき、住宅部分いりぐちに、伝馬本町町内会長の表札がかかっとるのをかくにん。
また、にしにあるく。左右になんげんかみせがある。みぎに個室マッサージマネキン神宮店があって、「かわいいおんなのこが多数出勤」の電光表示もでとる。
すすんで、十字路からはさびしいかんじのとおりになって、T字につきあたる。T字交差点のてまえひだりに、あつた休日急病診療所。
T字交差点の東北かどに東海道のみちしるべを発見。左折してみなみにいくのが東海道で、右折してきたにいくのはわき街道の美濃路になる。ほいで、東海道はみなみにいったあと、七里のわたしで海路になる。
T字交差点からきたをみてみる。美濃路は、きたに国道1号線をこえて熱田神宮の正門につきあたったあと、ひだりクランクしてまたきたにのびていく。
つきあたりのほうろく地蔵にてをあわせて、みなみにすすむ。
すぐに、みぎうしろからきた国道19号線とななめに交差。やっぱり横断歩道はなくて、宮のわたし歩道橋っていうなまえの陸橋をわたっていく。むこうがわにおりていくとこで、写メをとりあう男女とすれちがい。おりたむこうがわのみぎのかどに、あつた蓬莱軒本店があるのをかくにん。あのうなぎで有名なあつた蓬莱軒ってここにあったのか。あとで地図をみてみたら、熱田神宮の正門ちかくに神宮店もあった。みせのまわりはおもむきのある塀がめぐらされとって、みせをでてこの塀のまえで記念さつえいをする男女もおる。陸橋ですれちがった男女も、あつた蓬莱軒がえりだったのかもしれん。みせの駐車場には整理員もおるほどの繁盛ぶり。午后2時の休憩時間になって、整理員のひとがみせにもどって報告して、おんなの店員さんたちがみせからでてきて休憩にはいる。すすんで、はまみちにあたるまでのあいだ左右は住宅街や事業所で、みせはみぎに喫茶店が1軒あるだけ。
はまみちにあたるT字のみぎかどのてまえに喫茶上高地熱田店。みぎかどにさかやさん。はまみちのがわからみると、おおきな倉庫があってトラックがいっぱいではいりしとるおおきなさかやさんだ。
はまみちをにしにあるく。ひだりがはまで、みぎがまちなみ。
むかしながらのたてもんとして、丹羽家住宅をみる。説明がきのかんばんに、旧はたごや伊勢久だったってかいてある。ほれと、尾張名所図会(おわりめいしょずえ)の「七里のわたしふなつき」っていうえずもついとって、みてみると、街道にはぎっちりみせがたちならんどって、ふなつきばにはではいりするふねやとまっとるふねがいっぱいおるのがわかる。丹羽家住宅もあっかい点線でかこってある。
まあひとつ、グループホーム熱田荘をみる。旧料亭魚半だ。
ひだりに七里のわたしにでると、ちょうどふねがいく。東海道はこのさき海路になって、桑名宿につながる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年10月31日、もくようび、平日
- 尾張名所図会「七里のわたしふなつき」 - 2019年10月31日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/09
- 宮宿にある東海道のみちしるべ - 2019年10月31日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/09
- 宮宿は裁断橋の銘文 - 2019年10月31日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/09
- 東海道の東海道線ふみきり - 2019年10月31日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/09
- イベリコぶたのピカタ…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年10月31日12:47
- 東海道五十三次 - Wikipedia
- 岡崎宿 → 池鯉鮒宿 → 鳴海宿 → 宮宿 → (海路) → 桑名宿