岡崎は菅生川(すごうがわ)の北岸、岡崎城のひがしにある菅生神社(すごうじんじゃ)におまいりしてきた。前后の見聞とあわせて、以下に紹介する。
〔竜城神社とアラモのいしぶみ〕〔菅生神社〕〔いちょうなみきとひらき屋〕
◇ ◇
竜城神社とアラモのいしぶみ
さいしょは岡崎公園のなか。岡崎城をせに菅生川をみおろしながらべんとうをたべたあと、岡崎城のすぐみぎにある竜城神社(たつきじんじゃ)におまいり。社殿はコンクリートづくり。
ところで、一角にアラモのいしぶみを発見。アラモのいしぶみってなんだっておもったら、岡崎出身の地理学者志賀重昂(しがしげたか)が、テキサス独立戦争のアラモのたたかいと、長篠城(ながしのじょう)のたたかいがようにとることに感心してたてたもんらしい。アラモのとりででは、青年ボナムが援護をもとめて友軍のもとにはしったとのこと。長篠城のたたかいでは、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が、敵軍にとらえられながらも援軍のとうちゃくがまちがいないことを自軍につたえとる。
碑文をよめるかぎりによんでみる。
三州長篠古戦場鳥居強右衛門 1914年7月 岡崎 志賀重昂 詩 水戸 北条時雨 書 |
菅生神社
菅生川の北岸堤防道路をひがしにあるいて、菅生神社にとうちゃく。社殿は道路に面してみなみむき。
とりいから参道をすすんで、拝殿におまいり。とびらがあいとって、おくに本殿までみえる。拝殿りょうわきにあっかいたれぬの。わたり殿へのいりぐちみぎがわに黄金のよろいかぶと。わたり殿へのいりぐちのりょうわきにみどりいろのたれぬの。わたり殿と本殿のなかになんぼんかのぼんぼりがともっとる。すてきな光景だ。
外観をかくにん。拝殿はかわらぶき、ひらいり。わたり殿は銅板ぶき。本殿はかわらぶき、ひらいり流造(ながれづくり)。
由緒がきをかくにん。ぜんぶが理解できるわけじゃないだけど、「西暦110年、やまとたけるのみことが東国平定にむかうとちゅう、この地をとおったときに敵とのたたかいにやをなんぼんかつくっただけど、ほのうちの1本をかわにながした。ほいで、このやをまつったのがこの神社で、岡崎最古の神社だ」っていうようなことがかいてある。ほー。ここは矢作川東岸になるだけど、やまとたけるのみことは矢作川西岸の矢作神社におまいりをしとる。おまいりをしただけじゃなくて、境内ではいだやで敵とたたかっとる。矢作神社と菅生神社、はなしがつながるな。
ところで、境内のくすのき、めちゃめちゃでっかい。そらをおおいつくすってかんじだ。
いちょうなみきとひらき屋
さいごに、菅生神社うらのいちょうなみきをにしにあるく。みぎがわにずらーってたちならぶいちょうの大木は壮観。ひだりに1軒ある、むかしながらの中華そばやさんもいいかんじだ。しんがたコロナウイルスさわぎがおわったら、いってみるよ。
〔2020年4月29日訪問〕
(さんこう)
- 宇頭のえきに…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年4月29日17:48
- おんなもくうなるいちごソフトクリーム - あきひこのいいたいほうだい|2020/04/29
- おんなもくうなるいちごソフトクリームをおとこもくってみんとてくうなり。
- 榎前八剣神社 - あきひこゆめてつどう|2020/04/22
- 榎前八剣神社社殿造営の記
やまとたけるのみことが東征にむかうとちゅう、えのきの大木のかたわらで休憩されたことから榎前っていうようになって、このときからちいさなほこらをたてて祭神(さいじん)として崇敬してきた。
- 榎前八剣神社社殿造営の記
- 矢作神社までいってきた - 2019年10月15日 - あきひこゆめてつどう|2019/10/21
- おくまでいって、拝殿におまいり。由緒がきをよんでみる。やまとたけるのみことがこの神社にいのったときに、すさのおのみことをまつって、境内でやをはいだで矢作神社っていうなまえになったってかいてある。「やをはぐ」ってのは、「たけにはねをつけてやをつくる」っていう意味だ。
- アメリカのたび4サンアントニオのアラモのとりで|2015年8月2日
- 志賀重昂 - Wikipedia
- 志賀重昂(しがしげたか、1863年 - 1927年)は、日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。
- 岡崎藩の藩校の儒者・志賀重職の長男として、三河国岡崎康生町(現・愛知県岡崎市)に生まれた。1868年に重職が没した后は、母・淑子(しく)の実家、松下家で育った。
- 墓所は、遺言により東京都杉並区下高井戸宗源寺にある。 出生地、岡崎市の世尊寺に分骨されとる。東天竺山世尊寺は、重昂が企画して果たさんかった遺志に従い、地元の人たちが1928年10月に落成させた寺院である。隣接する岡崎市東公園には重昂が1911年に東京の邸内に設けた亭を1929年に移築した『南北亭』もある。
- 日本ラインの名は、1913年、重昂の命名によった。美濃加茂市祐泉寺に記念碑が建つ。また、恵那峡の名は、1923年、重昂の命名によった。
- 1961年7月1日、岡崎市の名誉市民に推挙された。
- アラモのいしぶみ - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/04/30 〔ついか〕
- 菅生神社の由緒がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/04/30 〔ついか〕
- 菅生神社の御創建 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/01/02 〔ついか〕
- 文面は、菅生神社いりぐちにある由緒がきのなかの「御創建」の文面とおんなじ。
- やまとたけるのみことによる御創建 - 菅生神社 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/01/02 〔ついか〕
- すさのおのみことと菅生神社 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/01/02 〔ついか〕
- 菅生神社 (岡崎市) - Wikipedia 〔ついか〕