まえに随念寺(ずいねんじ)をたずねたときに、おてらのおくさんから「東西にはしる伝馬どおりから、きたにこやまにつきあたるとこにあるのが随念寺、みなみに菅生川(すごうがわ)につきあたるとこにあるのが満性寺(まんしょうじ)で、ふたつのおてらが対になっとる」ってきいて、ほの満性寺がどんなおてらなのか、いってみた。いきかえりの電車道中とあわせて、おてらのようすを以下に紹介する。
〔いき〕〔満性寺〕〔かえり〕
◇ ◇
いき
みなみあんじょうからきたいきのあっかい電車にのる。
終点のしんあんじょうにとうちゃく。
ホームを移動してひがしいきのぎんいろ電車にのる。
宇頭をすぎたとこでパノラマスーパーとすれちがい。岡崎公園前であっかい電車とすれちがい。
電車の終点、東岡崎にとうちゃく。
満性寺
東岡崎のえきまえにある庄やでおっそいひるごはん。たのんだのはみそとんかつ定食。
きたにあるいて、菅生川(すごうがわ)にかかる明代橋(みょうだいばし)をわたっていくとこで、ひだりかわしもに桜城橋(さくらのしろばし)と、ほのうしろ、北岸のビル群をみる。
みぎかわかみに、北岸にそびえる岡崎信用金庫本店ビルをみる。
はしをわたりきって、きれいに舗装された堤防道路をひがしにすすむ。ひととすれちがって、自転車とすれちがって、あるいていく。かわがひだりにゆみなるとこで、ひだりにおてらのやねがみえる。これが満性寺か。
満性寺の境内は、堤防道路よりだいぶひくい位置にある。おてらはひがしむき。ひがしがわからまわりこんでおりて、山門をくぐる。かわらぶき2階だてひらいりで、2階がかねつきどうになっとる。山門のてまえみぎに、となりの東泉寺の山門があるのがおもしろい。東泉寺はちいさなおてらで、みなみむき。
満性寺の山門ひだりがわに、岡崎観光きらり百選の説明がき。「1289年、親鸞聖人のまご弟子了専(りょうせん)が河内のくにからきて、創建。1563年の一向一揆では、松平氏とのゆかりから家康がたにつく」ってかいてある。西三河には親鸞聖人がらみのおてらがおおい。
山門をくぐって、みぎにちょうずしゃ。ひだりに近藤重三郎くんのいしぶみ。いや、ほれにしても巨大ないしぶみなだけど、近藤重三郎ってなにもんだ。つぎに輪蔵っていうなまえの経堂。かわらぶき、よせむねで、きたむきにたつ。
みぎに説明がきがふたつ。ひとつに、「浄土真宗高田派の寺院。鎌倉時代13世紀末、阿弥陀信仰、聖徳太子信仰をもった河内系鋳物師の一族が、菅生郷司職を有した足利氏執事高氏から寺地寄進をうけて土着し、発展したってかんがえられる」ってかいてある。河内からきたのは鋳物師っていう技術をもったひとたちだっただ。いや、となりの東泉寺もおんなじ浄土真宗高田派で、ならんでふたつもあるとは。まあひとつに、「くに指定重要文化財。書跡色紙阿弥陀経1巻。1289年、河内のくにの戦乱をのがれた了専上人が満性寺を創建したとき、聖徳太子2才像とともにてらにもたらしたってつたえられとる。平安貴族の趣味を反映した劉麗華美な傾向を十分にうかがいしることができ、平安時代の典型的な社協の一例として文化史上貴重な遺品だ。2004年6月8日指定。岡崎市教育委員会」ってかいてある。ほー。
すすんで、本堂におまいり。ひがしむき、かわらぶき、よせむね、向拝つき。
なおも見学するうちに、そとにでてみえたご住職がパンフレットをくれる。本堂は1691年建立だった。
本堂のからひだりてまえにつながって、改修工事中の太子堂。きたむき、かわらぶき、よせむね、向拝つき。山門や本堂におなじくえんがわ、欄干、擬宝珠つき。パンフレットによると1648年建立。これがいちばんふるい。説明がきにあった聖徳太子2才像とこの太子堂に、聖徳太子信仰をみることができる。ここでまた、つかずはなれずの位置にみえたご住職が、聖徳太子2才像の模型があんじょうし歴史博物館にあることをおしえてくれる。あー、みたことあるわ! ほのほんもんがこのおてらにあるだ。
