岡崎は六ッ美(むつみ)北部の法性寺(ほっしょうじ)に、「直前にくうしゅうを察知して、すぐさま疎開して難をのがれた」っていうあうん仁王像があった。あうん仁王像以外のおてらのようす、おてらのまわりのようすもふくめて、以下に紹介する。ちなみに、まちのなまえも法性寺町(ほっしょうじちょう)。
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法性寺 - あうん仁王像
みぎが「あ」の仁王像。ひだりが「うん」の仁王像。ふたりあわせて、あうん仁王像。
かべの説明がきをよんでみる。
仁王像について
1544年、六供町(ろっくちょう)の甲山寺(こうざんじ)にうつる。1945年7月、甲山寺の可児光照住職から、『昨夜ゆめに仁王さんがあらわれて、法性寺にかえりたいってつげられたで、至急たのむ』って、法性寺現住職の祖父母野田政次郎、ゑつ夫妻に連絡あり。ほのひのうちにおむかえして、法性寺に安置。ほのよる岡崎は大くうしゅうで、甲山寺をふくむ旧市街は灰じんに帰す。
いや~、すごいな。あしたの晩くうしゅうがあるってことを察知したわけだ。
法性寺 - 山門
あうん仁王像のおさまる山門。本堂ともどもひがしむきにたっとる。
法性寺 - 由緒がき
由緒がきをよんでみる。
和田山法性寺
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗のおてら。創建は1016年。岡崎城主松平広忠が法性寺六坊にふかく帰依。六坊のうちのひとつの坊の住僧が、松平広忠のために鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願して、徳川家康がたんじょう。ほの功績により、法性寺六坊は、岡崎城の東北鬼門にあたる甲山の地にうつされる。いまの法性寺は、むらびとのねがいによってのこされた大日堂と、岡崎くうしゅうの前日に甲山寺からもどった仁王さんがまもっとる。
まず、山号が和田山ってのがおもしろい。いまは上和田町(かみわだちょう)のみなみに法性寺町があるっていう位置関係にあるだけど、むかしはおおきく和田っていう地名だったみたいだ。ほいから、徳川家康たんじょう祈願にかかわっとるってのもおもしろい。ただ、ほの功績によって、甲山寺にうつっちゃう。いまの法性寺は、むらびとのねがいでのこされた大日堂と、岡崎くうしゅうの直前にもどったあうん仁王像がまもっとるっていうわけだ。
法性寺 - 本堂
本堂におまいり。かわらぶき、つまいりで、つまがわのやねがおおきくてまえにのびてきとるのがとくちょうだ。たちがひくくて、質素な伽藍だ。これが、むらびとのねがいでのこされた大日堂にちがいない。あるいは、ほのあとにたてかえられたもんか。
法性寺 - 一休さんの石像
そとから山門をはいったみぎがわに、一休さんの石像。「一休さんのあたまをなで、じぶんのあたまをなでる」ってかいてあるけど、しんがたコロナウイルスさわぎがおわってからにしたほうがいいかもしれん。
法性寺町 - 五社神明宮
法性寺の山門のてまえ、みぎがわに五社神明宮があって、おまいり。社殿はみなみむきにあって、かわらぶき、ひらいり。
法性寺町 - ねぎばたけ
法性寺のおてらは法性寺のまちのまんなかにあって、ほのまわり、住宅街のなかのところどころにねぎばたけやたんぼ。ねぎは法性寺ねぎっていうなまえがついとるほどの特産品。
〔2020年4月28日訪問〕
(さんこう)
- 法性寺の由緒がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/05/04
- 愛知県下の空襲 - 第3期【中小都市への空襲と工場爆撃】1945年6月から1945年8月 - あきひこのいいたいほうだい|2015/03/28
- 金剛力士 - Wikipedia
- 金剛力士(こんごうりきし、梵:वज्रपाणि)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットでは「バジュラパーニ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形像(あぎょうぞう)と、口を結んだ吽形像(うんぎょうぞう)の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれとる。
- 日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っとるのをしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しとる。
- 法性寺|岡崎の観光スポット|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト
- 甲山寺 (岡崎市) - Wikipedia
- 岡崎市の法性寺ねぎ|岡崎市ホームページ
- 「法性寺ねぎ」は、町名にもなっとる岡崎市の南部にある寺「法性寺」がその名の由来となっており、その法性寺町を中心とする地域で栽培されとる、1月~3月頃が旬の地場野菜です。また、愛知の伝統野菜に認定されとるとともに、本市のブランド化推進品目にも指定されております。
- 由来:法性寺町は岡崎市の南部、矢作川の東に位置し、平安時代に建立された和田山法性寺がその由来 となっております。法性寺ねぎは、その昔、比叡 山延暦寺へ修業に行った法性寺の僧侶が、京都のねぎを持ち帰ったのが始まりと言われ、法性 寺町周辺の土壌が生育条件に合ったこともあり、長い間栽培されてきました。
- 食味:甘く濃厚な味わいと柔らかな食感が持ち味で、葉の青い部分まで美味しくいただけます。