わがふるいのまちから東北方向に、たんぼをへだてたむこうに坂戸(さかど)のまちがあって、ほの坂戸のまちから東南にはずれたとこに酒人神社(さかとじんじゃ)がある。
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本殿
とりいから正面に本殿がみえる。いや、拝殿もわたり殿もなく、いきなり本殿だ。ちぎやかしおぎが、きらきらひかっとる。
本殿のまえにカーポートがふたつ。てまえがたてながで、むこうがよこなが。神事をやるにはやっぱりこういうのが必要なだ。
おまいり。
みぎ45度からみる。みなみむき、銅板ぶき、ひらいり、流造(ながれづくり)。
ひだり45度からみる。ちぎは先端が垂直にきってあるおとこちぎ。ちなみに、先端が水平にきってあるのが、おんなちぎ。
背面。
境内
境内をみてまわる。
のぼりたてのうらがわに、「島坂町3神社合併合祀記念」ってかいてある。坂戸は島と合併して、いまは島坂町(しまさかちょう)になっとるだ。さかしまじゃない。ただ、名鉄バスのバス停はいまも坂戸バス停と島バス停のままだ。いや、島坂町3神社合併っていうと、いまはこの神社ひとつなのかっておもったけど、あとでまちをまわってみたら、ほかにも神社はある。
岡崎観光きらり百選の説明がきがあって、よんでみる。まつってあるのは、食物のかみさまと酒人親王(さかとしんのう)。酒人親王は、シナから帰化した阿知使王(あちのおみ)の子孫で、朝廷の支配力が全国におよぶようになった時期にこの地にうつりすんで、わがくにではじめて清酒を醸造しただげな。へー! こんな碧海郡の田園地帯ににほんの清酒発祥の地があったとは! いや、ふるいや坂戸をふくむ矢作川流域は古代の遺跡や古墳もようけあるで、むかしはにほんのなかでも先進地だったのかもしれん。
「美酒発祥地」のいしぶみもある。うらめんに、「1972年5月建之|岡崎市観光協会|延喜式内酒人神社氏子民稲垣桂次郎」ってかいてある。延喜式内ってのは、900年代にできた全国の神社いちらんにのっとる神社ってことだ。こうみえて、由緒ある神社なだ。
神社名のかいたいしぶみをみてみる。1875年にたてられたもんで、「郷社式内酒人神社」ってかいてある。このいしぶみを寄付したのは、「坂戸にうまれていまは東京にすむ早川寅吉さん」。ほのとなりに百度石。
「酒人神社みち」のみちしるべ
境内からはずれる。桜井みちから東南に酒人神社につながるみちにはいっていくとこにお堂があって、ほのわきに「酒人神社みち」のみちしるべがたっとる。ただ、せっかくのみちしるべだけど、桜井みちからはお堂のおくにあるために、みちいくひとからはわからんのがざんねんなとこだ。
〔2020年5月13日訪問〕
(さんこう)