太子堂とさっきみた経堂のあいだに句碑。ご住職が、岡崎出身の有名な俳人鶴田卓池(つるだたくち)の句碑だっておしえてくれる。あー、岡崎市美術博物館で鶴田卓池の展覧会をやっとるのをみかけたわ。でも、ここの句碑になんてかいてあるかよめんのがかなしい。
ところで、近藤重三郎くんのいしぶみってなんなのかご住職にきいてみると、岡崎電灯の創業者のひとりで、菩提寺であるこのてらの境内に業績をしるしたいしぶみがたっとるだっておしえてくれる。あー、かすかな記憶がある。うらめんに、岩津水力発電所をつくったこととか、びっしり業績がかいてある。岩津水力発電所は3年まえにいってきたとこで、ここでまたはなしがつながったってかんじだ。ただ、漢文でかいてあって、ほれ以外はちんぷんかんぷん。
本堂のみぎにおくり。みなみむき、かわらぶき、ひらや、ひらいりなだけど、本堂よりでっかいのにおどろく。
境内の東北のはしの門柱に「田生山菅生院満性寺」ってかいてあるのをかくにん。全景をみおさめて、ひがしのみちをきたにすすむ。
すぐに、ひだりに岡崎信用金庫本店ビル。国道1号線みなみの東西にながくひろいしきちに、でっかいビルがそびえる。ほのまますすんで、国道1号線とまじわる菅生町交差点。交差点の西南かどが岡崎信用金庫本店しきちの東北かどになるだけど、ここに「俳人卓池宅あと、岡崎信用金庫」のたてかんばん。うらめんに、「1768年この地にうまれる。1846年なくなる。菅生満性寺にほうむる」ってかいてある。あー、いま俳人鶴田卓池の句碑をみてきたとこだ。鶴田卓池って、まさにここのひとだっただ。
菅生町交差点をきたにわたって、ほのままほっそいみちをきたにすすむと、伝馬どおりをよこぎって、門前どおりをとおって随念寺につながることをかくにん。
明代橋をわたって、東岡崎のえきにもどる。
かえり
岡ビル1階のロッテリアでいっぷくのあと、東岡崎からにしいきのパノラマスーパーにのる。
120キロですすんで、宇頭のてまえであっかい電車とすれちがい。
しんあんじょうにとうちゃく。
ホームを移動してみなみいきのあっかい電車にのる。
みなみあんじょうにとうちゃく。このひのたびをおえる。
〔2020年6月みっか訪問〕
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年6月みっか、すいようび、平日
- カクキューが岡崎電灯を支援 - あきひこゆめてつどう|2020/06/13
- 2017年9月ようかに岩津水力発電所にいってきたとこで、ことし2020年1月17日の中部経済新聞に「カクキューが岡崎電灯を支援」っていう記事をみた。岩津水力発電所は、中部電力で現存する最古でしかも最小の水力発電所で、前身の岡崎電灯が建設しとるだけど、ほの岡崎電灯をカクキューが支援しただげな。電気事業っていう当時最先端の事業に、伝統産業であるみそづくりのカクキューが支援したってのがおもしろい。西三河最大の都市、岡崎が一丸となって近代化にとりくんだってわけだ。
- 「まっさきに賛意をしめしたのは、呉服太物商(ごふくふとものしょう)沢津屋の2代杉浦銀蔵だった。西洋諸国の産業革命についての知識があり、繊維産業の機械化や鉄道開通のために奔走しておったからだ」。
「協力者をもとめると、丸藤旅館主の田中功平、醸造業をいとなむ伊勢屋店主の近藤重三郎がくわわり、3氏は銀蔵が所有する水車を利用して、水力発電の実験を開始した」。
- 岡崎は満性寺にある近藤重三郎くんのいしぶみ - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/06/13
- 悠紀のさと見学 - 2020年6月ふつか - あきひこゆめてつどう|2020/06/12
- 随念寺 - あきひこゆめてつどう|2020/05/26
- 参道は、東西にはしる伝馬どおりの伝馬町4丁目西交差点からきたに平坦にのびとって、山門につきあたるまでは門前どおりっていうなまえのついた公道だ。
- 満性寺|岡崎の観光スポット|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト