柿碕の和志取神社

まえに西本郷(にしほんごう)の和志取神社(わしとりじんじゃ)にいってきたとこで、柿碕(かきさき)にも和志取神社があるってことをたしかめて、いってきた。いまは、それぞれ岡崎市とあんじょうしの区域に属するだけど、まえは、ともに旧矢作町(やはぎちょう)の区域だった。

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まちなかの生活道路をきたにすすんでいったとこで、左右にのぼりたて。こっからは生活道路が参道をかねる。のぼりたてに、「2012年10月建立、和志取神社氏子一同」ってかいてある。ほのみぎに神社名のいしぶみ。正面に「村社式内和志取神社」、ひがしめんに「愛知県碧海郡〇〇」、きためんに「〇〇〇〇〇和志取、1902年1月〇〇、寄付人伊与田〇〇」、にしめんに「境内反別1反26歩、官有地県庁へ距離7里2町」ってかいてある。坂戸の酒人神社のもんと同様のかきかたがしてあるだけど、県庁までのきょりがかいてあるのがおもしろい。「式内」ってことは、900年代につくられた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にのっとるってことになるだけど、このこぢんまりとした神社がほんなに格式がたかいのか。

2020.5.17 (1) 柿碕和志取神社 - とりい 1600-1200

生活道路兼参道をすすんで、おおとりい。生活道路はおおとりいをひだりによけて、おくにいく。おおとりいをくぐって、左右に灯篭。つづいて、みぎにくすのきの大木、ひだりに社記。きのいたにすみでかいてあるため、かなりかすれてよみにくいだけど、よめるかぎりによんでみる。

2020.5.17 (2) 柿碕和志取神社 - 社記 3000-2250
(かくだい)

社記

1.神社名:和志取神社

1.祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)

1.創立年月日:継体天皇即位元年(西暦507年)

1.由緒:

継体天皇即位元年(西暦507年)設◆◆◆◆◆に神社を建て厚く天神地祇を◆◆◆給う◆◆◆古来歴朝の◆◆◆浅からず◆◆式神社に列し三河国26社の◆◆◆碧海◆◆座中◆◆◆

永禄3年(1560年)◆◆◆◆◆◆天正3年(1575年)まで仮殿遷座のままなりし◆◆◆織田信長長篠城に向う途次当社に詣で◆◆◆◆◆◆戦勝を◆◆◆◆◆◆社殿を再建◆◆たり即ち武門武将の◆◆厚く国司国守◆◆領主の崇敬推して知るべし

明治15年(1882年)10月村社に◆◆明治40年(1907年)10月神饌幣帛供進神社に指定せらる即ち氏子58戸の守神にして旧矢作町の◆◆神社たり昭和3年(1928年)伊弉諾命を合祀昭和27年(1952年)宗教法人となり氏子崇教者の誠心により社殿境内◆整備され今日に至る

昭和53年(1978年)3月

宗教法人和志取神社

う~ん、継体天皇即位元年の西暦507年が創建って、どえらいふるいな。ただ、いさきいりひこのみこをまつってある西本郷の和志取神社はまっとふるい。ほいから、織田信長長篠城にむかうときに、ここに戦勝祈願にきたみたいだ。

また、おくにすすんで、みぎに、銅板ぶき、4本あしのちょうずしゃ。ひだりに大木。すすんで、みぎに「社殿改築」のいしぶみと、遥拝所。いしぶみには、「改築とあわせて熊野社をあわせたてまつる|1929年10月|社掌伊予田盛枝識」ってかいてある。つぎにご神木。ひだりにトタンがこいの社務所

2020.5.17 (3) 柿碕和志取神社 - 拝殿 2000-1500

左右のこまいぬのあいだをとおって、拝殿におまいり。拝殿はみなみむき、かわらぶき、ひらいり。こまいぬの設置も、「社殿改築」のいしぶみにおなじく1929年10月。

2020.5.17 (4) 柿碕和志取神社 - わたり殿と本殿 2000-1500

拝殿からおくにつながって、かわらぶき、つまいりのわたり殿。いや、つまつながりっていったほうが正確か。わたり殿からむねがはなれて、本殿。いや、わたり殿とかいって、わたれてない。本殿は流造(ながれづくり)、銅板ぶきで、おおい殿はなし。わが古井神社もほだけど、けっこうおおい殿にかくれた本殿がおおいだけど、ここは本殿がむきだしになっとる。わたり殿のひだりに、たぶん神饌所。

本社殿のみぎにもとりいとおやしろ。かわらぶき、ひらいりで、外壁上部はトタンばり。なまえはわからん。

境内のひがしときたはがけ。神社は洪積台地である碧海台地のはしにたっとるだ。

2020.5.17 (5) 柿碕町から小針町をみる 1560-1200

境内をきたにぬけてたににおりる。たにはたんぼになっとって、ほのむこうのがけちにもりがみえる。にほんの原風景か。

〔2020年5月17日訪問〕


(さんこう)

