小針にある大友皇子のはかをみたおんなじひ、ついでにおんなじ小針にある小針神明社をみてきた。小針のまちは碧海台地のひがしのはしにあるだけど、おなじく碧海台地のひがしのはしにあるまちが、すぐみなみに柿碕、つぎのみなみに名古屋本線のえきのある宇頭っていうふうにならんどる。もともと旧碧海郡矢作町に属しとったみっつのまちだけど、いま、小針と宇頭は岡崎市に、柿碕はあんじょうしに属する。
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ふたりの少年がサッカーをする境内はみなみむき。とりいのひだりてまえに「邨社神明社」のおおきないしぶみ。1915年10月にたてられたもんで、「うじこ65戸」ってかいてある。ちょっとちいさめのまちだ。「寄付人沢田蚕種場」ってかいてあるけど、むかしは碧海郡でもふつうにかいこをかっとっただ。さらにひだりてまえに、ひがしむきに小針用水のいしぶみ。碧海郡一円に農業用水を供給する明治用水の「支線」だ。いしぶみのひだりしたに「明治用水普通利水組合管理者岡田菊次郎書」ってかいてあるのをかくにん。岡田菊次郎はわがあんじょうしの偉人であるだけじゃなくて、ひろく碧海郡の区域で重要なやくわりをはたしただ。
とりいはいしのとりいだけど、みぎのはしらがぬきのうえのとこでひびがはいっとって、てっぺんのしまぎは水平をたもってなくて、みぎがあがっとる状態だ。いっかいおれたことがあるにちがいない。とりいのうらめんに「1918年10月改築記念」ってかいてあるのをかくにん。
とりいをくぐって境内なかほどひだりに、社殿改築記念のいしぶみ。つづいて、大東亜戦争戦没者慰霊のいしぶみ。すすんで、みぎに遥拝所。ひとはひがしにむいて遥拝するかたちになるだけど、どこにむかって遥拝するもんかわからん。本社殿がちかづいて、みぎてまえにちょうずしゃ。みずがでっぱなしになっとるだけど、こいでいいのか。
本社殿にとうちゃく。拝殿におまいり。かわらぶき、いりもや、ひらいりで、唐破風のおおきな向拝つき。えんがわはなし。
おくに、むねつながりでわたり殿。かわらぶき、つまいり。わたり殿とのきを接して、ゆかをわたして、さらにおくに本殿。かわらぶき、ひらいり、たかゆかしきで、えんがわがあって欄干もある。わたり殿と本殿の周囲は、土塀じゃなくて板塀。かわらやねつきの板塀なだけど、いたがこいの上部がぬいてあって、なかがみえるようになっとる。いや、こういうのははじめてみるだけど、開放感があっていい。
本社殿からおくにはなれて十三間堂。正式名称はわからんだけど、東西にのびるかわらぶきのながやが13区画になっとって、便宜的にこういっとくことにした。13区画は、それぞれにかみさまがまします。
十三間堂からひがしにちょこっとづつはなれて、いしのほこらと秋葉社。さらにみちをへだてたひがしに神明の森公園。境内のひだりどなりは、まあたらしい小針町民センターのたてもんと参拝者駐車場。神社のある一帯は、きれいに区画整理された住宅街で、なかにいざかやも3軒ほど。小針のきたの橋目に三菱自動車岡崎工場があるだけど、ほこにつとめるひとたちにいざかやの需要があるのか。
〔2020年7月23日訪問〕
(さんこう)