  • 西本郷の和志取神社 - あきひこゆめてつどう|2020/05/16
    • まえに、西本郷にあるいさきいりひこのみこのはかにおまいりしてきたとこで、こんどはおんなじ西本郷にあるいさきいりひこのみこの神社におまいりしてきた。ほれが和志取神社(わしとりじんじゃ)だ。西本郷のまちの区域は、にしの洪積台地とひがしの沖積平野にまたがってあるだけど、はかが台地部のはしっこの和志山(わしやま)にあって、和志取神社が平野部にあるっていう関係にある。中間はたんぼがひろがる。
  • 愛知県の「天日鷲命」♪「鷲田神明宮」と「和志取神社」♪:すえドンのフォト日記|2015-11-02
    • 帰り道、愛知県安城市柿碕町和志取35の「和志取神社」を参拝しました♪
    • 矢作川の西2kmの場所に鎮座しております♪
    • 参河国碧海郡和志取神社。
      • 御祭神 天日鷲命
      • 合祀 伊弉諾
      • 社伝によると・・・
        継体天皇御即位元年創立
        永禄三年に兵火に遭い焼失し、天正三年まで仮設のままだったが・・・
        同年、織田信長長篠城に向かう途中、当社に詣で、手ずから金作りの大刀を捧げ、戦勝を祈願し、その折に奉行に命じて社殿を再建させたとあります♪
    • 織田信長は・・・実は「忌部」なのです\(^o^)/
      そうなると・・・話は早い・・・(笑)♪
    • 「阿波忌部」の祖神「天日鷲命」をを祀る「和志取神社」に参拝し、再建を命じたというのもうなづけます♪
  • 和志取神社 - 愛知県安城市柿碕町和志取 - 神社と古事記|2008年05月08日
    • 延喜式』巻9・10神名帳 東海道三河国 碧海郡「和志取神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
    • 第26代継体天皇元年(507年)の創立で、五畿七道の霊地に神社を建て、厚く天神地祇を奉斎したうちの一つだという。御祭神は天日鷲命
    • 現在の住所も和志取だが、社地の付近にワシドリと称する耕地があって、式内候補となった。他の論社に、岡崎市西本郷町の同名神社がある。
    • 戦国時代の永禄3年(1560年)、兵火に遭い、焼失した。天正3年(1575年)まで、仮殿遷座のままだった。
    • 織田信長長篠城に向う途次、当社に参拝し、自身で金作りの大刀を捧げ、戦勝を祈願した。
    • この際、奉行に命じて社殿を再建させたという。以降、武門・武将の尊崇が厚く、国司・国守・藩主・領主からも崇敬された。
    • 江戸期には白山社と称していたが、幕末になり、現社号に復した。
    • 明治になり、一時、西本郷町の同名神社が式内認定され、現社号を名乗ることができなかったが、嘆願によりまた旧に復した。
    • 明治15年(1882年)10月、村社に列し、明治40年(1907年)10月、神饌幣帛供進神社に指定された。
    • 旧矢作町の鎮守となり、昭和3年(1928年)には字和志取一番鎮座の無格社熊野神社伊弉諾命)を合祀した。
    • 例祭は10月15日。
  • 和志取神社(安城市)|玄松子の記憶
    • 創祀年代は不詳だが、社伝によると、継体天皇即位元年の創立。永禄三年に兵火により焼失し、ながらく、仮殿のままだったが、織田信長の命により再建されたらしい。当社は、以前は白山社と称していたが、江戸時代末に、現在の社名・和志取神社に復したという。明治になって、愛知県から、和志取神社と称することを禁じられたが、氏子・村民の請願により、命令は取り消され、現在に至る。
    • 社殿の瓦には、梶の紋が付けられとった。祭神・天日鷲命を祀る、阿波の忌部氏の神社の神紋と同じ紋だ。
    • 社記
      • 継体天皇即位元年設立で五畿七道の霊地に神社 を建て厚く天神地祇を祭らしめ給う当社その一也
      • 古来歴朝の崇敬浅からず延喜式神社に列し三河国 二十六社の一にして碧海郡六座中の旧官社なり
      • 永禄三年兵火に遭い焼失爾後天正三年まで 仮殿遷座のままなりしが同年織田信長長篠城に向う途次当社に詣で手ずから金作りの大刀を捧げ戦勝を祈願しその折奉行に命じて社殿を再建せしめたり即ち武門武将の尊崇厚く国司国守藩主領主の崇敬推して知るべし
      • 明治十五年十月村社に列し明治四十年十月神饌幣帛供進神社に指定せらる即ち氏子五十八戸の守神にして旧矢作町の崇敬神社たり昭和三年伊弉諾命を合祀昭和二十七年宗教法人となり氏子崇教者の誠心により社殿境内も整備され今日に至る
    • 由緒(『平成祭データ』)
      • 創建は明らかでない。延喜式内社三河国二十六座の和志取神社と彫む旧石標あり、社地の付近にワシドリと称する耕地あり。「参河国官社考集説」に村上忠準北柿崎村に宇和志取と云う所まことの式社なるべし、と「神祇志科」に柿崎村字和志取あり(宝暦4年田畑名寄帳重原藩取調書)明治7年、西本郷村鎮座、長谷部神社より和志取神社なりと上申あり両者の上申により教部省明治8年2月未定の神社と達しあり、止む。昭和3年3月2日字和志取一番無格社熊野神社を本社に合祀した。
  • 和志取神社|延喜式神社の調査(阜嵐健が実際に調査した延喜式内神社の紹介です)